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ウクライナ避難学生と学費を巡りトラブル 前橋の日本語学校 ”ウクライナの人を支援したいとの発想でなく、どさくさに紛れて金儲けしたいとの発想がトラブルの元”

2023-02-24 15:26:00 | 社会

 ロシアによる侵攻を受けたウクライナから逃れた学生たちと、前橋市内で日本語学校などを運営する学校法人との間で学費を巡るトラブルが起きていることが、関係者への取材で判明した。一部の学生らは「事前に一定期間は学費無料と説明されていたのに、その期間内から支払いを求められた」と主張。一方で、学校法人側は「(そうした)契約も約束もない」などとしている。一部の学生は既に東京都内の学校に移るなどしたという。

 学生らに住まいとして市営住宅を提供し、一部への教材費補助を決めている前橋市もこのトラブルを把握。学校法人との話し合いに疲れて心身の不調を訴える学生もいるとして、精神保健福祉士や保健師を派遣している。

 この学校法人は「ニッポンアカデミー」で、運営する日本語学校などで2022年5月以降、ウクライナから避難してきた学生の身元保証人になり、計約40人を受け入れている。

 複数の学生によると、来日前に学校法人の関係者から日本語学校や専門学校の案内をメールで受け取った際、行政の支援を前提に「学費は無料」などと書かれていたという。無料期間は「1年」や「半年」と伝えられたとしている。

ウクライナにいる学生に、学校法人の関係者から送られたメール。前橋市からの支援を前提に、「住まいと学費は無料」などの記述がある=2023年2月7日、庄司哲也撮影
⇒前提との言葉はなく、前橋市から支援を受けるから無料との説明で、これだと無料と受け取る

 しかし学校法人側は9月、学生の来日時期にかかわらず学費を請求すると連絡した。10月に説明会があり、配布された資料では理由について「(当初の案内は)最大の支援の可能性として提示した内容で、契約でも約束でもなく、意向」などとしている。
⇒そうならきちんと説明すべきです

 学校法人側は学費の支払いについて、学校に入金
▽学校法人理事長が代表を務めるNPO法人の活動資金として入金
▽ウクライナ大使館または日本赤十字社へ学生名義で学校を通じて入金
――のいずれかを選ぶ案を提示した。

 ある学生は10月分から半年の学費として約30万円を求められたといい、別の学生は「学生証ももらっていない状態なのに、学校法人から学費を払うように何度も求められ、精神的に疲れた」と話した。

 また資料では、学生らがこうした内容を口外しないように求めており、「仮に、それ(学校の立場に対する配慮)を守れないとするならば、保証人としての立場も返上しなければならない」などと記されている。

 これに対し、一部の学生は東京都内の弁護士法人に所属するウクライナ人弁護士に相談。弁護士によると、これまでに聞き取りに応じた16人はいずれも「一定期間は学費無料と説明された」と話したといい、「第1陣は1年、第2陣は半年、それ以降は3カ月などと言われたようだ」としている。

 学校法人の理事長はこれまでの毎日新聞の取材に「無料にすると言った覚えや契約、約束もない」と説明。学校法人の関係者が来日前の学生らとメールでやり取りをしたことは認めつつ「学生には前橋市などから支援金が支給され、アルバイトも紹介した。十分に自立しており、有償は当然だ」としている。

 前橋市は22年4月、個人で避難してきたウクライナ人に学費30万円などを支援する方針を表明。しかし、その後は「日本語学校が身元保証人となる場合の支援金は10万円を上限とする」とし、学校法人にも説明したという。この方針について、理事長は「前橋市が30万円を支援すると言って、それを果たさない方が問題だ」と話した。【庄司哲也】

感想
 日本語学校の”勇み足”ではないでしょうか?
どう読んでも、freeと読みとれます。
日本語学校が前橋に十分な確認をせず、ウクライナから生徒を募集できる、美味しい話だとして案内したのでしょう。
 前橋市としては日本語学校には限度を設けたのでしょう。

 ウクライナの人は被害者です。
前橋市が責任を果たさなかったからといって、ウクライナの人にその責任を転嫁するのは間違いです。
 理事長が前橋に抗議するなり、裁判を訴えればよい話です。

