平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

おんな城主直虎 最終回~具体的な描写が足りず、もやもやが残った最終回だった

2017年12月18日 | 大河ドラマ・時代劇
 さて最終回。
 視聴者に〝脳内補完〟を要求する作劇だった。
 視聴者は行間を読み、想像をめぐらせて、各シーンを解釈しなければならない。
 そして、ちょっと不親切。

 たとえば直親(三浦春馬)の笛。
 直親の象徴なんだろうけど、ちょっと出方が唐突。
 どうして、あそこに?
 ここにリアリティを求めちゃいかないんだろうけど。

 あるいは亡くなっていた直虎(柴咲コウ)の幸せそうな笑み。
 万千代(菅田将暉)が立派に成長し、後を託せることへの安心の笑みなんだろうけど、だとしたら最後にふたりが話をするシーンがほしかった。

・直虎ゆかりの者が集まる葬式のシーン。
・領民たちが棺を運び、豊かに実った稲を見るシーン。
・戦場で万千代、直之(矢本悠馬)、六左衛門 (田中美央)が直虎の死を知るシーン。
 この3シーンは泣けたけど、具体的な哀しみのせりふを言ったのは南渓和尚(小林薫)と領民くらいで、あとは視聴者の想像力に委ねる手法。
 せめて直之と六左衛門の言葉は聞きたかったなぁ。

 龍雲丸の死も象徴的に語られた。
 これもありだと思うけど、だとしたらふたりの別れのシーンはもう少し時間をかけてほしかった。

 南渓和尚が井伊の井戸で酒を飲むシーンは、直親、政次(高橋一生)たちが出て来てほしかったなぁ。
 直虎、直親、政次、龍雲丸、和尚で語り合うシーンがあれば、作品が締まったのに。
 三浦春馬さん、高橋一生さんをブッキングするのは大変というオトナの事情だろうか?

 こうした想像に任せる手法が正解かどうかは、それぞれの視聴者の判断。
 僕はもう少し具体的な描写がほしかった気がする。

 描いてほしかった描写は他にもある。
 直政の配下になる近藤康用(橋本じゅん)らの気持ちだ。
 近藤は配下になることをどう考えていたのだろう?
 直虎の無私の姿勢に感銘して喜んで配下になったのか?
 家康(阿部サダヲ)に言われてしぶしぶ受け入れたのか?
 おそらく前者であると思うが、これを具体的に描いていたら、いいドラマになったのになぁ。
 それともしぶしぶだったのかな?
 いくさのシーンで、赤備えの旧武田の家臣たちは若造の直政をバカにしていたし。

 というわけで具体的な描写がなかった分、僕はもやもやが結構残っている。

 そして極めつけはこれ。
 ラストの『完』。
 最後の最後にどーしようもない遊びを入れてきた。
 ここは普通に碁を打つだけでよかったのに……。
 何ら余韻のないラストだったなぁ。

 本能寺の描写もそうだったが、見たいと思う部分は掘り下げられず、別のシーンに力が入っていた『おんな城主直虎』。
 僕のシンクロ率は40%くらいでした。

コメント (10)
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