ブリヂストン美術館で開催中の「没後100年 青木 繁 展-よみがえる神話と芸術」に行ってきました。
先月から始まっていることは知っていたのですが、ブリヂストン美術館もこのところ夜間開館が中止になってしまったため、なかなか行くチャンスがありませんでした。ようやく行けた時には既に前期の展示は終了。しかし、以前から観たいと思っていた作品には出会えましたし、予想もしなかった発見がいくつもありました。
今回の展示は勿論ブリヂストン美術館と、同じ石橋財団の石橋美術館(久留米市)の収蔵品が中心にありますが、それ以外にも国内の様々な美術館からの出展があり、油彩だけでも約70点、水彩や素描が170点、その他にも手紙等の資料もあり、かなり力の入った展示でした。
個人的に特に見応えがあったのはやはり油彩です。誰もが知っているこの作品とは久しぶりの再会。
(青木繁「海の幸」1904年、石橋財団石橋美術館蔵、重要文化財)
久留米から出てきた青年青木は東京美術学校西洋画科に入学。そこで黒田清輝、藤島武二の薫陶を受けます。ただ、その頃描かれた自画像や写真を見ると、随分と自信たっぷり、不遜な表情をしています。
しかし、その技術や芸術性が理解されるには、青木は少し早く生まれすぎたのかも知れません。満を持して東京勧業博覧会に出品したこの作品も、当時はあまり評価されなかったようです。
(青木繁「わだつみのいろこの宮」1907年、石橋財団石橋美術館蔵、重要文化財)
今回私が特に惹かれたのは、晩年(と言っても、20代の後半ですが)に描かれた風景画です。ブリヂストン美術館には青木が描いたモネ顔負けの海景がありますが、幼い息子を残して九州を放浪している最中に描いた作品には、何だかとても穏やかな情緒に溢れています。
(青木繁「月下滞船図」1908年、石橋財団石橋美術館蔵)
ブリヂストン美術館の常設展の常連作品に浅井忠がグレーの洗濯場を描いた油彩がありますが、この絵を見ているとその絵と同じような安定感、落ち着きを感じます。上述の「海の幸」からわずか4年。私は今回改めて、青木繁という人がこんなにも短い期間に画風を次々に変化させていたことを知りました。まさに太く短く、時代を一気に駆け抜けた感じ。それが行き着いた先なのか途中だったのか、それは定かではありませんが、青木の生涯はこの絶筆に結実します。
(青木繁「朝日(絶筆)」1910年、佐賀県立小城高等学校同窓会黄城会(佐賀県立美術館寄託))
いや、結実という積極的な表現よりも、余分なものが削ぎ落されて、最後に自身の粋(すい)の部分が残ったのでしょうか。それとも、世に認められない不遇を託ちながらも、自分の矜持はきちんと示して逝ったのでしょうか。
いずれにせよ、この展示のこの構成と流れは本当に見事です。間違いなくあと何回か、行けるだけ行くつもりです。
没後100年 青木 繁 展-よみがえる神話と芸術
ブリヂストン美術館
2011年7月17日~9月4日
青木の作品に会うことでした。
年に数回として、還暦をとおり過ぎたので
3桁回前後の再会,再再会を繰り返したこと
になります。
そのたびに新鮮で、しかも安心感を伴った気持ち
になれました。
ブリヂストン美美術館は、いつでも行ける気軽さから、
気付くと久しく行ってなかったりするのですが、
年間パスがなくなってから余計にそうなってしまった
ような気がします。
ここに来ればいつでも浅井忠や藤島、青木の作品に
出会えるというのは、とても贅沢な話ですね。
常設展の部屋は、「ピカソ」、「セザンヌ」、「モネ」等々が集められていました。
「腕を組んで座るサルタンバンク」の前に椅子が置いてありましたので、どっかりと座らせていただき、心ゆくまで鑑賞。暑さを忘れる幸せな時間を過ごさせていただきました。
青木繁の作品をこれだけたくさん一度に観られるというのは本当に幸せです。
今週何とかしてもう1回は行きたいと思っています。
常設展は1部屋でしたが、個人的には好きな作品ばかりだったので、
こちらも良かったですね。