 ウクライナの人をぜひ助ける解決策を考えて欲しいです。
解決策①
 ウクライナの人を別の日本語学校に転校させて支援する。

致死量は食塩ひとつまみ以下、原料は中国産…アメリカで銃よりも若者を殺している"史上最悪の麻薬"の怖さ

2023-02-24 13:34:34 | 社会
アメリカで、違法に製造された「フェンタニル」と呼ばれる薬物の被害が広がっている。国際ジャーナリストの矢部武さんは「年間7万人がフェンタニルの摂取によって死亡している。ヘロインより何十倍も強力で、かつ安価。販売しているのはメキシコのカルテルだが、原料の大部分は中国から供給されている」という――。 

米国で年間7万人の命を奪っている   
 いま米国で違法薬物の被害が増加し続けている。特に恐ろしい状況になっているのは鎮痛薬として使用される非常に強力なオピオイドの一種「フェンタニル」の蔓延だが、オピオイドとはケシから採取される天然由来の有機化合物や、そこから生成される化合物の総称のことである。  
  フェンタニルは1960年にベルギーの化学者、ポール・ヤンセン博士によって開発され、米国では1968年に米食品医薬品局(FDA)により医療用として承認された。それ以来、手術時の麻酔や集中治療時の鎮痛薬などとして広く使用されてきたが、いま問題になっているのはメキシコの麻薬カルテルなどが違法に製造したフェンタニルが米国に密輸され、多くの人の命を奪っていることだ。   
 米国でフェンタニルが蔓延した背景には、以前からヘロインやコカイン、メタンフェタミン(覚醒剤)など違法薬物の取引が盛んに行われ、闇市場のネットワークが確立されていることがある。それに加え、2000年代初頭から、医師によって処方されるオピオイド鎮痛薬の依存症になる人が増え始めたことも関係している。処方薬に依存すると、医師の処方が中止されても使用をやめられず、違法薬物に手を出す可能性が高くなるのである。 このような米国のオピオイド需要の高まりに目をつけたメキシコの麻薬カルテルが、ヘロインより何十倍も強力で、かつ安価で生産できて利益率が高いフェンタニルの製造・密売を始めたのである。  
 一方、米国でのフェンタニルの流行とともに薬物過剰摂取による死者は急増し、米疾病対策予防管理センター(CDC)によると、2021年には10万7622人に上り、その約3分の2に当たる7万238人はフェンタニルによるものだという。

致死量はわずか「食塩20粒程度」  
 2022年12月12日の有力紙ワシントン・ポストは、米国では2000年代初頭からの約20年間で、フェンタニルを含むオピオイドによって累計75万人近くの命が奪われたと報じた。また、連邦議会が行った分析では、オピオイドが米国のコミュニティー(地域社会)にもたらした経済的損失は2020年だけで、1.5兆ドル(約195兆円)に達するという。  このような悲惨な状況にもかかわらず、米国政府はオピオイドの蔓延を食い止めるための有効な解決策を見いだせていない。連邦麻薬取締局(DEA)は2022年にフェンタニルの粉末4.5トンと錠剤5060万錠を押収したが、これはなんと3億3190万人の「米国人全員の命を奪うのに十分な量」だという。  
 フェンタニルの最大の特徴は致死量が少ないこと。重さにして2ミリグラム、食塩で例えると20粒程度のひとつまみにも満たない量で体の呼吸機能をつかさどる脳細胞が損傷を受け、呼吸が停止して死に至る可能性があるということだ。 

多くが合法の鎮痛薬に偽造されている  
 フェンタニルが大量に闇市場に出回る前は、何物にも代えがたい強烈な快感と多幸感をもたらすことで、「クイーン・オブ・ドラッグ(麻薬の女王)」とも呼ばれたヘロインが最も危険な薬物と見なされていた。しかし、フェンタニルはヘロインの50倍も強力だといわれており、その致死性の高さは想像を絶するものがある。  しかも恐ろしいのは、メキシコから密輸されるフェンタニル錠剤の多くが「オキシコンチン」や「パーコセット」など合法のオピオイド鎮痛薬に似せて偽造されているため、フェンタニルが混入されているのに気づかずに使用して亡くなる人が少なくないことだ。  コロラド州に住む16歳の少女ソフィアさんも麻薬の売人から偽造鎮痛薬を購入し、フェンタニルが含有されているのを知らずに服用して危うく命を落とすところだった。  2022年4月6日の「PBSニュースアワー」の番組に出演したソフィアさんの父親によると、彼女が助かったのは通報を受けて駆け付けた警察官がすばやく適切な措置をしてくれたからだという。その警察官は彼女が呼吸をしていないのを確認してオピオイドの過剰摂取を疑い、薬物依存者の緊急対応のために携行していた解毒剤の「ナルカン」を投与した。すると薬が効いて、彼女の呼吸機能が回復したそうだ。
・・・ 

