幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が『再生』するまで」小林エリコ著 ”人のつながりが命綱”

2021-03-23 02:30:02 | 本の紹介
・私は薬を飲まなければ眠れない身体になり、精神の安定が保てなくなった。だが、薬を飲んでも不安を消すことはできない。やがて精神科に通院するのがバカバカしくなり、通うのをやめた。飲み忘れた薬が大量に余っていた、それを捨てないでいたのは私の意思だったのだろうか。
「今月号を出しらた死のう」
校了の文字をひたすら書き続けながら、頭の中では死ぬことしか考えていなかった。
すべての仕事が終わった週末、私は崩れるように泣いた。学生時代の友人たちに電話をして、仕事が辛いこととお金がないことを話した。友人たちはそれぞれの生活に忙しく、話は聞いてくれるものの、解決策は示してくれなかった。私はこれから死ぬことは口にしなかった。
アルコールと一緒に、余っていた向精神薬を飲んだ。薬は思っていたよりたくさん余っていて、飲んでも、飲んでも減らなかった。めんどくさいな、と思いつつ飲んだ。薬を全部飲み終えると横になった。家のドアのカギは開けておいた。鍵が開かなかったら騒ぎが余計に大きくなるだろうから。それが私の最後の気配りだった。
気がついたら私は病院にいて、身体中が菅だらけだった。3日間意識不明だった。

・自殺未遂を起こして実家に戻ったとき、私は21歳だった。東京のアパートで大量に薬を飲んで寝ている私を友人が発見し、救急車で大学病院に運ばれた。3日間、意識不明で生死の境をさまよったののち、一命をとりとめた。

・私はいまの生活が少しでも楽になるならと思い、障害者手帳の申請をすることにした。医者に診断書をもらい、申請書を書いて市役所の障害支援課に提出すると、半年以上経った頃に手帳が交付された、私はこの瞬間、精神障害者となった。

・月日が過ぎ、24歳になっていた。いくらか調子がよくなったので、そろそろ働こうと思い、アルバイトの面接に応募した。その後も面接を受け続けたものの、すべて落とされた。私は溜め込んでいた向精神薬を一気に飲んだ。

・2年くらい経つと元気になって、また仕事をしようと面接を受けるが、ことごとく落ちて、落ち込み、ふたたび自殺に走る。

・精神科の診察とデイケアでのリハビリのため、1週間のうち、3回ほどクリニックに通う。
日々の行き場がない私にとって、デイケアだけが社会とのつながりだった。そんな毎日が数年間続いた。30歳を目の前にして何の仕事もしておらず、大人の幼稚園のようなデイケアに通うだけの毎日、デイケア以外の場所に行きたいのに、デイケア以外の場所に行く場所がない。そのことに気づくと、また無性に死にたくなった。

・私だってこれ以上、自殺行為を繰り返すのはこりごりなのだ。自殺未遂の場合は健康保険が適用されず、医療費を10割払わなければならない。

・一人暮らしを始めてからは、親元を離れた解放感と就労を約束してもらえた安堵感からか、生きている実感が持てた。・・・そんな日々を半年ほど続けたものの、なおもクリニックのスタッフから具体的な就労の話が出てこないことに対して、不安が芽生え始めた。

・生活保護を受け始めてわかったのは、この先に明るい未来などないということだった。「私は一生、生活保護のままで、このアパートで暮らすんだ」と思ったら、目の前が真っ暗になった。楽しいことは何ひとつなかった。ひとりぼっちで生きていたくない。今度こそ死のう。そう心に決めた。

・インターネットで自殺について書かれた掲示板を見ていた。なんでも、カフェインを大量に摂ると人は死ぬそうである。
「これを3箱ください」
ひとつの店舗で大量に薬を買うと変に思われるので、3か所くらい店を回ることにした。とても簡単だった。
目を覚ますと、私は救急病院に搬送されていた。1週間入院した。
「お金払わなかったわ。エリコちゃん。生活保護だからお金を払わなくていいんですって」
自殺未遂の救命には相当のお金がかかることを知っている母は啞然としていた。

・もしかしたら、私が自殺未遂を繰り返すのは生きている実感が欲しいからかもしれない。

・私は子供の頃から父のことを恐れていた。博打をして酒を飲んで暴れる大の男は、正体不明のモンスターのようだった。夜中に帰ってきた父が母と怒鳴りあっている声で目が覚めることもあった。

・「小林さんはしばらくデイケアに来ないでください。私たちと裏切ったのだから」
「デイケアにはいつから行ってもいいですか?」
「そうね、3か月後からね」
3か月はひとりぼっちなのか。

・私は小学生と中学生の頃、ひどいいじめにあっていた。机を蹴り倒され、笛を折られ、クラスメイトに蹴り倒され、水をかけられた。この世は地獄だし、私は生きている意味も、存在する価値もない。私はありとあらゆる権利を子供の頃に諦めた。

・べてるの家には私と同じ病気の人がたくさんいて、病気を否定することなく生きている。むしろ、病気のおかげで助けられたという考えを当事者は持っているのだ。ベテルの家を訪れ、当事者研究を行ったことでわかったことは、私が自殺未遂を繰り返すには人とのつながりを猛烈に欲しているからだということだ。薬をたくさん飲んで病院に運ばれると医者や看護師が優しく接してくれる。いつも一人で過ごしているけれど、病院にはこばれるときは人とつながっている。大量服薬をいう手段を通して私は人とつながっているのだ。このことに自分自身が気付き、納得できるようになったのは、べてるの家があってこそだ。

