・The Things I Wanna Do Before I Die
1)インドでボランティアをする
2)サバンナに行って動物たちを助ける
3)チリの新聞社でインターンをする
4)コスタリカでウミガメを保護する
5)カザフスタンで自分そっくりな人を見つける
6)エベレストのハイキングに挑戦
7)イラリア・ナポリにある青の洞門で泳ぐ
8)死海で泳ぐ
9)ニューヨークで暮らす
10)リオのカーニバルで踊る
11)ヨガをする、できればインドで、そして毎日の生活習慣にする
・入院生活では、パジャマのまま通える「院内学級」に通っていた(中学)。そこで、本当に様々なかたちで「生きる」と毎日直面している子どもたちと机を並べることになった(ほとんど机なんてなかったような気もするけど)。「生きているだけでいい」「私は私」。そう日々の中で退官したことで、いま思うと、ふにゃふにゃの心を包んでくれる皮ができたような気がする。
・多動で集中力に欠ける、ADHD傾向のある自分が、苦手なことも或る程度うまくできるよう、最近、一日のルーティンを何とか確立しようとしていた。
・初めて出会ってから、もう四年が経つ。2017年5月に、私が性被害を自分の言葉で公にしてすぐ、ロンドンから救いの手を差し伸べてくれたのが田中明美さんだった。誹謗中傷、賞賛、脅迫、無関心=会見の後、それまでのように日本で生活が出来なくなっていた私の状況を想像して、代理人を務めていた西廣弁護士に連絡をくれたのだ。「イギリスに来てください、としおりさんに伝えて」
・私に呼吸する場所を与えてくれた明美さんは、それから私の「イギリスのお母さん」になった。
・「被害届を出したら、これまでの努力も水の泡ですよ。業界では働けなくなるでしょう」
捜査員はそう言った。
・荻上チキさんをはじめとするリサーチチームの調査に基づいて、ネット上での誹謗中傷について裁判を始めると会見で話してから、ちょうど一年が経っていた(当時の調査によれば、70万件を超える書き込みのうち名誉棄損的なものは3万件、グレーなものは5万件あった)。
・ここ(ペルー南部)ではコカ栽培が盛んだ。・・・。
そしてここで生まれ育った子どもたちはコカインをつくる。
少年たちは「決してコカインには手を出さない」と口を揃えた。どんなに有害なものを入れているか知っているからだという。
・三年間同棲した彼は、初めて家族以外にできた家族だった。被害に遭った直後、警察から何度か、彼氏はいるのかと聞かれた。彼と別れてちょうど一年くらいのことだった。「いません」と答えると「そうですか、良かったですね。彼がいたらつらいでしょうし」と言われた。私がつらいのか? 彼がつらいのか? その言葉の真意を理解できなかった。
・マラリアは早い段階で治療すれば治る病気だが、医療へのアクセスが充分でない地域では、いまだに悪魔のように恐ろしい病気とされている。2020年4月20日時点で、新型コロナの死者数は世界で16万5千人を超えた。一方、今も年間40万人以上がマラリアで命を落としている。・・・
2020年の1月にFGM(女性器切除)の取材のため、私はシエラレオネに戻り、そこでマラリアの洗礼を受けた。・・・
従来は儀式でFGMが行なわれ、それが終わって初めて「一人前」の女性とされてきた。ところが今回、新たな試みとして、身体の安全のためにFGMを行なわずに、形だけ伝統の儀式を挙行することになった。森に入ったら外界に一歩も出ない、携帯電話などで外部とコンタクトをとることは禁止、身体を拭く以外、髪も洗ってはいけない-儀式を仕切る村のおばあさんたちに従い、伝統を守るというルールのもの、私も儀式に参加した。二年ほどかけて連絡をとってきたので、ついに取材の許可が下りたことがうれしかった。・・・
そんあ集団生活も半ばに差し掛かったころ、私は急に寒気に襲われ、やがて立つこともままならなくなった。一週間、森の外にでてはいけないというのがルールだったで、おばあさんに事情を伝えると、マラリアの簡易テストを持ってきてくれた。検査結果は彼女たちの予想通り陽性だった。病院に連れて行ってほしい、そう伝えたものの、寝起きしていた納屋とは別の小屋に連れて行かれ、外から鍵をかけられた。「儀式中に外に出ると悪魔に襲われ死ぬ」ということらしい。・・・
儀式の終了まであと二日。・・・
逃げるようにして村を出て、一番近くの病院で血液検査を受けたところ、やはりマラリアだった。・・・
・FGMやマラリア治療、それにまつわるあらゆる慣習や伝統は、遠い国の出来事のように聞こえるかもしれない。でも「~するべき」という刷り込みはどこにでも存在する。私たちの社会で似たようなおこtが起きていないか? と考えてしまう。
・性被害を受けたあと、何度も死にたいと思った。死にかけて、生き続け、生かされて、そして多くの「今日が最後の日だと思って生きよう」を繰り返してきた結果、今ここにいる。そうやって、「今を楽しむ」「今を生きる」ことが最近、すこし上手にできるようになったと思う。
・どれほど大声で事実を語っても、閉ざされた扉の中で行われた行為は、結局、その当事者がどのくらい信頼できる人物なのかによって判断され、裁かれる。しかも、その「信頼「」とは人間性に対するものだけではない。社会的ステータス、出身大学、役職、家柄・・・まるで日本にも見えないカースト制度があるかのように。