感想
フェンタニルの構造式
原薬は中国から入っているそうです。
そして今はメキシコでも合成して米国に入っているとか。

シンプルな構造式ですので、原料と実験室があれば簡単に合成できるのでしょう。
オウムはサリンを合成しましたが、麻薬類を合成するような犯罪をどう取り締まるかでしょう。
一つは原料の購入を厳しくすることです。

かつ、麻薬類は人生を亡ぼすとの教育も併せて必要なのでしょう。
学校では生きるために必要な基礎知識やメンタルの管理についてが乏しいように思います。

「軽度発達障害の心理アセスメント WISC-Ⅲの上手な利用と事例」上野一彦/海津亜希子/服部美佳子共著 ”自分を知ることの大切さ”

2023-02-24 03:18:00 | 本の紹介
・心理アセスメントの3つの要素
1)心理検査や尺度などを実施する技術力
2)検査結果を解釈する力
3)解釈を具体的な形で指導に活かす力

・心理アセスメント 3箇条
1)アセスメントを受ける人に利益や恩恵をもたらさなければならない
2)客観的な事実を積み上げ真実に近づかなけれならない
3)科学的アプローチであり、憶測や解釈しすぎに注意しなければならない

・WISC-Ⅲの数値の意味
1)全検査IQ(FIQ)
全検査知能指数のことで、全般的な知能水準の解釈に用いる。平均が100、標準偏差が15になるように設定されている。
2)言語性IQ(VIQ)
主に言語性の能力や聴覚-音声処理過程の能力を測定する指標である。
3)動作性IQ(PIQ)
動作性能力や視覚-運動処理過程の能力を測定する。
4)群指数
言語理解(VC);言語的な情報や、自分自身がもつ言語的な知識を状況に合わせて応用できる能力
知覚統合(PO);視覚的な情報を取り込み、各部分を相互に関連づけ全体として意味あるものへまとめ上げる能力 
注意記憶(FD);注意を持続させて聴覚的な情報を正確に取り込み、記憶する能力
処理速度(PS);視覚的な情報をを、事務的に数多く、正確に処理していく能力

・WISC-Ⅲを解釈する場合、2つのアプローチ法がある
1)子どもに対する日々の疑問を、検査結果によって明らかにする場合である。
2)検査結果を通じ、改めて子どもの様子を見ることで、つまづきの背景要因に
気づく場合がある。
 いずれにしても重要なのは、WISC-Ⅲの結果が、子どもの様子や個々の学習課題とどう関連しているかをおさえることである。これらの関連性が分かっていれば、検査結果を得ることで、子どもへの予防的な対応を可能にするであろう。また、検査結果から、より具体的な支援・対応のアドバイスもできる。単に、結果の数値を伝えるだけでは、子どもや保護者等に還元されるものはあまりにも少ない。

・本人へ伝える場合の内容・ポイント
1)実施した検査についての(分かりやすい)説明
 どのような目的で用いられる検査なのか、この検査から何が分かるのかなど
2)日頃の家庭や学校での子どもの様子と関連させた解釈
 とういう強い能力があるのか、どういうところが苦手か、苦手な部分については努力不足ではないことを伝える。
3)有効な勉強法、対処法についての具体的な説明
 本人の意見も聞きながら、一緒に有効な方法を探っていく。
4)自分だけが特別でないことを伝える
 人には、誰でも得意・不得意があることなど。

