伊周(三浦翔平)がふたたび力を持ち始めている。
定子(高畑充希)への思いを引きずっている一条天皇(塩野瑛久)を利用しているのだ。
一条天皇も伊周に傾きつつある。
伊周の台頭に道長は苦悩している。
帝は聴く耳を持たず、ダメだと言っても伊周を人事で強引にねじ込んで来る。
かといって伊周を力で排除したくない。
力で排除すれば父・兼家(段田安則)と同じになるからだ。
居貞親王(木村達成)は一条天皇を排して自分を帝にしろ、と言っているが、道長は乗り気でない。
なので道長の頼みの綱は彰子(見上愛)。
是が非でも一条天皇の目を彰子に向けなくてはならない。
一方、彰子。
一条天皇に思いを寄せつつあるようだ。
前回、彰子は瓢箪に顔を描く練習をしていた。
彰子は一条天皇と敦康親王(池田旭陽)の間に入りたかったのだ。
今回は火事の時、一条天皇のことを気にかけて逃げずにいた。
次回は、一条天皇が読んでいる物語を自分も読んでみたいと言うらしい(予告)。
この状況下、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は死の床で語った。
「ようやく光を手に入れましたな。これで中宮様(彰子)は盤石です」
「何も怖れることはありません。思いのままにおやりなさい」
晴明の言う「光」とはまひろ(吉高由里子)のこと。
まひろが彰子を変え、道長の地位を揺るぎないものにするのだろう。
まひろと『源氏物語』は道長と彰子にどのような光をもたらすのか?
……………………………………………………………
サブタイトルは「誰がために書く」
清少納言(ファーストサマーウィカ)は定子のために書いた。
まひろは道長の依頼を受けて彰子と帝のために書いた。
だが、その後、まひろは誰かのために書くことをやめ、自分のために書くことにした。
降って来るイメージ、湧いてくる言葉、勝手に動き出す登場人物──
書かずにはいられない。書くことが楽しい。
ここには現実の利害関係などまったくない。
政治も生活のために稼ぐということもない。
少なくとも書いている間だけまひろは自由になれる。
こんなまひろを道長はゆったりと眺める。
「これがおまえがおまえであるための道か?」
「これが俺の惚れた女だったのか」
何と素敵な男女関係。
まひろといる時だけ道長は政治を忘れて穏やかな気持ちになれる。
「あれは朕への当てつけか?」
『源氏物語』に対する一条天皇の反応はまずこれだった。
だが、一条天皇は聡明でもあるので、ここで拒絶しない。
書き手が漢籍や歴史などに通じた博学な者であることを読み取り、
その博学な者が自分に何かを訴えていると気づいた。
続きを読めば、その訴えが明確になると考えた。
帝は諫められることを求めている?
おそらく、まひろが伝えたいのは「帝も人間である」ということなんだろうけど。
さて帝は『源氏物語』にどうハマる?
次回、帝に会ってまひろは何を語る?
彰子の女房として出仕する際、為時(岸谷五朗)は言った。
「帝に認められ中宮様にお仕えするおまえはわが家の誇りである」
「身の丈のありったけを尽くして素晴しい物語を書き、帝と中宮様のお役に立てるよう祈っておる」
「おまえがおなごであってよかった」
伏線回収である。
まひろは為時から「おまえがおとこであったら」と何度も言われて来た。
弟・惟規(高杉真宙)は最後の言葉の時だけ、ツッコミを入れない。
父娘のいいシーンだと思うが、僕は『赤毛のアン』の愛読者でもあるので、
『赤毛のアン』のアンとマシューを思い出してしまった。
定子(高畑充希)への思いを引きずっている一条天皇(塩野瑛久)を利用しているのだ。
一条天皇も伊周に傾きつつある。
伊周の台頭に道長は苦悩している。
帝は聴く耳を持たず、ダメだと言っても伊周を人事で強引にねじ込んで来る。
かといって伊周を力で排除したくない。
力で排除すれば父・兼家(段田安則)と同じになるからだ。
居貞親王(木村達成)は一条天皇を排して自分を帝にしろ、と言っているが、道長は乗り気でない。
なので道長の頼みの綱は彰子(見上愛)。
是が非でも一条天皇の目を彰子に向けなくてはならない。
一方、彰子。
一条天皇に思いを寄せつつあるようだ。
前回、彰子は瓢箪に顔を描く練習をしていた。
彰子は一条天皇と敦康親王(池田旭陽)の間に入りたかったのだ。
今回は火事の時、一条天皇のことを気にかけて逃げずにいた。
次回は、一条天皇が読んでいる物語を自分も読んでみたいと言うらしい(予告)。
この状況下、安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は死の床で語った。
「ようやく光を手に入れましたな。これで中宮様(彰子)は盤石です」
「何も怖れることはありません。思いのままにおやりなさい」
晴明の言う「光」とはまひろ(吉高由里子)のこと。
まひろが彰子を変え、道長の地位を揺るぎないものにするのだろう。
まひろと『源氏物語』は道長と彰子にどのような光をもたらすのか?
……………………………………………………………
サブタイトルは「誰がために書く」
清少納言(ファーストサマーウィカ)は定子のために書いた。
まひろは道長の依頼を受けて彰子と帝のために書いた。
だが、その後、まひろは誰かのために書くことをやめ、自分のために書くことにした。
降って来るイメージ、湧いてくる言葉、勝手に動き出す登場人物──
書かずにはいられない。書くことが楽しい。
ここには現実の利害関係などまったくない。
政治も生活のために稼ぐということもない。
少なくとも書いている間だけまひろは自由になれる。
こんなまひろを道長はゆったりと眺める。
「これがおまえがおまえであるための道か?」
「これが俺の惚れた女だったのか」
何と素敵な男女関係。
まひろといる時だけ道長は政治を忘れて穏やかな気持ちになれる。
「あれは朕への当てつけか?」
『源氏物語』に対する一条天皇の反応はまずこれだった。
だが、一条天皇は聡明でもあるので、ここで拒絶しない。
書き手が漢籍や歴史などに通じた博学な者であることを読み取り、
その博学な者が自分に何かを訴えていると気づいた。
続きを読めば、その訴えが明確になると考えた。
帝は諫められることを求めている?
おそらく、まひろが伝えたいのは「帝も人間である」ということなんだろうけど。
さて帝は『源氏物語』にどうハマる?
次回、帝に会ってまひろは何を語る?
彰子の女房として出仕する際、為時(岸谷五朗)は言った。
「帝に認められ中宮様にお仕えするおまえはわが家の誇りである」
「身の丈のありったけを尽くして素晴しい物語を書き、帝と中宮様のお役に立てるよう祈っておる」
「おまえがおなごであってよかった」
伏線回収である。
まひろは為時から「おまえがおとこであったら」と何度も言われて来た。
弟・惟規(高杉真宙)は最後の言葉の時だけ、ツッコミを入れない。
父娘のいいシーンだと思うが、僕は『赤毛のアン』の愛読者でもあるので、
『赤毛のアン』のアンとマシューを思い出してしまった。