・私はこれまでずっとうつ病だと診断されていたが、その会社のMRが病院に出入りするようになってからは統合失調症と診断された。私には幻聴や妄想などの類はない。納得できない気持ちもありつつ、医者が言うのならそうなのだろうと無理やり自分の病名を信じ込んだ。そして、私は統合失調症の薬を処方されるようになった。クリニックと仲のいい会社が開発した新薬だった。デポ剤と呼ばれるそれは、お尻に筋肉注射するため、かなり痛い。デポ剤はもともと薬を飲むことを忘れがちだったり、拒薬傾向があるなど、服薬がきちんとできない患者向けの薬だ。私は特に問題なく服薬はできていたるのだが、そのデポ剤を勧められるまま打った。
クリニック側はそうした事実を隠したりせず、その製薬会社の薬の勉強会を企画し、月に2回開いた。その会では焼肉弁当がふるまわれるため、それにつられて参加するメンバーも多かった。
その勉強会では私はデポ剤の使用者として体験談を請われて話す。
「薬を飲む必要がなくなったのは良かったです。3食後の服薬は本当に大変なので、デポ剤にしてから健康な人と変わらない生活が送れるようになりました」
2週間に一度打つデポ剤は臀部に鈍い痛みがしばらく残り、毎回憂鬱だった。死にたい気持ちが消えることもなく、もともと幻聴もないので、自分にこの薬が必要なのかは疑問だった。
勉強会に参加するうちに、私は薬の説明がいちばんうまいと評価され、製薬会社が主催する講演会にも呼ばれるようになった。生活保護なのに新幹線で京都に向かい、いいホテルに泊まって、夜は料亭で食事をした。

・私は一生、このクリニックで生活保護を受け続けたまま、クリニックと仲の良い製薬会社の薬を褒め称え、「こんなに元気な患者なんです」と嘘をついて生きていかなければならないのだ。私に人生の選択肢はなく、与えられたもにだけを口にして生きていくのだとわかったら、この人生を終わらせたくて仕方なかった。
私は向精神薬を次々と口に入れた。80錠ほどの薬を飲み込み、意識を失った私は病院へと運ばれた。

・外来診察の日、レシートを発行してほしいとふたたび会計でたのんだのだが、やはり断られた。理由を何度問いただしても「出せない」の一点張りだ。
ただ「無理」とつっぱねる副院長に対して怒りが湧き、
「何かやましいことがあるんじゃないのか!」と、声を張り上げた。それに呼応するように副院長も怒り始め、
「あなたはそんな人じゃなかった。何が不満なの!」

・私は自分の境遇をずっと母のせいにしていた。自分が不幸になればなるほど、怒りの矛先は母に向いた。私は自分が望む道に進めず、やりたいことができなかった。自分が進みたい道に進んでいれば、めざしたことを許してもらえれば、いまの人生は違ったものあったはずだと思っていた。だから、人生がうまくいかないことを母のせいにした、
けれど、不幸に不幸を重ねて母を恨んでも、私の心も人生も実りのあるものにはならなかった。長い間、母に対して鬱屈した気持ちを持っていただが、私の心の中のしこりがほろりと溶けていくようだった。
私が母に対して素直になるには、私の人生が良くなることが必要だったんだ。人生を良くしようとする努力をするまで、そんな簡単なことに私はずっと気がつけなかった。

・あの頃の私に「生活保護を受けてほしい」と伝えたい。あのとき、誰かに生活保護の存在を教えてもらっていたら、私は自殺行為をしなかったかもしれない。

・生活保護世帯の自殺率は日本全体での自殺率の2倍以上高いのだという。これは、最低限度の暮らしを送るお金があるだけでは、人は心安らかに生きられないということを意味している。
実際、私も生活保護の需給中に自殺未遂をした。

・障害や病気と向き合いながら働きたいと思っていても、働く場所がないという問題もある。
身体の健康な人でも自ら命を絶ち、自殺大国と呼ばれるこの日本に必要なものは、生きる力の弱い弱者の視点だ。弱者が生きやすい社会こそ、すべての人が生きやすい社会なのだ。

・過去に「いのちの電話」に相談をしたこともあるが、いのちの電話は自殺したい人が助けてもらうためのもので、話は聞いてくれるけれど、実際に介入はしてくれそうにない。

・「ここに相談してみたら」と障害者人権センターのチラシをくれた。
障害者人権センターの職員にも、同席してくれた上司にも心から感謝の気持ちを伝えた。私にも味方がいるのだ。

・「社会は相互扶助でできているのであって、何かあったときのためにみんな税金を納めているのです。私も働けなくなってお金がなくなったら遠慮しないで生活保護を受けるつもりです。だからエリコさんも気にしなくていいんです」
私は何度この言葉に救われただろう。その言葉がなかったらいっそう自分を責め続けていただろうし、自殺未遂の回数ももっと増えていたと思う。
生活保護を受けている私と、受ける前と変わらず接してくれた友達たちに感謝している。だから、友達が困ったときには、今度は私が助ける。だって、辛いときに友達でいてくれたから、たくさん優しくしてくれたから。

・NPOで働き始めて3年の月日が経っていた。

・メンタルの病気を抱える人は完璧主義であることが多い。完璧にこなせない自分に落ち込み、うつになっていく。

・『うつまま日記』
精神疾患の患者が3人で作り上げた本を私は他に知らない。

感想
自殺を企てる人は今がとても苦しいので、この苦しさから逃れたいとの思いで自殺されているようです。
家族のことを思えるのは、まだ余裕があるからかもしれません。
あるいは、余裕がなくても家族を悲しませることはできないとの思いが強いのかもしれません。

苦しみに耐えて生き続けることも意味があるのではないでしょうか?
遺された人が悲しまないようにしたいとの思いで必死に耐えている人もおられると思います。
でもそれに耐え切れずに自殺を図って、亡くなる人も多いかと思います。

著者の命を救ったのは、人とのつながりでした。
自殺するとは言わなかったけど、電話した友だちが心配して翌日見に来てくれたのでしょう。
稲村博先生は、人の絆が助けると言われています。
「心の絆療法」 稲村博著 ”人は人によって傷つき、人によって癒される”

「死を思うあなたへ つながる命の物語」吉田ルカ著 ”生きるということ”

「人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い」夏苅郁子著 ”一歩踏みだしてみる”