・事例1~28
事例1;ことばの理解と表現に著しい困難があり学習の遅れが大きい小学生4年生
事例2;基本的な学習態度が形成されていない小学校1年生
事例3;文章を正確に音読することが苦手な小学校6年生
事例4;多弁で対人関係のトラブルが多い小学校4年生
事例5;物忘れが激しく、行動の抑制がきかない小学校6年生
事例6;「できないかもしれない」場面への抵抗が強い小学校4年生
事例7;集団行動から遅れがちで友だち関係で孤立しやすい小学校5年生
事例8;自分の考えや意見を伝えるのが苦手な小学校6年生
事例9;意味理解や状況判断が困難で対人行動の問題が大きい小学校2年生
事例10;ことばの理解・表出力が難しく学習にのれない小学校2年生

感想
小学校の時、知能検査を受けたことを覚えています。
その時はたんに数値だけ教えてもらったような記憶だけが残っています。

事例を見ていると自分にも当てはまるように思いました。
ただ、算数ができたので、学習障害にはなりませんでした。
大人しい子だったので、先生の手間をかけることはなかったと思います。
ただ、忘れ物が多く、走ると3分くらいで帰れたので、よく取りに帰っていました。
母は高校の先生していたので、母に知られなかったです。
コミュニケーション苦手は大学入学時に現実問題となり苦慮しました。
人それぞれ、問題を抱えていますが、それで学習に仕事に生活にトラブルを起こさなければよいのかもしれません。

WISC-Ⅲは今WISC-5が出ているようです。

を講習会で学んで実際に行ったことがあります。
その結果を自分で知ることで自分の知らない面も知ることができました。
それで20代に会社の研修で行った心理テストの時と、根っこは変わっていないと思いました。

交流分析で、厳しい父親(CP)、優しい母親(NP)、大人(A)、活発な子ども(FC)、従順な子ども(AC)の要素を知ることで、自分を知り、自分の行動に活かしていくものです。
NPとACが高くCPとFCが低かったので、ACを低くFCを高めるようにしました。
CPが低いのとNPが高いのはそれで良しとしました。

最初の2つは心理テストを受けるには費用が発生します。
エゴグラムはネットにいろいろあるので試してみるのも良いかもしれません。

今学校では、学習障害児(LD)に対して、このようなWISCをして指導したりしているのでしょうか。
黒柳徹子さんは多動児ということで学校から注意されたら、母親が「だったら学校変わります」と言って「トモエ学園」に転校させました。
そこではその子の持っている素質を伸ばす教育で、今の黒柳徹子さんになられたのでしょう。
アインシュタインは学習が遅いと言われたそうです。
エジソンは学校に付いていけず、母親が自宅で教えたそうです。

読み、話す、聞く、書くの4つがある程度あれば社会ではなんとかやって行けるのではないでしょうか。
それと大きくなると、演じることを学ぶようになりました。
対人関係も脚本書いて(脚本家)、自分で演じる(俳優)。その監督も自分。
対人関係療法の日々の実践なのでしょう。
キャッチボールの仕方は交流分析アサーションの技術も役立ちます。
アドラー心理学の本も何冊か読みましたが、今はロゴセラピーが一番自分に合っているように思います。
「ゲシュタルトの祈り」 もコミュニケーションの考え方にヒントを与えてくれました。
大学でのコミュニケーションの躓きがその後のコミュニケーションの学びにもなったのかもしれません。
心理学やカウンセリングを学ぶ人には何か自分や家族にコミュニケーションの悩みを抱えていた人が多いように思います。

WISCには、人としての優しさや人としての思いやり、誰かの為に何かをするとの人として大切なことには触れていないので、それはまた別なのでしょう。
 
それが一番大切なように思います。
 
大統領になって、人を大勢殺しても平気な人はいくら優秀でも問題児です。
自分や友だちのために不正なことを指示する、上からの不正な指示があればそれに従う、それをしない人になるにはどういう教育が学びが必要なのかと思ってしまいました。
 
学校教育ではそれを教えることは二の次で学習優先なのかなと思ってしまいました。
そうでないと思いますが、自分の経験からは学習優先でした。
今の学校はどうなのでしょう・
 
米国の調査で、親が犯罪、ドラッグ、アルコール中毒などの場合、子どもが犯罪に手を染める確率が高いとありました。記憶が曖昧ですが、8割と報告されていました。
でも、2割は親に問題があっても、自分の人生をしっかり生きている人もいます。
 
この違いは何でしょうか?
 
