透谷全集
2008年08月25日 | 本
本棚の片づけをしていると、懐かしい本が続々と出てきます。
この透谷全集(岩波書店刊)は今から20年ほど前に、京都の三条河原町にあった東亜書房という古本屋で買ったものです。昭和25年が初版ですが、そんな稀覯本を貧乏学生が買えるはずもなく、私の手元にあるのは昭和42年に出た重版の第10刷です。
透谷を読んだ最初の体験は、恐らく高校の国語の授業だったと思うのですが、今となっては記憶が少し曖昧です。教科書に載っていたのか模試に出てきたのか、ちょっとはっきりしないのですが、それでも随筆の名前と本文だけは強烈に覚えています。『漫罵』という随筆です。
文章の一節を読むと全体が読みたくなり、一編の作品を読めば全作品を読みたくなる、そんな風に思える作家が誰にだってあると思うのですが、北村透谷は、少なくとも当時の私にとってはそんな作家でした。岩波文庫の選集を買ったのもこの時期でしたが、それに飽き足らず、京都に出て古本屋巡りをするようになってまず探し回ったのが透谷全集でした。
当時は(今も?)それほど珍しくはなかったのでしょう、いくつかの古本屋で見つけることが出来たのですが、本の状態と値段のバランスで、東亜書房のものを買うことにしました。買ったその足で六曜社(珈琲店)に入り、黴臭いページを繰った時の嬉しさは忘れられません。
さてその『漫罵』ですが、私が強烈な印象を受けたのはこの一節。
「今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心自ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺ろさゞるもの稀なり。(以下略)」
この随筆が雑誌『文学界』に発表されたのが1893年(明治26年)10月。近代化の急激な流れに乗った日本という国を憂う気持に溢れています。しかし、この随筆が書かれてから100年以上経った今でも、この文章は何だか身につまされる気がするのです。私が時々書棚の奥から引っ張り出してこの随筆を読みたくなるのは、そんな「新しさ」を持っているような気がするからかも知れません。
因みにこの『漫罵』という随筆は青空文庫でも全文を読むことが出来ます。
透谷はこの随筆を発表した翌年、1894年(明治27年)の5月に自殺します。27歳の若さでした。
私は古本屋で買ったことはあってもまだ売ったことはありません。(あ、ブックオフに持って行った新書や文庫は除いてですが。)透谷はいまだ捨てきれないですね。何と言うか、若さ故の煌きというか・・・。