・結審が終了し、あとは、高裁判決を待つだけとなった。
裁判所の入り口では、囲み取材のために記者の人たちが待っている。外へ出る前に呼吸を整えようとトイレに入り、ドアを閉めてしゃがんだ途端、涙があふれた、声もあふれた。めまいと痺れの渦で、頭と心が居場所を失いぐるぐるとさまよっているあいだ、いま自分が何をどう感じ、質問に答えられるのか、その前に自分の足で立てるか、不安になった。
・彼は言った。
「何か引っかかることがあったら、すぐに聞くべきって教えてくれたのは詩織だよね」
かれは優しい面をもつ人だった。
裁判前後、私が体調を崩すと傍らで看病してくれた。何があったら安心できるかを、いつも考えてくれていた。
でも、目の前にいるその人は、私を疑っている。理解できそうで、まったできなかった。
・あさみ(いつもバレンタインや誕生日を一緒に祝える友人)いわく「変に正義感強くて、体力のある」私は七年間、走りすぎたのだ。・・・
私が自殺未遂を起こしてしまったときは、「苦しいと思うけど、あさみはこの世界にいるから、わたしのために生きて」って言ってくれた。あさみのためなら生きるしかなかった。
大切な人のためなら頑張れる。そう、思わせてもらって、私は生かされた。
・私は自分の性被害について、偶然、事故に遭ったのだと考えたかった。・・・
偶然に見えることも、結局すべては、重ねられた(無意識であれ)選択の上に起こる出来事なのだろうか。
そうかもしれない。ただ、私はその相手も出会あなかったらと願わないことはない。
でもその人に出会わず、この事件が起きていなかったら、いまや私の人生に欠かせなくなった人々とも出会えていなかっただろう。そのことに思いを巡らせると、混乱して心が潰れそうになる。たぶん、このエッセイを書くこともなかったはずだ。
・「生きのびる」から、だた「生きる」に、自分が置かれている環境がはっきりと変わったことがわかった。・・・
この七年間、私は生きのびることに必死だった。
・時間が癒してくれる。そんな言葉でなだめられるのが嫌で、これまで噛みついてきたけど、時間の中でゆっくりと進んでいくことは確実にあるのだ。・・・
(ここまで生きてきた私に、そしていま、自分の人生を生きている私に喝采を!)
・NHKで2022年2月13日、「声をあげて、そして」というドキュメンタリーが放送された。同世代のディレクターたちが2017年から、何度も社内で企画を跳ね返されながら、時には自費で取材を続けてきて、今年ついに早朝の番組枠で形にすることができたのだ。
NHKは、これまで私自身に起こった性暴力事件について報道していなかったので、ここまで来られたのは、ディレクターたちの奮闘の賜物だった。
・コンゴ民主共和国の東部ブカヴに病院を設立し、性暴力で傷ついた女性たちの治療に携わってきたムクウェゲ医師は、「レイプは最も安い兵器である」と言っていた。それは、傷つけらえた人の土台だけでなく、その周りや家族も破壊してしまう恐れがあるからなのだと思う。
・当時、私が懇願してもデートレイプドラッグの検査は存在しなかった。今ではその使用が疑われる際、検査を行ない、証拠保全を徹底するよう警察庁から通達が出されている。時代は確実に前進している。
・ジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』は迷子だった感情の合流先を示してくれた。
・裸で泳いだその瞬間が、私として生きていると感じた時間だった。
感想;
詩織さんが勇気を出して性被害を訴えました。
そして彼女を支える人がいる社会、それにホッとしました。
それは自分にも問われているように思いました。
山口敬之氏準強姦の逮捕を停止する指示を出す人、それに従う人。
詩織さんを枕営業とネットで言って裁判で負ける人。
そういう人が首相?だったり、刑事局長だったり、国会議員だったりしている日本。
一方、詩織さんを支える肩書のない人。
自分の生き方が問われているのでしょう。
詩織さんはとてもピュア―な真っすぐな方のように思いました。
病気で入院、そして院内学級経験。
そしていろいろなことにチャレンジ。
仕事を広げるために、山口氏に会われたようです。
山口氏のレイプドラッグ?など使わずに、詩織さんに好かれる選択肢もできたのですが、所詮そういう人でなかったのでしょう。
女性の人格を無視しても気にならない方だったようです。
海外に留学したいと親に言ったら、反対しないけど自分のお金で生きなさいと言われ、アルバイトをしたとのこと。
彼から「あったことを正直に言って欲しい」と言われたことがとてもショックだったようです。
話を聞いて真偽を確認したい彼の気持ちが、詩織さんに伝わったのでしょう。
話を聞かなくても、「詩織さんを信じる」ことが出来なかったのでしょう。
世界が敵に回っても、詩織さんを信じることが出来なかったのでしょう。
しかし、知らなかった人が詩織さんを信じて支援された人もいらっしゃいました。
自分を無条件で受入れそして信じてくれる人が一人でもいるのは大きいですね。
ガールフレンドのあさみさんはそのお一人のようです。