ひょっとして、自分を全てを受け入れる、無条件で愛してくれる、そして自分のやりたいことを支援してくれる人の存在有無が大きいのでしょうか。

不登校の長女が人気ゲーム開発スタッフに 転機になった衝撃の一言 ”子どもの声に耳を傾ける”

2023-02-24 01:11:11 | 社会
 中学時代に不登校だった長女(23)が人気ゲーム「ファイナルファンタジー16」の開発スタッフになるまでの曲折を、ボランティアでフリースクール事務局員を務める父親の久保健一さん(47)=滋賀県長浜市=が自身の「失敗」を基に語った。12日に同市高月町で開かれた「ながはまコミュニティカレッジ」に講師役として登壇し、参加者に自らの経験から「子供を追い詰めないで」と呼び掛けた。

 久保さんの長女は、保育園、小学校とあまり積極的に通うタイプではなく、中学校では入学式に出たきり、ほとんど学校に行けなくなった。当初、久保さんは不登校は気持ちの問題だと考え、「何サボってるねん」「なまけるな」などと声を荒げ、引きずってでも学校に行かせようとしたという。

 しかし、学校に行けないまま1年がたったころ、大きな転機が訪れる。長女が泣きながら衝撃の言葉を吐き出した。「もう死にたい。このままだとパパに殺される」。久保さんはその言葉を聞き、我に返った。「自立させて、また笑顔を取り戻してあげたいと必死でやってきた結果、どんどん娘を追い詰めていた。娘のためだと思ってやっていたことが、生きていく希望と夢を全部奪っていた」。

 以来、学校に無理に行かせようとせず、長女が「こうなりたい」「こうしたい」という声に懸命に耳を傾けるようにした。長女は登校できないものの次第に前向きになり、中学3年の夏ごろ、高校進学を目指すようになった。大津にある県立高校の通信制課程に進学し、週1回の登校日を休むことなく3年間通い切った。アニメーションやゲームに興味を持ち、卒業後は大阪にある専門学校に進学。そこでも4年間、無欠席で卒業した。

 長女が就職先に選んだのは、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーで知られるゲーム制作会社「スクウェア・エニックス」(東京都)。幼いころ、毎日のように父と一緒に遊んだ同社制作のゲーム「キングダムハーツ」に思い入れがあったからだ。そのゲームの開発担当者が面接官だったという幸運もあり、倍率100倍を超える難関を突破して採用された。現在は「ファイナルファンタジー16」の制作スタッフとして、CGを使ったアニメーションなどを担当している。

 昨年、就職で東京に出発する前日、長女が久保さんに声をかけた。「学校に行けなかった時は大変だったと思うけど、その後、私がやりたいこと全部させてくれた。面接でちゃんと話ができたのもパパが毎日私と遊んでくれてたから。本当に感謝してます。今まで本当にありがとうございました」

 久保さんは目を潤ませながら、もし10年前の「あの時」長女の言葉に向き合っていなければ「娘がいなくなっていたかもしれない」と振り返った。大人になった長女に学校に行けなかった理由を聞いても答えは「分からない」だった。

 久保さんは、居場所がないと感じている子供や不登校問題に悩む親に「何で学校に行けないのという問いに対する答えを求めても、行けないものは行けない。進むスピードは人それぞれ違う。今進めなくても何かのきっかけで前にどんどん行ける子もいる。子供の未来を信じてあげて」と語り掛けた。【長谷川隆広】

感想
娘の心からの叫びが出せたこと、そしてその叫びを聴く耳があったこと。
やはり、子どもがやりたいことを応援するのがよいのでしょう。
親は少しでも子どもの幸せと思って、親が思う幸せのレールを歩かせたいと思いますが、それは子どもの幸せではないですね。

自分からやりたいことをやることだとエネルギーを出せるのでしょう。

知るは好きに如かず
好きは楽しむに如かず

楽しく出来ているかなのでしょう。


1回1万円で売春し自殺未遂…どん底の名門・女子校生「ヨーロッパの大学へ進学」奇跡の実話 ”自分の未来のために生きる”

2023-02-23 19:18:18 | 社会
自殺について相談した真菜のSNS上のやりとり(一部加工しています)
家庭での虐待が原因で、3回にわたって児童相談所に一時保護された山岸真菜(仮名)。 なぜ彼女はそのまま施設で保護されることなく、家庭に戻されたのか。