自殺未遂を何度も試みて、その結果生き残った方、3人が今を書かれています。
言えることは、死ななかったからこそ、今の倖せに出逢えたのでしょう。
苦しいときは、真っ暗なトンネルの中なので、この真っ暗なトンネルの出口の明かりは全く見えません。
このときに、でも必ず出口の明かりが見えるはずだと信じることができるかどうか。
自分でそれが出来る人もいます。
多くは傍に誰か一緒に居てくれる人がいるかどうかが岐路のように思います。

「卒業式まで死にません」南条あや ”いじめからリストカットを繰り返し、日々のオーバードーズの結果心も身体も疲れて自殺?”
南条あやさんが、助かっていたら、きっと生きていて良かったと思われたと思います。
苦しんだからこそ、伝えられることがたくさんあると思います。
そのメッセージは、今苦しんでいる人の真っ暗なトンネルの”明かり”になったと思います。

「『死にたい』『消えたい』と思ったことがあるあなたへ」 ”誰だって死にたいと思うような辛いことに出遭うとき、言葉が力になることもある”

デポ剤は知りませんでした。

『持続性注射薬(デポ剤)』
https://meiekisakomentalclinic.com/blog/54/

 統合失調症の患者さんに対する薬の注射薬です。1回の注射で内服薬と同等効果が2週間〜1ヶ月の効果があります。近年、デポ剤は内服薬に比較し日常生活のメリットが多いことで注目されており、非定型抗精神病薬の種類のデポ剤が3剤開発されています。
 当院で取り扱っているデポ剤の製品名は、以下のものがあります。
・リスパダールコンスタ(リスパダールの種類、2週間効果を持つ)
・ゼプリオン(インヴェガの種類、4週間効果を持つ)
・エビリファイ(エビリファイの種類。4週間効果を持つ)
自立支援医療制度の対象となり費用負担が軽減される患者さんに使用することが多いです。

患者さんの病名まで変えて使っているとしたら、大問題です。
患者さんのためではなく、病院経営のために使っていることになります。

追記 ”和解” 沢井製薬の胃薬に禁止薬物…レスリングで発覚 "インドの原薬製造所でのコンタミ”

2021-03-22 16:58:16 | 社会
追記
沢井、ドーピング禁止薬物混入による訴訟でレスリング選手と和解 
https://ptj.jiho.jp/article/143375 2021/03/19


 沢井製薬は2021年3月16日、胃炎・胃潰瘍治療剤『エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」』へのドーピング禁止薬物アセタゾラミド混入をめぐり、国内男子レスリング選手から訴訟を提起されていた件について、10日付で和解が成立したと発表した。

 国内男子レスリング選手は、2018年6月に出場した全日本選抜選手権時に同製品を服用していたが、ドーピング検査において禁止薬物のアセタゾラミドが検出され、同8月に暫定的資格停止処分を受けていた。

 沢井は当該製品の原薬購入先である陽進堂とともに原因究明を進め、アセタゾラミドは陽進堂から購入した原薬製造元の製造ラインにおいて、生産設備を共有しているエカベトナトリウムにアセタゾラミドが残留し、最終製剤までキャリーオーバーしたことが原因との考えを示す報告書を2019年4月に厚生労働省に報告した。また混入レベルについても、PIC/S GMPガイドラインにおける最も厳しい基準である「10ppm基準」から逸脱しないこともあわせて報告している。一方でレスリング選手に対しては解決に向けて協議を行っていたが解決に至らず、2019年10月に約6000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起されていた。

今回の和解では、以下3点について合意している。

原薬および製剤に含まれていたアセタゾラミドについて沢井製薬の分析結果が正しい
エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」はPIC/S GMPガイドライン基準を逸脱していない
沢井製薬に法的責任を含む何らの責任はない


沢井製薬さんは名を取られたのでしょう。
和解金額が開示されていません。
訴えられた方は実を取られたのだと思います。

洗浄バリデーションでは3つの基準の一番厳しいのをGMP省令として求めています。
・10ppm以下
・0.1%以下
・目視確認以下
今回のコンタミは最大でも一桁のppmでした。
ただ、目視確認の時には、”スパイクテスト”でこの物質がいくらなら目視で確認するかを試験します。
ところが、インドの原薬製造所ではそのスパイク試験を行っていませんでした。
沢井製薬さんもそこまで要求されていませんでした。
それは本来GMPとして行っておくべきでした。
そこまで追求を問題視されたかどうかはわかりません。
そのことは弁護士側にGMPに詳しい人がいないと分からないかと思います。
沢井製薬さんは対策として、インドの原薬メーカーにこのスパイクテストを求められました。
今回のケースは、すべての医薬製造販売会社や製造所が”他山の石”として同じ失敗を繰り返さないことではないでしょうか。
ただ、この失敗はミスではなく、同じ製造所でドーピング対象薬を作っている場合には、GMPで求められている基準より高いレベルの基準がが必要だとの学びになります。


2019-04-30 01:22:00
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00050275-yom-soci 読売新聞4/20(土)

 沢井製薬(本社・大阪市)の胃腸薬「エカベトNa顆粒サワイ」から、ドーピング検査で禁止薬物とされるアセタゾラミドが検出された問題で、同社などは19日、インドのメーカーの工場で原料を作る際に混入が起きたとする報告書を厚生労働省に提出した。工場の同じ生産工程でアセタゾラミドを含む製品も作っていた。

 日本アンチ・ドーピング機構は同日、選手と指導者に対し、胃腸薬の使用に注意するよう呼びかけた。既に、ドーピング検査で陽性反応が出たレスリング選手に関し、胃腸薬に本来含まれていないはずの禁止薬物が入っていたためとして、暫定的資格停止処分を取り消している。

https://www.sawai.co.jp/release_list/20190419/671/
【第3報】エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」に関する調査結果のご報告

