平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「公共の福祉」とは何か?~公共のために個人が犠牲になっていい、という考え方ではない。

2024年08月29日 | その他
「公共の福祉」についての、とあるXの投稿が物議を醸している。

 個人の権利を認めていたら、集団の秩序を維持することはできません。
 だから個人は全体のために犠牲になる義務があるんです。


 これに対するコミュニティノートの回答。

・公共の福祉は全体のための犠牲という概念ではなく個人同士の人権衝突の調整役を担います。
 ポスト主は高校教師を自称していますが、高校どころか中学校公民で習う範囲です。

 その他のXユーザーの回答。

・いやもう、それだと全体主義国家の論理じゃないですかね。
 お聞きしたいのですが、あなたは自分自身の権利を放棄してるんですか?

・公共の福祉と集団の秩序は別物である。
 公共の福祉はあなたがお嫌いな個人の権利が充分に保全されるために、ある個人の権利濫用に対し、
 個人を信頼し、個人の権利濫用を制限していく個人の尊重に立った民主主義思想であるのに対し、
 集団の秩序は、国などが上から権威主義的に個人を抑圧する思想である。

・個人は全体のために犠牲になる義務がある→誤
 個人はそれぞれを尊重し合って全体(集団)を構成する→正

・「公共の福祉」とは「自分の人権を行使するときには他人の人権にも配慮するよう気をつけようね」という当たり前の原則を言ってるだけで、決して「個人は全体のために犠牲になれ」なんてことを言っているのではありません。
 国民は「個人として」尊重されます(第十三条)

・社会契約論を勉強し直しなさい。教師失格。

・個人の尊重を定めた日本国憲法に反した思想の持ち主なのですね。
 しかも"公共の福祉"を外在制約だと勘違いする初歩的ミスを犯しておられます。
 勉強が足りませんね。

・これは、自民党の憲法草案の公益および公の秩序です。

・自民党が大喜びする「自称教師」だな。

・北朝鮮の考えですよそれ笑笑
 …………………………………………………………

 以上のような反論の回答があって、ホッとする。
 まだまだ日本の民主主義は大丈夫なようだ。

「公共の福祉」とは──
・初めに人権ありき。
・基本的人権は何よりも優先される。
・個々の人権の主張がぶつかり合った時、判断の材料として「公共の福祉」が適用される。

 基本的人権>公共の福祉→正
 公共の福祉>基本的人権→誤

 最近、「言葉」がおかしくなっている。
 曲解されて、社会があらぬ方向に向かいつつあるような気がする。
 言葉は簡単に崩壊する。
 言葉が変われば社会も変容する。
 だから、こうしてひとつひとつ糺して行く必要がある。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする