アウシュビッツ強制収容所の隣りに住む家族の物語である。
家族は、アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘス一家。
※ナチス副総裁ルドルフ・ヘスとは別の人物。
彼らは塀の向こうのアウシュビッツでおこなわれていることに関心がない。
塀の向こうから聞えて来る叫び声や銃声はただの音でしかない。
塀の向こうから立ち上る煙は光景のひとつでしかない。
彼らが関心があるのは「庭造り」や「誕生日」や「水遊び」のことだ。
夫人のヘートヴィヒはアウシュビッツの女性収容者が来ていた服を自分のものにして
何の心の痛みもない。
歯磨き粉の中にダイヤモンドを隠しているのを発見して、
「ユダヤの女は頭がいいからねえ」
などと話している。
これらのことが当たり前になって、彼らの心は完全に麻痺しているのだ。
無関心であれば、どんな悲惨なことがおこなわれていても平気でいられるのだ。
そんな中、当たり前になっていない人もいる。
遊びに来たヘートヴィヒ夫人の母だ。
彼女は当初「きれいな部屋ね」「素敵な庭ね」と心地よく過ごすが、
次第に塀の向こうから聞えて来る叫び声や銃声が気になって、自分の家に戻る。
塀の向こう側に関心を抱く人もいる。
ポーランド人の使用人マルタだ。
塀の向こうに関心を持ったマルタは収容されている人たちのために
リンゴやジャガイモを運び入れる。
後半ルドルフ・ヘスが胃の病気になるのは何を意味するのだろう?
アウシュビッツの悲惨が日常の業務・仕事になっているヘスだが、
やはり少しずつ彼の心を蝕んでいたのか?
劇中たびたび流れる不気味な音楽。
これはおそらくガス室で死んでいった収容者たちの心の叫び。
ヘスの中ではこの不気味な音楽が常に流れていたに違いない。
それがヘスの心を蝕んだ。
ラスト、博物館となった現在のアウシュビッツを職員たちが掃除するシーンを挿入される。
これは何を意味するのだろう?
淡々と掃除をする職員たちはおそらく何も感じていない。
ヘスと同じように日常業務・仕事になっている。
彼らはある意味、ヘス一家と同じなのだ。
このことは見ている観客にも突きつけられる。
われわれ観客はこの作品を見て何かを感じたとしても日常生活の中ですぐに忘れてしまう。
アウシュビッツは「関心領域」ではなくなってしまう。
まあ、それは、ある程度、仕方のないことでもあるのだが……。
関心と無関心。
慣れと麻痺。
関心領域を拡げていこう。
世の中には悲惨が山のようにある。
この作品はこんなことを考えさせてくれる作品である。
※追記
この作品、2024年のアカデミー賞 国債長編映画賞、カンヌ映画祭グランプリなどを受賞した。
※関連動画
「関心領域」特別映像(YouTube)
あなたと彼らの違いは? と問いかけている。
家族は、アウシュビッツの所長ルドルフ・ヘス一家。
※ナチス副総裁ルドルフ・ヘスとは別の人物。
彼らは塀の向こうのアウシュビッツでおこなわれていることに関心がない。
塀の向こうから聞えて来る叫び声や銃声はただの音でしかない。
塀の向こうから立ち上る煙は光景のひとつでしかない。
彼らが関心があるのは「庭造り」や「誕生日」や「水遊び」のことだ。
夫人のヘートヴィヒはアウシュビッツの女性収容者が来ていた服を自分のものにして
何の心の痛みもない。
歯磨き粉の中にダイヤモンドを隠しているのを発見して、
「ユダヤの女は頭がいいからねえ」
などと話している。
これらのことが当たり前になって、彼らの心は完全に麻痺しているのだ。
無関心であれば、どんな悲惨なことがおこなわれていても平気でいられるのだ。
そんな中、当たり前になっていない人もいる。
遊びに来たヘートヴィヒ夫人の母だ。
彼女は当初「きれいな部屋ね」「素敵な庭ね」と心地よく過ごすが、
次第に塀の向こうから聞えて来る叫び声や銃声が気になって、自分の家に戻る。
塀の向こう側に関心を抱く人もいる。
ポーランド人の使用人マルタだ。
塀の向こうに関心を持ったマルタは収容されている人たちのために
リンゴやジャガイモを運び入れる。
後半ルドルフ・ヘスが胃の病気になるのは何を意味するのだろう?
アウシュビッツの悲惨が日常の業務・仕事になっているヘスだが、
やはり少しずつ彼の心を蝕んでいたのか?
劇中たびたび流れる不気味な音楽。
これはおそらくガス室で死んでいった収容者たちの心の叫び。
ヘスの中ではこの不気味な音楽が常に流れていたに違いない。
それがヘスの心を蝕んだ。
ラスト、博物館となった現在のアウシュビッツを職員たちが掃除するシーンを挿入される。
これは何を意味するのだろう?
淡々と掃除をする職員たちはおそらく何も感じていない。
ヘスと同じように日常業務・仕事になっている。
彼らはある意味、ヘス一家と同じなのだ。
このことは見ている観客にも突きつけられる。
われわれ観客はこの作品を見て何かを感じたとしても日常生活の中ですぐに忘れてしまう。
アウシュビッツは「関心領域」ではなくなってしまう。
まあ、それは、ある程度、仕方のないことでもあるのだが……。
関心と無関心。
慣れと麻痺。
関心領域を拡げていこう。
世の中には悲惨が山のようにある。
この作品はこんなことを考えさせてくれる作品である。
※追記
この作品、2024年のアカデミー賞 国債長編映画賞、カンヌ映画祭グランプリなどを受賞した。
※関連動画
「関心領域」特別映像(YouTube)
あなたと彼らの違いは? と問いかけている。