沢井製薬株式会社(本社:大阪市、代表取締役社長:澤井光郎)は、2019年3月4日に弊社製品『エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」』について、アセタゾラミド(※1)が微量に混入しているとの厚生労働省からの情報提供に基づき、使用中止と回収のお知らせをいたしました。ただちに、弊社及び当該製品の原薬購入先である株式会社陽進堂(以下「陽進堂」)にて原因究明を進めた結果、原因が判明しましたのでご報告させていただきます。なお、これらの調査結果をもとに、4月19日に厚生労働省に報告書(※2)を提出いたしました。
このたびは、皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけしましたことを改めて心よりお詫び申し上げます。今後、より一層の品質管理に努めてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

1.原因
弊社で取り扱いのないアセタゾラミドが混入していたため、原薬の製造段階で混入したのではないかと考え、当社工場に入荷済みの計145ロットの対象原薬のうち76ロットを分析したところ、76ロット全てにおいてごく微量のアセタゾラミドが混入していることを確認いたしました。したがって、対象原薬は全ロットにアセタゾラミドが微量混入していると推測されます。これは、陽進堂から購入した原薬の製造元の製造ラインで生産設備を共有しているエカベトナトリウムにアセタゾラミドが残留し、最終製剤までキャリーオーバーしたことが原因と考えます。
一方、別メーカーの原薬を同様に分析したところ、アセタゾラミドの混入がないことを確認したことから、本事案に由来する競技者のドーピング陽性反応は、アセタゾラミドが微量混入した対象原薬を含む弊社製品を服用したことが原因と考えられます。
2.今後の対策
混入レベルについてはPIC/S GMP ガイドライン(※3)の当事案における最も厳しい基準である10ppm基準から逸脱するものではありませんでしたが、キャリーオーバーの原因となった工程をより厳格に、残留量を可能な限り低減すべく、弊社品質管理体制の一層の強化に加え、陽進堂と協力して検討を行ってまいります。
3.安全性について
今回の調査で検出されたアセタゾラミドの量については極めて微量であり、無毒性許容量(※4)の1/1,000程度であることが確認されており、当該製剤であるエカベトNa顆粒66.7%「サワイ」を長期継続服用した場合であっても、安全性には問題ないものと判断しております。なお、これまでに本件に関連した健康被害の報告はありません。
ただし、アセタゾラミドは、2018年禁止表国際基準における「利尿薬および隠蔽薬」としてドーピング禁止薬物とされており、日本アンチ・ドーピング機構から注意喚起が発出されていることから、スポーツ競技者の皆様は引き続き服用を控えていただきますよう、お願いいたします。
また、同じ製造設備を共有している他の原薬2成分は国内で再結晶精製しており、アセタゾラミドの混入がないことを確認しております。
※1 アセタゾラミド:
1958年8月に販売開始された薬で現在も緑内障など多様な疾患に使用されています
※2 報告書:
2019年4月19日付で厚生労働省へ提出した報告書を添付しております
※3 PIC/S GMPガイドライン:
国際的な医薬品査察協定及び医薬品審査共同スキーム(PIC/S)のGMPガイドライン
※4 無毒性許容量 :
毒性学的に長期間継続してエカベトNa顆粒を最大用量で服薬したと仮定した場合であってもアセタゾラミドによる健康被害が生じないと考えられる量

◆お問い合わせ先◆
一般の患者様 0120-373-381(お客様相談室)
医療関係者様 0120-381-999(医薬品情報センター)
報道関係者様 06-6105-5718(広報・IRグループ)
【添付】2019年4月19日付_厚生労働省へ提出した報告書.pdf [160KB]
平成31年4月19日
厚生労働省医薬・生活衛生局 監視指導・麻薬対策課長 殿

沢井製薬株式会社 代表取締役社長 澤井 光郎
株式会社陽進堂 代表取締役社長 北村 博樹

報告書

エカベトナトリウム製剤からアセタゾラミドが検出された件につきまして、以下のとおりご報告申し上げます。

1.これまでの経緯
沢井製薬株式会社(以下「沢井製薬」)と株式会社陽進堂(以下「陽進堂」)のこれまでの対応経緯については以下のとおりです。

3月1日、厚生労働省監視指導・麻薬対策課から沢井製薬に対して『エカベトNa 顆 粒66.7%「サワイ」』にアセタゾラミドが微量混入しているとの第一報があり、翌日厚 生労働省監視指導・麻薬対策課と面談いたしました。沢井製薬工場では混入疑義のある当該物質を取り扱っていなかったことから、エカベト製剤の製造に使用した原薬に混入していた可能性が考えられました。3月3日、沢井製薬社内での検討の結果、市場出荷済で使用期限内(3年)の全162ロットの自主回収を決定し、3月4日より回収を開始いたしました。また、原因究明のため、エカベトナトリウム中のアセタゾラミドの分析法の検討を開始し、製剤及び原薬の分析を実施いたしました。

陽進堂は、3月3日に沢井製薬より第一報を受けた後、事実確認のため直ちにNAKODA 社へ機器の洗浄手順、確認方法及びアセタゾラミドの生産状況についての調査依頼を実施するとともに、沢井製薬同様、分析方法の検討を行い原薬及び製剤の分析を実施いたしました。

沢井製薬及び陽進堂での分析結果、原薬製造所であるNAKODA 社におけるこれまでの管理状況と検討依頼事項等については、以下のとおりです。

2.製剤の分析結果
NAKODA 社製原薬を使用して生産された製剤(沢井製薬:エカベトNa 顆粒66.7%「サ ワイ」、陽進堂:エカベトNa 顆粒66.7%「YD」及びその共同開発製剤(日新製薬株式 会社:エカベトNa 顆粒66.7%「NS」、マイラン製薬株式会社:エカベトNa 顆粒66.7% 「ファイザー」、辰巳化学株式会社:エカベトNa顆粒66.7%「TCK」))の内、使用期限内のロット分析(LC-MS-MS 法、沢井製薬14 ロット、陽進堂及び共同開発製剤 197 ロット)を行いました(定量限界:0.1ppm)。全211ロットを分析した結果、定量限界以下~5.3ppm(平均値:0.6ppm、中央値: 0.4ppm)のアセタゾラミドが検出されました。内訳は、沢井製薬14ロットの結果が、0.2ppm~5.3ppm(平均値:1.0ppm、中央値:0.9ppm)、陽進堂及び共同開発製剤197ロットの結果が、定量限界以下~2.9ppm(平均値:0.5ppm、中央値:0.4ppm)でした。分析を行った製剤211ロット中1ロットで5.3ppmと他のロットと比較して高い値が 認められたロットがありましたが、その他はいずれも低い値で推移していることを確認しました。 一方、別製造所の原薬エカベトナトリウムが使用されたエカベトNa顆粒66.7%「サワイ」からは、アセタゾラミドが検出されませんでした(LC-MS-MS法、7ロットいずれもN.D.(検出限界0.02ppm))。

