保元の乱を前にしての登場人物たちの思い、駆け引き。
清盛(松山ケンイチ)は中立を保つ。いくさ後、多くの恩賞を得るために。
なかなかしたたかだ。
一世一代の大博打でもある。ひたすら待って、駒を張るタイミングを計っている。
清盛、なかなか腹が据わってきた。
座る姿もどっしりしている。
そこへ後白河帝(松田翔太)。
「策など面倒だ。賽でも振ってさっさと決めろ」とサイコロを放る。
その前には清盛の腹の中を読み、「そちの思うとおりにはならぬ。朝廷の番犬として死んでいくのじゃ」と釘を刺す。決して、官位をやるから自分に味方しろと頭を下げることをしない。
後白河帝も腹が据わった博打打ちで、この命を賭けた権力争いの状況を遊び、愉しんでいる。
これに答えて清盛。
「平氏は必ず勝ってみせまする。あなた様との勝負にも」
このせりふの意味が、最初、僕にはわからなかった。
せりふとせりふの間を埋める、行間を読む作業をしなければならない。
つまり……
清盛は目の前の保元の乱ではなく、未来の戦いのことを語っている。
後白河帝は「朝廷の犬として死んでいくのじゃ」と清盛に釘を刺したが、清盛は「そんなことはない。後白河帝との戦いに勝って自分は勝って武士の世を作っていく」と反論している。
ここで面白いのは、ならば、なぜ清盛は、この時、崇徳上皇(井浦新)に味方しなかったのかということだ。
崇徳上皇の方が後白河帝より、はるかに御しやすい。
悪左府・頼長(山本耕史)の存在はあるが、武士の世を作るためには崇徳上皇についた方がはるかに楽。
しかし、清盛は後白河帝を選んだ。
その理由は、後白河帝とのゲームを愉しみたかったから?
とりあえず今回はあなたに味方して、権力を預けておくが、いずれ勝って、権力を奪ってみせるという意思表示?
もちろん、清盛が後白河帝に味方したのには「武士の力を一番わかっている人物」だから、というのもあるだろう。
だが、清盛は崇徳上皇に着くという安易な遊びはしない。
やるのなら大博打だ。
だから後白河帝に味方をした。
というわけで、この清盛と後白河帝の心理的な駆け引きは実に深い。
人物としても、このふたりは周囲の人物より腹が据わっている。
平頼盛(西島隆弘)は、目の前の状況に右往左往している。
義朝(玉木宏)も<友切>を何度も見て、自分の下した決断が正しかったのか、迷っている。
その迷いは、鎌田正清(趙和)が駆けつけて、やっと解消される。
一方、さすがの清盛も、忠正(豊原功補)の行動には思い至らなかったようだ。
それは「生きるも死ぬももろとも。それが平氏の絆じゃ」と純粋に信じていたからだが、<どちらかに荷担して負けた場合、平氏の血が根絶やしにされる。それを避けるために自分が保険になって上皇側に味方する>という忠正の思いは予測できなかった。
一方、忠正の方は、清盛のことをしっかり見ている。
自分が上皇側につけば、清盛が「生きるも死ぬももろとも。それが平氏の絆じゃ」と苦しむことを予測して、「わしとお前の間には、はなっから絆などないわ」と言い捨てる。
それが真意ではなく、ウソであることであると清盛にわかることも織り込み済みで。
そして、清盛も叔父・忠正の真意をしっかりと読み取る。
何という絆だろう。
ふたりは心の奥底で理解し合い、通じ合っている。
忠正の思いを理解して、顔をあげる清盛。
忠正のためにも、この戦いに勝利しなければならないと決意する。
<清盛><忠正><義朝><正清>、そして大博打する<後白河帝>。
男のドラマである。
昨年の「江」などは女性論理の作品だったが、今回は、ひたすら男・男・男のドラマである。
清盛(松山ケンイチ)は中立を保つ。いくさ後、多くの恩賞を得るために。
なかなかしたたかだ。
一世一代の大博打でもある。ひたすら待って、駒を張るタイミングを計っている。
清盛、なかなか腹が据わってきた。
座る姿もどっしりしている。
そこへ後白河帝(松田翔太)。
「策など面倒だ。賽でも振ってさっさと決めろ」とサイコロを放る。
その前には清盛の腹の中を読み、「そちの思うとおりにはならぬ。朝廷の番犬として死んでいくのじゃ」と釘を刺す。決して、官位をやるから自分に味方しろと頭を下げることをしない。
後白河帝も腹が据わった博打打ちで、この命を賭けた権力争いの状況を遊び、愉しんでいる。
これに答えて清盛。
「平氏は必ず勝ってみせまする。あなた様との勝負にも」
このせりふの意味が、最初、僕にはわからなかった。
せりふとせりふの間を埋める、行間を読む作業をしなければならない。
つまり……
清盛は目の前の保元の乱ではなく、未来の戦いのことを語っている。
後白河帝は「朝廷の犬として死んでいくのじゃ」と清盛に釘を刺したが、清盛は「そんなことはない。後白河帝との戦いに勝って自分は勝って武士の世を作っていく」と反論している。
ここで面白いのは、ならば、なぜ清盛は、この時、崇徳上皇(井浦新)に味方しなかったのかということだ。
崇徳上皇の方が後白河帝より、はるかに御しやすい。
悪左府・頼長(山本耕史)の存在はあるが、武士の世を作るためには崇徳上皇についた方がはるかに楽。
しかし、清盛は後白河帝を選んだ。
その理由は、後白河帝とのゲームを愉しみたかったから?
とりあえず今回はあなたに味方して、権力を預けておくが、いずれ勝って、権力を奪ってみせるという意思表示?