中学1年で最初に一時保護された真菜は、自ら施設を出て家に帰ることを決断した。 家庭での暴力は明らかに度を過ぎていた。だが、12歳の少女にしてみれば、苦労して入学した名門校をたった数ヵ月で辞め、刑務所のような施設で自由を奪われて暮らすことが受け入れがたかったのだ。 自宅に戻った真菜は、自分自身を殴って傷つけたり、自殺を試みたりするようになった。虐待による自己否定感が高まり、生きていくこと自体が嫌になったのだ。建物から飛び降りる寸前までいったこともあれば、市販のヘリウムガスを吸って自殺未遂をしたこともあった。 

「私を買ってくれる相手を探して」 
 中学2年からは、携帯電話をつかって売春をはじめるようになった。ツイッターでハッシュタグを入れて「死にたい」とか「家にいたくない」と書き込むと、それを見た男たちが一斉にダイレクトメールを送ってくる。優しい言葉をかけ、肉体関係を迫ってくるのだ。彼女はそうした男性と1回につき1万円で売春した。 真菜は言う。 「家にいたくなかったんです。でも、中学生だからどうしようもできない。それで私を買ってくれる相手を探して、ホテルに泊まらせてもらったりしました。それ以外でも、なんだかいろんなことが嫌になって休日の昼間とか、放課後とかにやったこともありました」 虐待を受けている少女は、愛情飢餓の中で異性を求めたり、自暴自棄になって自分を傷つけたりすることがある。それが性非行として表れるのだ。 児童相談所による2回目の一時保護は、それから3年後の高校1年の時だった。真夜中に父親から家を追い出され、彼女は夜の街を彷徨った。翌日、行く当てもなく、彼女は追い出された格好のまま学校へ行って事情を話したところ、再び児童相談所に保護されることになったのである。 彼女は一時保護所に2週間いた後、自立支援施設に4ヵ月弱住まわされた。そこは一軒家であり、5人の保護された少女が住んでいたが、1回目と同様に学校に通うことは認められず、送られてくるプリントを解くだけの日々だった。 真菜は言う。 「自立支援施設は外出禁止だったので4ヵ月くらい監禁状態でした。つらかったのは、1日3時間くらい施設の掃除をさせられることですね。午前はほぼすべて掃除で終わっちゃう。その後、学校から送られたプリントで勉強するんですが、自主学習なのでぜんぜんわかりません。なんで私が悪くないのに掃除ばかりさせられ、勉強までついていけなくなっちゃうんだろうって思うとつらかったです」 
 進学校で学んでいた彼女にとって、4ヵ月も授業を受けられず、勉強が遅れることは受け入れがたいことだった。 
 そしてここでもケースワーカーから1回目の保護と同じことを言われる。施設で暮らす代わりに私立校を中退して転校するか、父親のいる家にもどって今の学校に通いつづけるかの二者択一だ。父親の暴力は耐えがたいけど、高校を辞めて不自由な施設で暮らすことは受け入れられなかった。 「家に戻ります」 彼女は再び家に帰ることにした。 3度目の一時保護は、それからわずか半年後だった。この時も同じように父親の不条理な逆鱗に触れ、寝巻のまま家を追い出されたのである。 