3.原薬の分析結果
沢井製薬、陽進堂にてNAKODA 社製原薬エカベトナトリウム中のアセタゾラミドについて分析(LC-MS-MS 法、延べ138 ロット)を行った結果、全ての原薬ロットから0.1ppm ~7.6ppm(平均値:1.1ppm、中央値:0.8ppm)のアセタゾラミドが検出されました(定量限界:0.1ppm)。分析を行ったNAKODA社製原薬のうち、2ロットで6.2ppm、7.6ppmと他のロットと比較して高い値が認められたロットがありましたが、その他はいずれも低い値で推移していることを確認いたしました。一方でエカベトNa顆粒66.7%「サワイ」に使用されていた別製造所の原薬エカベトナトリウムからは、アセタゾラミドが検出されませんでした(LC-MS-MS 法、5 ロットいずれもN.D.(検出限界0.02ppm))。以上の分析結果から、エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」にアセタゾラミドが混入した原因は、NAKODA社製原薬からのキャリーオーバーと判断いたしました。

4.洗浄基準に関する考察
PIC/S GMP ガイドラインでは、製品残渣のキャリーオーバーについて、以下の3つの内最も厳しい基準で管理するように指導されています。
1)次製品の最大1 日使用量に含まれる量が、ある製品の通常使用量の 0.1%以 下(0.1%基準)
2)他の製品に含まれる製品の量が10ppm 以下(10ppm 基準)
3)洗浄手順を実行した後の設備上に残留物が見えない(目視基準)
上記3つの基準に従い、エカベトナトリウム中のアセタゾラミドのキャリーオーバーについて評価を行いました。

1)0.1%基準
アセタゾラミドを有効成分として含有する製剤(ダイアモックス)の添付文書から、アセタゾラミドの一日最小投与量は、適宜増減を考慮して62.5mg。 エカベト Na 顆粒 66.7%の添付文書から、原薬エカベトナトリウムの一日最大 投与量は、4,000mg。原薬エカベトナトリウムの一日最大投与量4,000mg 中に許容されるアセタゾラミドの混入量は62.5mgの0.1%として算出すると、62.5(mg)×0.1%/4,000(mg) =15.6ppm となります。

2)10ppm 基準
原薬エカベトナトリウム中に含まれるアセタゾラミドの量が、10ppm 以下とな ります。

3)目視基準
目視基準の採用に当たっては、設備表面と同じ材質を使用した模擬表面を用意し、そこに希釈した薬液を塗布して乾燥させた後、表面上の物質の有無を目視確認することにより目視確認できる塗布量の検出限界を検証するスパイクテストの実施が求められますが、NAKODA 社ではスパイクテストを実施しておりません。また、前述の0.1%基準、10ppm基準と同等以上の検出能力が実証されない場合、目視基準を採用すべきではないとされていることから、0.1%基準、10ppm基準がより厳しいと判断いたします。

上記のとおりPIC/S GMPガイドラインにおいて最も厳しい基準は10ppm基準となります。原薬及び製剤の分析結果から、いずれも10ppm 未満で推移していることを確認しております。以上の結果から、原薬エカベトナトリウムへアセタゾラミドがキャリーオーバーしたことが原因で、原薬及び製剤から検出されておりますが、その混入レベルについては、PIC/SGMPガイドラインの基準から逸脱するものではありませんでした。

5.製剤の安全性に関する考察
アセタゾラミドが検出された原薬ロットを使用した製剤を、長期継続服用した場合のヒトへの安全性に関する影響について、以下のとおり考察いたしました。
アセタゾラミドを有効成分として含有する製剤(ダイアモックス)のIFの記載内容から、アセタゾラミドの無毒性量(以下、NOAEL=No Observed Adverse Effect Level)は、100mg/kg/日。ヒトへの無毒性量から一日摂取許容量(以下、ADI=Acceptable Daily Intake)とした場合、ADI=NOAEL/不確実係数積と表せます。
不確実係数積=(種差)×(個人差)×(試験期間)と表すことができる(種差の係数(動物試験:ラット);10、個人差の係数;10、試験期間6ヶ月の場合の係数;
2)ので、ADI=100(mg/kg/日)/(10×10×2)と表され、ADI=0.5mg/kg/日となります。 体重50kg のヒトを対象とした場合、ADI(50kg)=25mg/日となります。前述のとおり、エカベトNa顆粒66.7%製剤の一日最大投与量は、適宜増減を考慮 すると6g(エカベトナトリウムとして4,000mg)となります。製剤中の無毒性許容量は、ADI(50kg)/エカベトNa顆粒66.7%の一日最大投与量で表されることから、25(mg/日)/6,000(mg/日)=4,167ppm となります。

製剤の分析結果から製剤中のアセタゾラミド混入量は、いずれも無毒性許容量の1/1,000 程度であることが確認されております。以上の結果から、当該製剤を長期継続服用した場合であっても、安全性には問題無いものと判断しております。なお、これまでに本件に関連した健康被害の報告はありません。

