平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第34回「目覚め」~殿御は皆、かわいいものでございます。彰子、少しずつ心を開いていく

2024年09月09日 | 大河ドラマ・時代劇
 一条天皇(塩野瑛久)はストレートに物を言う人物が好きなんですよね。
 まひろ・藤式部(吉高由里子)に対して、
「朕に物怖じせず、ありのままに語る者は滅多におらぬ」
「そなたの物語は朕にまっすぐ語りかけてくる」
 だから、まひろの所にやって来る。
 一条天皇は孤独なんですね。
 心の深い所で繋がりたいのに誰もいない。
 愛した定子(高畑充希)は他界してしまった。
 まひろは言う。
「書いているうちに帝の悲しみを肌で感じるようになりました」

 一方、彰子(見上愛)はストレートに物を言う人物とは正反対。
 他者に対して心を閉じている。
 これだと一条天皇も心を寄せることができないだろう。

 ただ、まひろに対しては少し心を開いているようだ。
 彰子は自分の思いをまっすぐぶつける。
「この物語の面白さがわからぬ」
「光る君は何をしたいのかわからぬ」
「帝はそなたの物語のどこに魅かれているのであろう?」
 こういう段階なのか~。
 まだ子供ってことかな?
 確かに敦康親王(池田旭陽)といる時は楽しそうだけど。

 こんな彰子にまひろは少しずつ大人の世界のことを教える。
「殿御は皆、かわいいものでございます」
「帝も殿御でございます」
「帝のお考えになることとどこか重なっておるのやもしれませぬ」
 彰子は理解できない。混乱している。
 でも考えている。知りたいと、もがいている。

 劇中、ひとりポツンと座っているシーンがありましたが、彰子は孤独なんですよね。
 この彰子の孤独と帝の孤独が合わさった時、何かが生まれる気がする。
 愛の喜び。体の歓び。
 そして、人間の愚かさ、滑稽さ、ずるさ、かわいらしさ。
 すなわち『源氏物語』の世界。

 人間の愚かさ、滑稽さ、ずるさ、かわいらしさ。
 これらは今回、公任(三浦翔平)が読んだ『空蝉』に表われている。

・人妻、空蝉のところへ夜這いに行く光源氏。
・この時、空蝉は退避している。
・光源氏はそこにいた少女を空蝉だと勘違いして、事に至る。
・途中で空蝉でないことに気づくが、相手も喜んでいるし、
「そなたが目的だったのだ」とウソを言って、行為を続ける。笑

 どーしようもないな~、光源氏!
 内容もくだらない!
 彰子が「面白さがわからぬ」と言うのもわかる気がする。
 でも、ここで読み取るべきは、人間の愚かさ、滑稽さ、ずるさ、かわいらしさなんですね。
「殿御は皆、かわいいものでございます」
 これを理解した時、彰子は世界に対して心を開くことができる。

 あと『源氏物語』関連で言えば、まひろは「若紫」の執筆を始めましたね。
 鳥を鳥籠から逃がしてしまった少女・若紫。
「ずっといっしょに生きていられたら、どんな人生を送っていたんだろう?」
 まひろは若紫を描くことで、それを追体験しようとしている。

 この場合、光る君のモデルは道長(柄本佑)だ。


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2 コメント

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山場中の山場 (TEPO)
2024-09-09 23:15:37
彰子から一条天皇からも訪問を受け、一定の信頼を勝ち得る。
女房たちは道長との親密さを噂されるが、彼女たちの品の良さゆえに「やっかみ」の的となることはなく、むしろまひろの地位の特殊性が認められる契機となる。
そして、赤染衛門先輩と並んで彰子の側に侍するにいたる。
今回もまひろは快進撃。

ところで、私は疎遠な関係から心を通わせてゆくというパターンと並んで、「心」が見えない人の中に「心」が覚醒してゆく、という物語にも魅力を感じます。そこで
>「殿御は皆、かわいいものでございます」
この台詞の直後に「帝も?」と反応した彰子@見上愛さんの可愛さ―この言い方は私が歳だからかもしれませんが―が非常に印象的でした。
しかし、予告編では「お慕いしております」との涙ながらの強い台詞。
来週は一気呵成に「山場の中の山場」にさしかかるようです。

>敦康親王といる時は楽しそうだけど。
かつて幼い頃の定子と一条天皇との夫婦関係のように、彰子と敦康親王との養母・養子関係は結構うまくいっているようです。
かつて詮子が我が子一条天皇を道隆一家に囲い込まれたと感じた時とは逆に、伊周は我が甥(最も近い血縁者を自認)敦康親王を道長一家に囲い込まれたと感じて追い詰められたようです。
これまでは陰に隠れて呪詛などをするくらいでしたが、いよいよ「分かりやすい仇役」としての挙―おそらくは道長暗殺計画―に出るようです。
しかし、こうなると彼の先は長くないでしょうね。
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覚醒は次回 (コウジ)
2024-09-10 08:05:25
TEPOさん

いつもありがとうございます。

今回、彰子が一気に覚醒するかと思いましたが、1回間を置きましたね。
この作品、本当に焦らして来ます。
若い作家なら、すぐに覚醒して次に行こうとするのですが、大石静さんは待てる作家。

その分、成人した道長や伊周の息子たちが登場して今後の伏線を張りました。
一方、斉信らの館が焼けたエピソード。
史実だそうですが、客観的に見れば要らないシーン。
今後に繋がる伏線なのか。

まひろは「やっかみ」の的にならなかったですね。
実力でまわりを組み伏せたという感じでしょうか。
今後も陰口はありそうですが、ストレートないじめとかはなさそうです。
まひろが戦うのは「創作活動」であり、「彰子の心」なので、まわりとのいざこざは描かれないのかもしれません。

伊周は相手を道具として利用することしか考えていないんでしょうね。
息子・道雅ははっきり言っていましたし、敦康親王は無意識に気づいているのかもしれません。
道長も彰子を道具として使っていますが、そこには葛藤があり、娘に不憫な思いをさせたくないという親としての愛情もあります。

あとはおっしゃるとおり、伊周は父・道隆の成功体験が影響しているのかもしれませんね。
一方、道長は父・兼家のやり方を否定しています。

これらの違いが道長と伊周の命運をわけるのでしょう。
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