「丁(てい)字路」 と 「T(ティー)字路」がネット上で少し話題になっているようです。何でも昨日の昼の番組で、一般人のお年寄りが「丁(てい)字路」という言葉を使ったところ、そこにいた芸人たちが「丁字路」という言葉を知らず、「T字路」を訛って発音したのだと思い込み、番組中でしばし「ネタ」にしていたといったことのようです。
ネットでは、言葉を知っているとか知らないとかではなく、お年寄りの一言を笑いのネタにする芸風というか世の風潮というか、そうした点が取り上げられてるようですが、個人的にはやっぱり言葉の方に関心が行きます。といっても、例えばいわゆる「ら抜き言葉」などは私は大嫌いですが、この 「丁字路」 と 「T字路」 は言葉の乱れといったものとは少し違うと感じています。どちらの言葉も明らかにその形に着目して生まれたもので、日本語とアルファベットにそれぞれ「丁」と「T]という文字が実際にあるのですから、もともと日本語に「丁字」という言葉があるのも、今の時代に同じ意味の「T字」という言葉が使われるのも極めて自然なことと思います。冒頭に書いたネット上の騒ぎ(?)は、この二つの文字がたまたま発音まで似ていることから起きてしまったのでしょうけれど、もともと「丁字」だったのがアルファベットの流入と一般化に伴って「T字」という言葉が生まれ、今やそちらの方が主流になっているさまは、大陸から流入してきた漢字を巧みに取り込んで漢字仮名交じりの表現を作り上げた日本語の柔軟さの、現代における一つの現れを見るようで、何やらほほえましいような気持になります。
以下は、ご参考まで。
NHK放送文化研究所
「最近気になる放送用語 丁字路? T字路?」
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/064.html
漢検 漢字辞典 (初版 P.1045/第二版 P.1053)
「丁字」 テイジ
「丁字形」の略。漢字の「丁」の字のような形。撞木(しゅもく)形。
ネットでは、言葉を知っているとか知らないとかではなく、お年寄りの一言を笑いのネタにする芸風というか世の風潮というか、そうした点が取り上げられてるようですが、個人的にはやっぱり言葉の方に関心が行きます。といっても、例えばいわゆる「ら抜き言葉」などは私は大嫌いですが、この 「丁字路」 と 「T字路」 は言葉の乱れといったものとは少し違うと感じています。どちらの言葉も明らかにその形に着目して生まれたもので、日本語とアルファベットにそれぞれ「丁」と「T]という文字が実際にあるのですから、もともと日本語に「丁字」という言葉があるのも、今の時代に同じ意味の「T字」という言葉が使われるのも極めて自然なことと思います。冒頭に書いたネット上の騒ぎ(?)は、この二つの文字がたまたま発音まで似ていることから起きてしまったのでしょうけれど、もともと「丁字」だったのがアルファベットの流入と一般化に伴って「T字」という言葉が生まれ、今やそちらの方が主流になっているさまは、大陸から流入してきた漢字を巧みに取り込んで漢字仮名交じりの表現を作り上げた日本語の柔軟さの、現代における一つの現れを見るようで、何やらほほえましいような気持になります。
以下は、ご参考まで。
NHK放送文化研究所
「最近気になる放送用語 丁字路? T字路?」
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/064.html
漢検 漢字辞典 (初版 P.1045/第二版 P.1053)
「丁字」 テイジ
「丁字形」の略。漢字の「丁」の字のような形。撞木(しゅもく)形。
私も言葉の乱れは捨て置けない性ですが、今回問題となった「丁字路」の言葉は、恥ずかしながら知りませんでした。ですので今回の一件を読みますと、何よりこの男性に感謝をしなければならないと思っています。
長い年月を経て言葉が変遷するのは当然かもしれませんが、今この時代に生きる者として、その誤用の片棒を担ぐことはなるべく避けたいと思っています。語彙の減少に手を貸すことも。漢字を学ぶことでその思いは一層強くなっている気がします。分かりやすい表現や時代にあった表現も勿論結構ですが、迎合することのないよう、言葉の伝道師としての役割を準1級以上を受検する私達には求められているのでしょうね。大袈裟にいえば絶滅危惧種を保護するような役割を。
ですので「相手がわからないだろうから使わない」のではなく、「こんな表現もありますよ」ということを草莽から発信することに大変意義深さを感じます。まさにそれらを体現していることが、凛太郎様はじめ漢検1級リピーターの皆様を尊敬する所以といえます。いつか私も凛太郎様のような存在になれるよう努力し続けたいと思います。
重ねてのコメント、ありがとうございます。
変化の渦中にある言葉について、どこまでが誤用でどこからが許容されるのか、なかなか難しい問題ですね。もちろん、そもそも明確な線引きができる問題ではないのですけれど。
本文にも書きました通り、私もどちらかと言えば「本来は正しくない」言葉やその用法が気になるたちです。しかしその一方で、私はやはり「攪拌」は「かくはん」、「較差」は「かくさ」と読みます。これらももともとは誤読ということですから、人々がこう読むことを苦々しく感じる方が、かつては大勢いたのでしょう。
確たる結論のない話ですが、こんなことにつらつらと思いを巡らすのも、言葉を学ぶ楽しみの一つですね。^^