6.原薬製造所であるNAKODA社でのこれまでの管理状況
NAKODA社における生産後の洗浄手順は、設備を共用する品目のうち、製品特性に応じてグループ分けを行い、グループごとの洗浄方法を設定しておりました。また、共用設備ごとにこの洗浄方法に従い洗浄作業を行った後のリンス液を回収し、そのリンス液中の成分濃度を測定する形で、洗浄作業の確認をキャンペーン生産ごとに行っておりました。リンス液中の成分濃度の規格は、APIC※ガイドに基づきMACO(最大許容キャリーオ ーバー量)を算出し、基準値を設定して運用されておりました。NAKODA 社の洗浄後の確認結果について記録を取寄せ確認したところ、キャンペーン 生産後のリンス液中濃度は、いずれも基準値以下で管理されており、GMP 上一定の製造管理が実施されていたことを確認しました。
※ APIC:Active Pharmaceutical Ingredients Committee;Cefic(欧州化学工業連盟)の原薬委員会

7.NAKODA 社への検討依頼状況
今回、原薬エカベトNa からアセタゾラミドが検出されたことを受け、より厳格な洗浄作業の実施と洗浄確認基準の見直しをNAKODA社へ検討するよう要請を行っており ます。まずは、キャリーオーバー量を技術的・科学的に減らせるのかを検討するため、以下の検討を依頼いたしました。
①機器の洗浄ワーストポイントの再検索と洗浄方法の見直し
②リンス回数とリンス液中の成分濃度の推移の確認

NAKODA 社からは、
①について、現在洗浄しにくい部分については分解した上で部品を洗浄している旨の回答がありました。しかしながら、分解した個々の部品の洗浄状態の確認と、現在までに認識されていないワーストポイントが存在している可能性も考慮し、洗浄ワーストポイントの再検索と洗浄方法の見直しについて、再確認と検討を依頼しております。
②については、NAKODA 社より 2018 年のキャンペーン生産切換え時のリンス液濃度の確認結果から、それぞれの共用機器で最もリンス液濃度が高かったものを積算した結果について報告がありました。この報告によると、リンス液中のアセタゾラミド残 留量が、全て次生産のエカベトナトリウムにキャリーオーバーしたと仮定した場合であっても、その総量は1.26gであり、原薬1ロット中の濃度としては、4.8ppmでした。結果的にPIC/SGMPガイドラインの10ppm 基準を満たす形にはなりますが、更なる残留量の低減が可能であるかを見極める必要があることをNAKODA社へ説明し、NAKODA社にてリンス回数を増やした場合の検証を近々に実施いたします。その結果については、別途ご報告いたします。引き続きNAKODA 社と問題意識を共有するとともに、残留量が可能な限り低減できるよう洗浄方法の改良を進めてまいります。

8.今後の対応について前述したとおり、LC-MS-MS法による製剤分析結果から、市場流通中のエカベトNa製剤の安全性については、問題無いと考えております。しかしながら、NAKODA社での洗浄作業の見直しが完了するまでの期間についても、製剤のモニタリングが必要と考えております。今回製剤の分析をLC-MS-MS 法で行いましたが、本分析機器は、研究開発部門所有の分析機器であり、製剤工場では保有しておらず一般的なGMP 管理上の分析機器ではありません。今後生産するエカベトNa製剤については、GMP管理上一般的な分析機器であるHPLCを用いて出荷判定時に確認することを検討しております。また、NAKODA 社にて原薬アセタゾラミドと生産設備を共有している原薬ファモチジン、原薬ノルフロキサシンについては、陽進堂にて精製工程を実施しており、いずれの原薬からもアセタゾラミドの検出は認められておりません。従ってエカベトNa顆粒のような原薬及び製剤へのキャリーオーバーのリスクは無いと判断しております。その他、生産設備を共用している原薬同士のキャリーオーバーの状況については、NAKODA社と協力して引き続き検証するとともに、安全性等の観点から評価を行い、問題無いことを確認していく所存です。また検証作業とは別に、前述のとおり、NAKODA社における生産機器の洗浄方法の改良を進め、残留量を可能な限り低減した上で、PIC/S GMP ガイドラインの10ppm基準を十分に満たす形で適切に管理されるよう引き続き指導してまいります。

以上

http://www.info.pmda.go.jp/rgo/MainServlet?recallno=2-8721
販売名:エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」の製品回収


https://www.japan-sports.or.jp/news/tabid92.html?itemid=3930&dispmid=457
競技者及び指導者へのアンチ・ドーピングに関する注意喚起について


https://www.pref.ehime.jp/h25300/tsuuchishuu/yakuji/documents/tougou.pdf事務連絡 平成 31 年4月 19 日
都道府県薬務主管課 御中
厚生労働省医薬・生活衛生局監視指導・麻薬対策課
医薬品へのドーピング禁止物質の混入について


https://www.sawai.co.jp/company/release/
沢井製薬 2019年プレスリリース

https://www.sawai.co.jp/files/press/2019/20190305.pdf
【第2報】エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」 使用中止と回収に関するお知らせ

https://www.sawai.co.jp/files/press/2019/t3xfp1pgnb.pdf
エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」 使用中止と回収のお知らせ


https://www.wada-ama.org/sites/default/files/resources/files/wada_2019_japanese_prohibited_list.pdf
世界アンチ・ドーピング規程(禁止薬剤リスト)
THE WORLD ANTI-DOPING CODE INTERNATIONAL STANDARD PROHIBITED


PMDAの回収サイト(3月4日に回収実施)
http://www.info.pmda.go.jp/kaisyuu/rcidx18-2m.html
2-8721 2019/03/04 医薬品 エカベトナトリウム水和物 エカベトNa顆粒66.7%「サワイ」 沢井製薬株式会社


感想
この問題は医薬品製造の品質(GMP)を考える場合、いくつかの課題があります。
GMPで求められている洗浄基準を一応クリアーしていた。
しかし、ドーピング医薬品のコンタミはGMPの基準以下であっても問題になる。
原薬製造所では”高薬理活性”を同じ製造ラインで造っていないかどうかを確認していますが、その高薬理活性に加えてドーピング薬剤も加えて、製造していないかどうかの確認が必要になります。
原薬製造所だけでなく、ドーピング医薬品の製剤製造所でも兼用の確認とppbレベルでの確認が必要なのでしょう。

GMP/レギュレーション上で気になる点は以下です。
1)目視の確認レベルを行っていなかったのでは?
2)原薬製造所ではリンス法で行っていたが、GMPでは「洗浄の確認は第一選択肢はスワブ法で、スワブ法を使う場合はリンス法と同等もしくはスワブ法では評価できない場合」となっているので、スワブ法を確認したとの記述がないのでは?
3)「陽進堂にて精製工程を実施しており」
この原薬については精製工程がなかったことになります。
なぜ、他の原薬は精製して、この原薬は精製しなかったのでしょうか?

