今回はちょっと違和感。
今まで地に足がついた感じでしっかり描写されていましたからね、急に悪役・後藤象二郎(青木崇高)を懲らしめる龍馬(福山雅治)という痛快話になってしまった。
<龍馬が東洋殺しの犯人>
このことは次回でウソであることがバレて今回限りのことで終わるのか、今後も後を引いて土佐藩に追われることになるのか、そんなことも気になる。
また、フィクションとしてウソをつくならうまくウソをついてもらわないと。
・溝渕広之丞(ピエール瀧)が運良く弥太郎(香川照之)の手紙を見つけたことは不自然。
・溝渕が大坂の近藤長次郎(大泉洋)の所に行って、龍馬に出会うのもなぜ?
・龍馬は弥太郎の手紙を読むまで、土佐の<修羅場>を知らなかったのか? 以蔵(佐藤健)が無惨に捕まる所は目の当たりにしているのに。
・龍馬は土佐にいかに入っていかに出たか。
・あるいは後藤との事を起こしてから龍馬が逃げるまでの時間がかかり過ぎる。既に町中に追っ手が走りまわっているはず。
こういう所が気になるとうまく物語に入っていけない。
まあ、これらは段取りだからまだいいとして一番問題なのは<葛藤>がないことだ。
<坂本家と縁を切ること>
いくら形ばかりのこととはいえ、父親、母親に思い入れのある龍馬にしてみればこの決断は大きな苦しみであるはずだ。
<自分のすることで家族に類が及ぶかもしれないこと>
いくら絶縁したとはいえ、その可能性はないことはない。特に土佐では下士は犬猫同然であるのだから。
これらのことで龍馬はもっと葛藤し悩まなければならないのに、あっさりと乗り越えている。
また、龍馬の前に立ち塞がる<障害>も物足りない。
先程の<いかに土佐に入って出たか>もそうだが、龍馬が捕まるかもしれないという緊迫感がまったくない。龍馬には余裕があり、楽々と乗り越えている。
唯一、緊迫感のある<障害>は弥太郎が忍び込んで吟味書を盗み出してくる部分だが、これは弥太郎の<障害>であり、龍馬のそれではない。
視聴者は<葛藤>や<障害>に感情移入するのだ。
だから悩み葛藤し、脅えながら吟味書を盗み出す弥太郎にリアリティがある。
小心を龍馬に指摘されて、「そんなことない」と強がる弥太郎が可愛くなる。
脚本の福田 靖さんは龍馬をどう描くかで悩んでいるのかな?
今まで地に足がついた感じでしっかり描写されていましたからね、急に悪役・後藤象二郎(青木崇高)を懲らしめる龍馬(福山雅治)という痛快話になってしまった。
<龍馬が東洋殺しの犯人>
このことは次回でウソであることがバレて今回限りのことで終わるのか、今後も後を引いて土佐藩に追われることになるのか、そんなことも気になる。
また、フィクションとしてウソをつくならうまくウソをついてもらわないと。
・溝渕広之丞(ピエール瀧)が運良く弥太郎(香川照之)の手紙を見つけたことは不自然。
・溝渕が大坂の近藤長次郎(大泉洋)の所に行って、龍馬に出会うのもなぜ?
・龍馬は弥太郎の手紙を読むまで、土佐の<修羅場>を知らなかったのか? 以蔵(佐藤健)が無惨に捕まる所は目の当たりにしているのに。
・龍馬は土佐にいかに入っていかに出たか。
・あるいは後藤との事を起こしてから龍馬が逃げるまでの時間がかかり過ぎる。既に町中に追っ手が走りまわっているはず。
こういう所が気になるとうまく物語に入っていけない。
まあ、これらは段取りだからまだいいとして一番問題なのは<葛藤>がないことだ。
<坂本家と縁を切ること>
いくら形ばかりのこととはいえ、父親、母親に思い入れのある龍馬にしてみればこの決断は大きな苦しみであるはずだ。
<自分のすることで家族に類が及ぶかもしれないこと>
いくら絶縁したとはいえ、その可能性はないことはない。特に土佐では下士は犬猫同然であるのだから。
これらのことで龍馬はもっと葛藤し悩まなければならないのに、あっさりと乗り越えている。
また、龍馬の前に立ち塞がる<障害>も物足りない。
先程の<いかに土佐に入って出たか>もそうだが、龍馬が捕まるかもしれないという緊迫感がまったくない。龍馬には余裕があり、楽々と乗り越えている。
唯一、緊迫感のある<障害>は弥太郎が忍び込んで吟味書を盗み出してくる部分だが、これは弥太郎の<障害>であり、龍馬のそれではない。
視聴者は<葛藤>や<障害>に感情移入するのだ。
だから悩み葛藤し、脅えながら吟味書を盗み出す弥太郎にリアリティがある。
小心を龍馬に指摘されて、「そんなことない」と強がる弥太郎が可愛くなる。
脚本の福田 靖さんは龍馬をどう描くかで悩んでいるのかな?