寝巻きのまま彷徨い大学生と…… 
 真菜は夜の街を寝巻のまま彷徨い、声をかけてきた大学生の家に泊めてもらった。もちろん、セックスと引き換えである。 翌日、真菜は寝巻のまま高校へ行った。高校の先生は事情を察して児童相談所へ連絡を入れた。 この時は1週間ほど前回と同じ自立支援施設にいたが、結論がわかっていたので、親の怒りが収まるのを待って帰ることにした。もはや保護してもらうこと自体に希望を見いだせなくなっていたのだ。 
 彼女は言う。 「私の意思としては、すぐにでも家から出て、安全なところで暮らしたかったです。親の虐待から逃れられるのなら、多少不便なことも我慢するつもりでした。けど、学校まで辞めることは受け入れられなかった。それは私が何を言っても変わらない児童相談所のルールなんです。なら、保護してもらっても何も変わらない。そんな気持ちになっていたと思います」 真菜が施設から家に帰っても、家族からはまったく見向きもされなかった。誰一人として「お帰り」も「大丈夫?」も言わず、よそよそしい態度を取るだけなのだ。 これは売春をして数日ぶりに家に帰った時も同じだった。親も姉妹も何かあったと察しているはずなのに、絶対にそれについて言及しようとしない。お互いが距離を置き、無関心を装うことが、家族の形をなんとか保つ方法だったのだろう。 そんな真菜に転機が訪れるのは、3度目の一時保護の後だった。クラスの担任の若い女性教師が真菜に対して親身に向き合ってくれたのだ。その教師はこう言った。 「家の問題には介入することはできない。でも、何でも話を聞くし、できることはする。だからいつでも相談してね」 その教師は「今」を語るのではなく、「未来」を語った。真菜と2人きりになって、大学に入って何をしたいか、いかなる未来を切り開きたいか、どんな社会に暮らしたいか……。前を向かせたのである。 真菜は話をしているうちに次第に家のつらい状況でなく、自分の夢について目を向けるようになった。当時彼女が抱いていた夢。それは日本を飛び出し、外国の大学へ行き、国際協力の仕事に就くことだった。 内戦地帯には自分よりはるかに困難な状況にある難民のような子供たちがいる。それに対して何かをしたい。そんな気持ちが芽生えていたのだ。 

「『運』で片付けられる社会が許せない」 
 幸か不幸か、彼女はそれまで売春で稼いだ金を貯め、高校卒業後の自立や留学の資金として用意していた。家から離れ、世界で活躍できるような人間になりたい。そんな未来を見据えた時、真菜の心は楽になったのである。 それから3年後の今、真菜は日本を離れ、ヨーロッパのある国の大学に在籍している。専攻は国際協力だ。 そんな真菜がなぜ、私に自分から連絡をし、自身の体験を語ったのか。
 彼女は次のように話す。 
「虐待を受けている人はたくさんいます。その中で、私はたまたま良い先生に出会え、家庭から逃れることができました。でも、そうじゃない人の方が圧倒的に多いだろうと思うんです。ずっと家庭から逃げられず、売春や自殺をしている人はたくさんいるはずなんです。そういうのが『運』で片付けられてしまう社会のあり方が許せなかった。それで体験を話したいって思ったんです」 
 真菜の目には、日本の児童福祉の何が問題だと映っているのか。それを問うと、彼女はこう答えた。 
「私は児童相談所がダメだと言うつもりはありません。あの人たちはあの人たちなりのルールの中で一生懸命にやってくれています。ただ、そのルールに問題があると思うんです。 今のルールでは、虐待した親でなく、虐待された子供が施設へ送られて自由を奪われなければなりません。あるいは、私立校へ通っている子供はそこを中退し、公立校へ移らなければなりません。それっておかしくないですか。これ以外にもいろいろあります。 中1の最初の保護の時に、もしこれらのルールが違っていれば、私は父親からの虐待から逃れることができたはずなんです。そんなことで運命が変わってしまうのってどうなんでしょう」 
 たしかに真菜が最初の一時保護で施設へ行っていたら、自殺未遂をくり返したり、売春をしたりせずに済んでいた可能性はある。 私自身も真菜同様に、児童相談所を批判するつもりはない。私は仕事の関係で個人的にいろんな形でかかわらせてもらっているが、児童相談所の人たちの献身的な仕事への向き合い方には本当に頭が下がるばかりだ。 ただし、彼女が指摘するように、システムの側に問題があるのならば、そこは直していかなければならないだろう。少なくとも真菜の例を見る限り、そのシステムが必ずしも子供の立場に立って作られているとは言い難い。 一時保護のシステムは、本当に子供のためのものになっているのか。そのことをもう一度考え直す必要があるだろう。 
*児童養護施設から私立校へ通うことは可能だが、諸条件があり、真菜の場合は当てはまらなかった。 
取材・文・撮影:石井光太 77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。

感想

児童相談所は親のためでも、相談所のためでもなく、子どものために会って欲しいです。
子どものためにと努めていおられると信じたいですが、子どものためになっていないケースも多々あるようです。

変えていく勇気がなく、”慣性の法則”に従っていた方が無難との気持ちがあるのかもしれません。