「怪物の木こり」「死刑にいたる病」──サイコパスを扱った映画を観た。
サイコパスの属性は次のようなものである。
1.口が達者で表面的な魅力がある。
2.誇大的な自己価値観。
3.刺激を求めやすい。
4.病的に虚言を繰り返す。
5.人を操作するために偽り騙す傾向がある。
6.良心や罪悪感が欠如している。
7.浅い感情。
8.冷淡で共感性がない。
9.かなり衝動的。
10.性行動が奔放。
「怪物の木こり」は特殊な脳チップを埋め込まれて
倫理や共感能力がなくなってしまった主人公たちの物語だ。
彼らはサイコパス的な行動をする。
煩わしい人間は平気で殺害する。
倫理や共感能力がないから殺害しても「痛み」を感じない。
彼らは自由で不安がなく、サイコパスである自分を肯定している。
ところが何かの衝撃で脳チップが壊れてしまった時──主人公は共感能力を取り戻す。
他者の痛みや感情を共有して戸惑い、驚き、
他者と触れ合うことに込み上げてくる喜びを感じる。
他者が煩わしいだけのものでないとわかる。
サイコパスである自分。
サイコパスでない自分。
主人公にとって、どちらが幸せであったのだろう?
現代社会は前者の傾向が多いかな?
殺人まではいかないが、他者と共感することを苦手な人、拒む人が多い気がする。
たとえば都知事選で話題になった、あの人とか。
……………………………………………………………………
「死刑にいたる病」は完全なサイコパスの物語だ。
榛村大和(阿部サダヲ)は快楽殺人をおこなう。そこに何のためらいもない。
泰村は人を操る。
他者が求めていることを感じ取り、そこにつけ込み信用させて殺害に及ぶ。
サイコパス的な資質をもった人間を見つけることにも長けていて、
それを引き出しサイコパスにする。
物語は、自分の中のサイコパス資質に悩む筧井雅也(岡田健史)の視点で描かれるが、
もうひとつ注目すべきは──
サイコパス殺人鬼・泰村がなぜ警察に簡単に捕まってしまったかだ。
今まで泰村は完璧に殺人をおこなって来た。
しかし、ある時から犯行が杜撰になり、捕まえて来た少女を逃がし、証拠を残して、
結局、逮捕されてしまう。
おそらく泰村はサイコパスである自分に疲れてしまったのだろう。
はやく死刑になって死んでしまいたかったのだろう。
人間の心って、そんなに強固じゃないだろうし。
あるいは泰村はサイコパス殺人すらも、つまらなくなってしまったのかもしれない。
ただ自分の因子は残したかったので、筧井雅也をサイコパスにしようとした。
現代社会──人の心はどんどん壊れていっている。
人は多かれ少なかれ、上に書いたようなサイコパス要素を持っているような気がする。
サイコパスの属性は次のようなものである。
1.口が達者で表面的な魅力がある。
2.誇大的な自己価値観。
3.刺激を求めやすい。
4.病的に虚言を繰り返す。
5.人を操作するために偽り騙す傾向がある。
6.良心や罪悪感が欠如している。
7.浅い感情。
8.冷淡で共感性がない。
9.かなり衝動的。
10.性行動が奔放。
「怪物の木こり」は特殊な脳チップを埋め込まれて
倫理や共感能力がなくなってしまった主人公たちの物語だ。
彼らはサイコパス的な行動をする。
煩わしい人間は平気で殺害する。
倫理や共感能力がないから殺害しても「痛み」を感じない。
彼らは自由で不安がなく、サイコパスである自分を肯定している。
ところが何かの衝撃で脳チップが壊れてしまった時──主人公は共感能力を取り戻す。
他者の痛みや感情を共有して戸惑い、驚き、
他者と触れ合うことに込み上げてくる喜びを感じる。
他者が煩わしいだけのものでないとわかる。
サイコパスである自分。
サイコパスでない自分。
主人公にとって、どちらが幸せであったのだろう?
現代社会は前者の傾向が多いかな?
殺人まではいかないが、他者と共感することを苦手な人、拒む人が多い気がする。
たとえば都知事選で話題になった、あの人とか。
……………………………………………………………………
「死刑にいたる病」は完全なサイコパスの物語だ。
榛村大和(阿部サダヲ)は快楽殺人をおこなう。そこに何のためらいもない。
泰村は人を操る。
他者が求めていることを感じ取り、そこにつけ込み信用させて殺害に及ぶ。
サイコパス的な資質をもった人間を見つけることにも長けていて、
それを引き出しサイコパスにする。
物語は、自分の中のサイコパス資質に悩む筧井雅也(岡田健史)の視点で描かれるが、
もうひとつ注目すべきは──
サイコパス殺人鬼・泰村がなぜ警察に簡単に捕まってしまったかだ。
今まで泰村は完璧に殺人をおこなって来た。
しかし、ある時から犯行が杜撰になり、捕まえて来た少女を逃がし、証拠を残して、
結局、逮捕されてしまう。
おそらく泰村はサイコパスである自分に疲れてしまったのだろう。
はやく死刑になって死んでしまいたかったのだろう。
人間の心って、そんなに強固じゃないだろうし。
あるいは泰村はサイコパス殺人すらも、つまらなくなってしまったのかもしれない。
ただ自分の因子は残したかったので、筧井雅也をサイコパスにしようとした。
現代社会──人の心はどんどん壊れていっている。
人は多かれ少なかれ、上に書いたようなサイコパス要素を持っているような気がする。
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