東京に住むようになって15年以上経ちますが、六本木というところに足を踏み入れたのは、通算でも恐らく10回あるかないかでしょう。そんな極めて縁遠い世界に、はるばるボストン美術館展を観に行ってきました。
私はアメリカという国には一度も行ったことがないのですが、美術館という意味では、ボストン、シカゴ、ニューヨーク(METことメトロポリタン)、そして出来ればフィラデルフィアにはいつか行ってみたいと思っています。もっとも、ここに挙げたうちのフィラデルフィア以外は、学生時代に京都に巡回があったので、観た絵の数は少ないながらも多少は馴染みがあります。
今回のボストン美術館展は、のっけからレンブラントの特大の肖像画(しかも、モデルが夫婦なので2枚セット)で始まり、しかも同じ部屋の隣の壁を見るとベラスケスとマネの肖像画が並んでいるという、もうそれだけで「参りました 」状態。何とも贅沢な展示でした。
この日は会社の同期と2人で行ったのですが、金曜日の夜ということで私たちと同じように会社帰りの人が多かったのでしょう、特に中盤から後半にかけての印象派のコーナーは結構混みあっていました。
特に圧巻だったのは「モネの冒険」という名前で仕切られた一室。半円状の壁にモネの風景画が時系列に左から右へ10枚並んでいます。中心に立つと、10枚全てが自分の方を向いていて「ござんなれ」という感じ。私が特に印象に残ったのはその一番右端、なかでは一番後に描かれたこの睡蓮の池。
(クロード・モネ「睡蓮の池」1900年)
モネお気に入りの太鼓橋ですが、ここをご覧下さい。アップだと何が描かれてあるのか一瞬分からなくなるほど。
(クロード・モネ「睡蓮の池」(部分)1900年)
筆致分割という印象派の技法が行きつくところは、極論してしまえば具象と抽象の境を取っ払うことなのだと、この絵を観ていて改めて感じました。
それから、印象派で忘れてはならない「お父さん」、ピサロです。
(カミーユ・ピサロ「エラニー=シュル=エプト、雪に映える朝日」1895年)
私はピサロの雪の風景画が大好きですが、この絵は、描かれている木々の影が横に長いことから見て、恐らく早朝の風景でしょう。水を汲みに行く女性でしょうか、彼女の上の木々の枝に積もった雪が朝日を浴びてキラキラ輝いている様子が、間違いなくその瞬間の光のきらめきとなって、観る者に伝わってきます。
もう一人。印象派で一番好きな画家は?と聞かれれば、個人的には間違いなくこの人。
(アルフレッド・シスレー「サン=マメスの曇りの日」1880年頃)
人間の記憶というものは面白いもので、この日この絵を観た瞬間、初めてこの絵を観た時のことを思い出しました。嬉しい再会。しかも、その時も今も、変わらずシスレーは大好きです。京橋のブリヂストン美術館にもサン=マメスの同じような風景を描いた絵がありますが、共通しているのはその木々や空、その空気感、水面や道路に落ちる影の陰影。それを、どちらかと言えば旧き良き風景画を思わせる安定した構図が支えています。そこにあるのは素直な、というか忠実な自然の風景であって、何の衒いもありません。それが観るものに安心感を与えている所以だと思います。
さて、例によって展示室を3往復くらいしたのですが、実は私が一番長い時間居たのは、印象派のコーナーではなく、そのもっと前、肖像画や宗教画があったところです。これがまた、後半の印象派のコーナーと比べると、もったいないくらい人が少なくて、じっくりたっぷり、堪能しました。
(エル・グレコ「祈る聖ドミニクス」1605年頃)
昨年のハプスブルク展で「受胎告知」を目にした時もそうでしたが、いわゆる古典絵画という範疇で括ることが出来ない、エル・グレコの新しさ。自分の貧弱な語彙では語るに足りませんが、嗚呼願わくばマドリッドに赴きたし
そして、長くなりましたが、ラストです。実は一番気に入った絵の絵葉書が売ってなかったのでちょっとがっかりだったのですが、ひょっとして?と思い学生時代に行った時の図録を引っ張りだして見てみると・・・
ありました
(エドガー・ドガ「男の肖像」1860年代)
ドガ(1834-1917年)が若い頃の肖像画です。先ほどのシスレーとは違って、学生時代は全く記憶に残っていなかったのですが、今回は何故だかこの絵を観ていた時間が一番長かった気がします。単なる描写ということではない、深い洞察。今回の展示でベラスケス、レンブラント、マネ、そしてドガと観てくると、共通しているのは、そのモデルとなった人物が、時を越え、モデルの意図とは全く別の次元で、現代の私たちに投げかける「人間臭さ」。古くて新しい、この新鮮な驚きは、いつもながら堪えられないですね。
因みにこの図録。
よく見ると、図録の最後に挟んであるチケットの半券が2枚。
私はいまこの記事を(深夜)リビングのパソコンでハイボールを飲みながら書いていますが、Boseから流れるバッハを聴きながら傍らのソファで気持ちよさそうに眠っている誰かさんは、一緒に行ったことなど絶対覚えてないでしょうねぇ
ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち
森アーツセンターギャラリー
2010年4月17日~6月20日
1989年でしたか。
当時は入場券を購入したことも、
並んで、待つこともない、
貧乏人にとつて、恵まれた環境でした。
とは言え、合州国では1度も美術館に
顔を出さずに,竿をザックにつめて、
うろちょろしてました。
ボ美術館はスゴイなーとあらためて
歓心しているしだいです。
例の如く、例の河川の源流地帯へ
岩魚の顔を見に行っきました、
文泉
メシ代や風呂代をケチって本やコンサートのチケットを
買っていた頃が、とても懐かしいです。
貧乏でしたが、貧乏だったからこそ、たまに行った
コンサートや美術展は、今でも鮮明に覚えています。
この頃の忘れられない美術展は、ゴッホが大阪(万博)
だった他は、
ターナー、シカゴ、ボストン、エルミタージュ、ひろしま、
全て岡崎の市美だったような気がします。
ジェリコーだけは向かいの国立近美だったかな。
あの頃は、あの頃にしか感じられない観方をしていたはずで、それはそれで宝。
今またこうして色々な美術展を楽しめることがとても幸せです。
国美と市美へほぼ同じ程度
通ったような気がします。
ミロのヴィーナスやモナリザは
国美だった?かな
ひょつとすると、認知症
それとも加齢による老化
なにはともあれ、少なくとも、まさに青春の数ページ
しかも大切な時間帯でした。
文泉
少ない分、よく覚えてますかね(笑)
いま思い出しても、本当に贅沢な時間でした。
当時は後々こんなにも懐かしく思い出すことに
なるとは思ってもみませんでした。
子供たちが手を離れたら2人でまた京都に行こう
というのが、ここ何年もの口癖になっています。