「ファラデーろうそく物語」マイケル・ファラデー著 ”観察の視点を教えてくれるろうそく”

2021-03-22 00:40:44 | 本の紹介
この本は、1860年の冬休みのファラデーの講演を、クルックスというイギリスの科学者が集めて出版したものです。
・ろうそくの話
 ・ろうそくの構造、動き、明るさ
 ・ろうそくの焔の明るさ、燃焼に必要な空気、水ができること
 ・燃焼からできる水、水の性質、化合物、水素
 ・ろうそくの中の水素、燃えて水になること、水のもう一つの成分、酸素
 ・空気中の酸素、大気の性質、もう一つの産物、炭酸ガス、その性質
 ・石炭ガス

・皆さんの時代がきたとき、皆さんがろうそくにたとえられるように、世の中の役に立っていただきたいこと、ろうそくのように、皆さんのまわりを明るく照らしていただきたいことであります。また私は、皆さんが、あらゆる行為をつうじて、全人類のために義務を遂行し、あの美しいろうそくのごとく、光輝あり、かつ有益な仕事をなさることを希望するものであります。

・リポーという本屋さんへ勤めるようになったのは、マイケルが13の歳のことでした。マイケルは、まず新聞の配達をさせられましたが、翌年からは本をつくる仕事(製本)を習うようになりました。仕事のひまを見て、本の中身を読むことができます。上の学校へ行けなかったマイケルには、これは何よりもうれしいことでした。それに主人のリポーさんがまた、たいそうものわかりのいい人で、いつもマイケルにむかって言いました。
「うんと勉強するんだよ。本の外側を見るついでに内側を見たって、ちっともかまわないことだ。仕事を怠けさえしなければネ・・・」

感想
授業でろうそくの観察をして気づいたことを書きだすことをしたことがあります。
内炎と外炎、その温度。
ろうが溶けて上がっているなど。

ファラデーの講演では、水素、酸素、炭酸ガスまで実験で興味深く紹介していました。

ろうそくを人類が手にするまでは、松明でした。
ろうそくにより、人は明かりを簡単に手にすることができるようになりました。
鯨を捕獲したのは、鯨油を取るためでした。

ファラデーは百科事典で、”電気”というものを知り、それに興味を持ちました。
松下幸之助も電気に興味を持ち、その技師になりました。

興味を持ち、それを追究していくことは自分のエネルギーを費やせるようです。

「心に太陽を持て」山本有三著 ”どうしたら心に太陽を持てるかのヒントが”より
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/440d74baf953a23b46b78370b4e9a91d

・マイケル・ファラデーは電磁誘導という今の発電やモーターの原理を発見しています。
ファラディの左手の法則は今でも覚えています。
実はファラデーは製本工でそこで印刷している本を読み、知識を深め、その本の中に百科事典があり、そこで新しい電気のことを知りました。
電気を研究したいと思い、ハンフリー・デイヴィ(当時の世界的な王立科学研究所の先生)の公開講義に何とか参加します。
そしてさらに実験助手として雇って欲しいと願います。
その時、デイヴィ先生の講義のメモを送っています。それがきっかけで仕事を得て、大科学者として多大な功績を残しました。
デイヴィ先生の一番の功績はファラデーを発見したことだとも言われるほどです。道を自ら切り開いていくことの大切さを教えてくれます。

「困難を希望に変える力 3.11 10年後のことづて」渡辺祥子著 "人生からの過酷な問いに応えて!”

2021-03-21 00:00:00 | 本の紹介
・「いちごは流されても、気持ちは流されていないから」(宮城県山元町のいちご農家の方の言葉)

・11名の方々の生き方に共通する、「それでも前を向く力」の源流を求めてみようと考えました。
拠り所とするのは、「夜と霧」(強制収容所の体験記)の著者としても知られるウィーン出身の精神かい、ヴィクトール・E・フランクルの言葉や、フランクルが創設した精神療法「ロゴセラピー」の考え方です。

・藤波祥子さん(八重垣神社の22代目宮司/大津波により、全てが流出)
「今、目の前に起こっていることが、私の人生」
次々と支援の輪が広がり、2017年の夏に社殿が再建されたのです。
「ただただ、昨日の続きの今日を大切に生きてきただけです。だって、今日の続きの明日は保証されていない事を、あの時体験しましたから」

・山内正文さん(三陸町で生魚店を営む)
「がっかりはしたけれど、落ち込むことはなかった」
「みんなの今晩寝るところ、何とかしなくてなんねっちゃ」
「みんなの食うもの何とかしなくてなんねっちゃ」
「会社のこと、社員のこと。何とかしなくてなんねっちゃ」
と動き続けた山内さん。

・菊池里帆子さん(当時小学5年生)
「その(津波の)体験を超え、もっと良い町をつくれるように、応援してくれる人への感謝を忘れず、精一杯生きていきます」と(新任の先生を迎える着任式で)、児童代表で挨拶をした。
「どうして津波のことを言おうと思ったの? 怖くないの?」
「里帆子だって、今でも怖い夢を見るよ。でもね、これを言わないと何も始まらないような気がしたの」
「輝く太陽がなくなったら、私が小さく輝けばいい。小さな私でもだれかの心の光、希望の光となるように一生懸命頑張ります」
震災から10年経た今、思いを書いて欲しいに、
「出帆 浮世の闇を照らしてぞ行く」(伊達政宗の辞世の句の一節)
が添えられていました。

・工藤真弓さん(上山八幡宮の禰宜)
南三陸町志津川で被災した工藤真弓さんは、震災震災直後、ある言葉によって救われたと話します。
それは、未来に向けて開かれたまなざしで語られた、息子さんの言葉でした。
「ゆうすけには
こわれた
ふるさとが
あるんだよ
しづがわ」 工藤由祐(当時4歳)

・川島紀奈代さん(姉夫婦と義理の姪を亡くしました)
河北新報社が募集した「ありがとうの詩」に「亡くなったお姉さんに何かを伝えたい」との思いが膨らみ作品「はっちゃん(お姉さんの名前)」投稿。最優秀賞5篇の1つに選ばれました。
「今でも思い出すとせつなくなるけれど、はっちゃんのことをわすれないことが、私が生きることなの」

・佐藤敏郎さん(震災の4年後に教職を辞して、被災体験をした若者の語りつぎの場をつくり、自身も語り部として活動)
女川第一中学校では、震災後、全校生徒約200人が俳句を作るという授業を行いました。
見たことない 女川町 受け止める
いつだって 道のタンポポ 負けていない
逢いたくて でも逢えなくて 逢いたくて
うらんでも うらみきれない 青い海
配達が 増えた昨日も また一軒
白い地に これからの絵の具を ぬっていく
川柳の世界では、表現することを「吐く」と言う。
当時の女川一中生が苦しみながら吐いた「言葉」によって、彼らと共に私たちは、生きる力をてにしているのです。
震災で佐藤さんは、太田小学校(石巻市)6年生だった次女のみずほさんを亡くしています。

・徳永利枝さん(「雄勝ローズファクトリーガーデン」を造る)
「ここを、故郷と人をつなぐ場所にしたい」
「花のおかげで地べたに張りつけたし、つなげていこうとして歩んだ10年でした」
「あり続けること」

・小野崎秀通さん(「洞源院」住職)、美紀さん
地域に保育園をつくる動きへと駆り立てることになりました。
「子どもの笑顔なくしては、真の復興はない」

・梅村マルティナさん(出身であるドイツの毛糸「Opal」の販売と関係商品の制作・販売を行う会社を立ち上げました。当時京都に住んでいた)
「いつまでも支援されているだけではいけない。自分たちで稼げるような仕組みを作ろう」と、株式会社を設立しました。今では15人のスタッフを抱えるまでになりました。

・木村仁さん(「石ノ森萬賀館」を運営)
ベニヤ板40枚分に書かれた応援メッセージ。
紆余曲折を経て再オープン。

「そう、今更かもしれないけれど、人って凄いのです。そして、当たり前だけど、あなたも私も、その、“すげぇ人”なのです」
そしてそれは、とりもなおさず私自身が求め、自分自身に繰り返し言い聞かせていたメッセージだったのだと、今改めて思いました。

感想
勝田茅生さん
「震災に意味などありません。意味は、それを体験した人たちがそれぞれ、その行動を通して見出して行くものです」

ここの紹介された11名の以外にも多くの人が意味を見出されたと思います。
著者の渡辺祥子さんも「伝える」との意味を実践された来られました。

受け取った人も様々と思いますが、生きるエネルギーを自ら生み出し、その人の意味を見出していかれるのだと思います。

2021年2月05日
3.11メモリアル企画「10年後のことづて」"


-ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html

阿川佐和子さん「サワコの朝 野村万作、萬斎、裕基さん」 ”型を身に付ける”

2021-03-20 09:38:38 | 生き方/考え方
万作さん89歳。今でも現役。
型を超えている。型を守っている。型を作っているところ。親子でなく子弟。

ビートルズ「LET IT BE」
萬斎さん。型にはめられている。この曲は当時の全て、自由にと。
葛藤があった上での曲。なぜ狂言をやらないといけないか。

中学、高校の時、悩んでいたのは知っていた。
万作さんも、狂言をやらされていた。家出しようと思うことはなかった(万作)。
萬斎さんは家出したことがある。母親とあって。

代々野村家では3歳で舞台を踏む。孫には楽しくやるようにしている。
萬斎の稽古が厳しい。
型を身に付けて誤作動しないようにしないといけない。
決意がないと一方的になる。「辞めてやる」と言われない程度に厳しくしている。
萬斎には厳しくしたと思う。
バスケットと狂言は動きが違う。バスケットは「止めろ」と言った。
妻が沢田研二が好きでポスター貼っていたので破った。
その後猫を飼って“ジェリーと名前を付けていたのを可愛がった(万作)。
練習終わった後、キャッチボールをして遊ぶようにしていた。
姉、私、妹。娘には甘すぎる。師弟関係がないと親の方も楽。

映画「シン・ゴジラ」にも出演(萬斎)。
「月に憑かれたピエロ」にも出た(万作)。
狂言の技術は他にも使えるということを父(万作)が実践してくれた。
狂言とシェイクスピアは共通しているところがあるとしった。
狂言の技術でシェイクスピアを演じた。
狂言は笑いだが、持っている技術は笑いだけでない。
それが生かせると自分たちのアイデンティティになる。

狂言を観に来るお客さんが変わった。
今まで笑わないところで笑うようになった。
それは彼(萬斎)の努力があったかと。
人前では褒めないですが。

「附子(ぶす)」 砂糖を盗んで舐めるだけの話だが、当時は砂糖は水あめ状が前提。
それを翻訳して伝えるのが難しい。
そこで海外で行う時は砂糖をハチミツにすると話が通じやすくなる。
狂言への観方が変わって来た。

楽しさを感じるように教えてくれているのかもしれない。
甥も若いもいると幅の広い狂言をお見せできるのではないか。

感想
『花伝書』に”守破離”の言葉があります。
守とは型を覚える。
破は型を破る。つまり挑戦。
離は自分ならではの技を持つ。
まさに万作(離)、萬斎(破)、裕基(守)なのでしょう。
この守破離は何かを身に付ける時には共通しているように思います。
特に守では優れた型を身に付けることなのでしょう。