もちろん、清盛が後白河帝に味方したのには「武士の力を一番わかっている人物」だから、というのもあるだろう。
だが、清盛は崇徳上皇に着くという安易な遊びはしない。
やるのなら大博打だ。
だから後白河帝に味方をした。
というわけで、この清盛と後白河帝の心理的な駆け引きは実に深い。
人物としても、このふたりは周囲の人物より腹が据わっている。
平頼盛(西島隆弘)は、目の前の状況に右往左往している。
義朝(玉木宏)も<友切>を何度も見て、自分の下した決断が正しかったのか、迷っている。
その迷いは、鎌田正清(趙和)が駆けつけて、やっと解消される。
一方、さすがの清盛も、忠正(豊原功補)の行動には思い至らなかったようだ。
それは「生きるも死ぬももろとも。それが平氏の絆じゃ」と純粋に信じていたからだが、<どちらかに荷担して負けた場合、平氏の血が根絶やしにされる。それを避けるために自分が保険になって上皇側に味方する>という忠正の思いは予測できなかった。
一方、忠正の方は、清盛のことをしっかり見ている。
自分が上皇側につけば、清盛が「生きるも死ぬももろとも。それが平氏の絆じゃ」と苦しむことを予測して、「わしとお前の間には、はなっから絆などないわ」と言い捨てる。
それが真意ではなく、ウソであることであると清盛にわかることも織り込み済みで。
そして、清盛も叔父・忠正の真意をしっかりと読み取る。
何という絆だろう。
ふたりは心の奥底で理解し合い、通じ合っている。
忠正の思いを理解して、顔をあげる清盛。
忠正のためにも、この戦いに勝利しなければならないと決意する。
<清盛><忠正><義朝><正清>、そして大博打する<後白河帝>。
男のドラマである。
昨年の「江」などは女性論理の作品だったが、今回は、ひたすら男・男・男のドラマである。
いつもありがとうございます。
前回、前々回などは脚本が粗くて心配していたのですが、今回は上手かったですよね。
おっしゃるとおり、あざとい説明せりふはなく、せりふのやりとりと構成、表情で気持ちを表現している。
ご指摘の、通清が正清の本音を引き出すのも見事でしたし、駆けつけた政清に義朝が「遅いぞ」とのみ語ったのも上手かった。
そして、同じ肉親との戦いを背負った馬の乗った清盛と義朝が遭遇。
実にしびれました。
次回は、清盛と忠正が、義朝と為義が本格的にぶつかるわけですが、見逃せませんね。
「前夜の決断」よかったです!
忠正は、後白河帝と上皇のどちらにつくかの一族の話し合いの場で、清盛に忠盛の姿をみた。
一族の頭領と認めた上で、一族のために自分のとるべき行動にでた……。
忠正の思いが、清盛、頼盛、そして宗子(和久井映見)に伝わって……。
もう本当、すべてセリフでなくて、役者の顔、シーン構成で伝えようという回でした。
でも忠正の見せ場はまだ来週!
今回は正清の進退についての源氏のシーンも素晴らしかった。
一度は義朝のもとを離れたものの、まだ迷いのある正清。
為義はあえて親子2人の時間を作ってあげたようです。
通清が白々しく義朝の悪口を言うと、正清の本音が出てくる。
そこに通清が一言「やっかいな主を見捨てられぬは親譲りじゃの」
ここ、一番感動しました。
来週も楽しみです。
いつもありがとうございます。
清盛と後白河帝の心理描写については、作家さんはかなり苦労されたでしょうね。
後白河帝に「自分に味方せよ」と言わせることはできないでしょうし、清盛も後白河帝を選ぶのにそれなりの理由がいる。
なので、清盛は「自分の所まで昇ってこい」という後白河帝の挑発に乗り、後白河帝はこう挑発した方が清盛は乗ってくると考えていた、という解釈。
このバックボーンにあるのは、<遊びをせんとや生まれけん>というふたりの間にある思い。
普通なら、<後白河帝の方が洞察力のある名君だから>とか<弟を死に追いやった頼長が上皇側にいるから>とかの解釈になりそうですが、敢えて、当たり前にしなかった所に、作家さんの魂を感じます。
頼盛については、あまり平家の歴史に詳しくないのですが、今後の不安要素になるんですかね。
どうなるか、楽しみです。
いずれにしても、忠正をこれだけ見事に描き切ったことに脱帽です。
やはり、本作にコウジさんが惚れ込んでいるからこそなのでしょうね。
>ならば、なぜ清盛は、この時、崇徳上皇(井浦新)に味方しなかったのかということだ。
コウジさんの「行間」解説あればこそ、清盛の言動を整合的に理解し、主人公としての本領を感じ取ることもできますが、難解なことも確かです。
多くの視聴者は頼盛と同じレベルの理解しかできないかもしれません。
そして忠正ですが、期待通り見せてくれましたね。泣かせるところです。
私の理解では彼の行動には二つの側面があります。
(1) 以前からコウジさんが予想されていた戦国真田家と同じ「保険」
(2) 頼盛の身代わり
清盛は忠正の(1)は理解していたので、このレベルで
>ふたりは心の奥底で理解し合い、通じ合っている。
という「男のドラマ」はしっかりと成立しています。
しかしながら、(2)は原理的に清盛に気づかれてはならない要素。
清盛の頼盛に対する信頼が損なわれてしまいますので。
ですから、少なくとも今の時点で忠正の思いを(2)も含めて完全に理解しているのは池禅尼・宗子だけ、ということになります。
こうした忠正には「ハリー・ポッター」での「スネイプ先生」のイメージが重なります。