このブログにもちょくちょくコメントを頂く、文泉堂さんから薦められた本です。
本はすぐに買っていたのに何となく手が出ていなかったのですが、ようやく今朝、出掛けに鞄の中へ。行きと帰りの電車の中でぱらぱらと読んでいたのですが、これは名作です。殺伐とした通勤電車のなかで読むのは勿体無いので、途中で読むのをやめてしまいました。
釣りにまつわる随筆というか短編小説というか、実話か虚構か、その境目が判然しないのですが、そんな括りは無意味なくらい、独特の世界があります。釣りをする人にしてみれば、「分かるよなぁ、これ」と膝を打つ箇所や、また「こんな釣りがしてみたいよなぁ」と羨望の気持ちに駆られる箇所(それは単に、沢山釣れるとか、大きい魚が釣れるということではなく・・・)。随所に筆者のその温かな眼差しを感じることが出来ます。
これを読んでいて思い出したのは、誰かが内田百の随筆を評して「どのページにも百がポカンとした顔で居る」というようなことを言っていたこと。こういうのが気になりだすと気になって仕方がないので、家に帰るなり本棚に直行し、「確かどこかの月報だったよなぁ・・・」と福武の百全集を1巻から開いてみます。するとまもなく、見つかりました、第2巻。室生犀星の『百鬼園随筆を読む(抄)』(「東京朝日新聞」昭和8年11月24日所収)。
百鬼園というのはすなわち百のことですが、その随筆を「図抜けてみんな旨い、そしてどの小品も面白い」と言った後で、「どのペーヂにも内田百がポカンとした顔付でたゝづんでゐる」と書いています。(上の写真の真ん中辺り。)
この『川釣り』もそうで、どこを読んでもあの井伏鱒二の、恐らく皆さんも『山椒魚』か『黒い雨』の著者としてその写真をどこかでご覧になったことがあるかと思いますが、あのふくよかな顔が浮かんできます。なかにはお気の毒なことも書かれてあるのですが、それが逆に滑稽にさえ思えるような書きっぷり。それでいて悲壮感や貧乏ったらしさは微塵もなく、何と言いましょうか、さりげない親切に触れた時のような清清しさ。
私はもともと随筆は好きで、これまで色々と読んできたつもりでしたが、これは面白いです。本には出会うタイミングがあると常々思っていますが、井伏鱒二は私にとってちょうど今がそのタイミングだったのでしょう。ちょうど文泉堂さんからは河出書房の井伏鱒二集も頂いているので、これから少し落ち着いて読んでみようと思います。
井伏鱒二『川釣り』(岩波文庫)
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