(佐伯祐三「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」1927年
横浜のそごう美術館で開かれている佐伯祐三展を見てきました。
例によって仕事が終わってから横浜に向いましたので、会場に着いたのは7時過ぎ。閉館は8時ですから、見てまわる時間は正味1時間もありませんでした。ですが、今回没後80年ということで企画された展示は、夭折したこの画家の短くも儚い画業を辿るにはとても面白い構成でした。
佐伯祐三は1898年に生まれ、1928年にパリで亡くなった洋画家です。その画業としての輝きは、1924年に初めてパリを訪れてから亡くなるまでの僅か4年ほどの間に集中しています。ヴラマンクに憧れ、渡仏してすぐに彼の元を訪ねますが、持参した裸婦像を「アカデミック!」と批判されたところから彼の闘いが始まります。
その頃の絵を見ると、ゴッホの大胆さもなく、ブラマンクの完成度にはほど遠く、自分のスタイルを模索している様がよく分かります。1924年の終わり頃に描かれた自画像を見て、まさにそれを強く感じました。(今回は図録は買わなかったので、申し訳ありませんが、その頃の絵の画像はありません。)
一貫しているのは、皮肉なことに、その構図の不安定さです。縦の線と横の線、面の構成、そのどれもが私には中途半端に見え、もしそれが「うねる」のであればもっと大胆に、揃えるのであればもっときっちりと揃えた方が絵としての安定感は増しただろうと思います。(これはあくまでも私の個人的な感想に過ぎません。)
風景画を見ると特にその感じは強く、どう表現して良いか分からない不安定さが拭いきれません。ところがそんな中に時折、バランスの妙というか、ふとした安定感が見て取れる絵があって、その落差が大きいところがはっきりと感じられた今回の展示でした。
その不安定さを補って余りあるのが、彼が描く「文字」です。冒頭の絵はレストラン戸外のテラスでしょうか、絵の下半分には雑然としたテーブルや椅子がしっかりとした構図で描かれています。そしてその右上に描かれている広告や看板が、絵に繊細さを与えていると思います。
街角の風景と文字の組み合わせでもう1点。
(佐伯祐三「街角の広告」1927年)
極端なものは、建物の壁だけを描いたものもあります。しかしこのただの壁が、言いようのない安定感と表情で迫ってくることは否めません。
(佐伯祐三「壁」1925年)
佐伯祐三のこの頃の絵を見ると、ブランクの影響の他に、同時代のフランスの画家、ユトリロ(1883-1955年)の影響を見ることが出来ます。しかしユトリロの描くパリの街角はもっと端正で透明感があります。私が佐伯祐三の絵に構図の安定感がないと感じるのは、例えばユトリロのこの絵と比べてみるとお分かり頂けるでしょうか?
(ユトリロ「郊外の通り」1945-1950年頃)
全ての展示を見終わった私の目には、佐伯祐三は結局のところヴラマンクにもユトリロにもなれず、焦りの中で亡くなってしまったという感じがしました。その中でも光るのは看板や広告の文字を描いた作品で、私の中でもまだ明確に表現することは出来ないのですが、その暴れるような字体の中に、ある種の繊細さと大胆さが感じられて、それが絵に独特の奥行きと緊張感を与えているような気がします。壁一面の新聞を描いたこの作品もそうです。
(佐伯祐三「新聞屋」1927年)
壁に刺さった新聞が並ぶ絵ですが、携帯のカメラではその繊細さがお伝え出来ず残念です。この絵を初めて見たのは6年ほど前に新宿の伊勢丹であった「ヴラマンク・里美勝蔵・佐伯祐三展」で、何故かは分かりませんがその時ももっとも印象に残った絵でした。絵の右半分、細かく描かれた新聞の見出しの文字がこの絵の真情です。
風景と文字の組み合わせで、私が一番面白いと思ったのはこの大原美術館所蔵のものでした。
(佐伯祐三「広告<ヴェルダン>」1927年
展示の最後を飾るのは、入場券の半券にも印刷されている「郵便配達夫」。野外での写生中に風邪を引いて自室で療養中だった佐伯祐三が、郵便を持ってきた配達夫にモデルになってくれと頼み描いたものです。
これまで散々、構図の不安定さということを書いてきましたが、この絵に限って言えば、斜め左に傾斜した全体の構図に統一感があって、これはこれで完成度が高いと思いました。しかし、その心理描写という点ではどことなく平板で、今ひとつ深みに欠けるような気がします。
例えば同じ制服を着た肖像画で私がこれまで最も感動したのはゴッホですが、20年以上も前に初めてこの絵の前に立った時の怖気を震った感動は、今も忘れることが出来ません。
(ゴッホ「ミリエの肖像」1888年)
という訳で、好みは人それぞれ色々あるとは思いますが、全体的に見れば、佐伯祐三という一人の若い星の画業を概観するには良く出来た構成だったと思います。同時に、彼があと20年、いやあと10年でも健康に恵まれて絵を描き続けていたらどうなっていただろうと思いましたし、その無念さが伝わってくるような絵の数々でした。
佐伯祐三展
2008年5月10日(土)~6月22日(日)
そごう美術館(横浜駅東口・そごう横浜店6階)
横浜市西区高島2-18-1
横浜のそごう美術館で開かれている佐伯祐三展を見てきました。
例によって仕事が終わってから横浜に向いましたので、会場に着いたのは7時過ぎ。閉館は8時ですから、見てまわる時間は正味1時間もありませんでした。ですが、今回没後80年ということで企画された展示は、夭折したこの画家の短くも儚い画業を辿るにはとても面白い構成でした。
佐伯祐三は1898年に生まれ、1928年にパリで亡くなった洋画家です。その画業としての輝きは、1924年に初めてパリを訪れてから亡くなるまでの僅か4年ほどの間に集中しています。ヴラマンクに憧れ、渡仏してすぐに彼の元を訪ねますが、持参した裸婦像を「アカデミック!」と批判されたところから彼の闘いが始まります。
その頃の絵を見ると、ゴッホの大胆さもなく、ブラマンクの完成度にはほど遠く、自分のスタイルを模索している様がよく分かります。1924年の終わり頃に描かれた自画像を見て、まさにそれを強く感じました。(今回は図録は買わなかったので、申し訳ありませんが、その頃の絵の画像はありません。)
一貫しているのは、皮肉なことに、その構図の不安定さです。縦の線と横の線、面の構成、そのどれもが私には中途半端に見え、もしそれが「うねる」のであればもっと大胆に、揃えるのであればもっときっちりと揃えた方が絵としての安定感は増しただろうと思います。(これはあくまでも私の個人的な感想に過ぎません。)
風景画を見ると特にその感じは強く、どう表現して良いか分からない不安定さが拭いきれません。ところがそんな中に時折、バランスの妙というか、ふとした安定感が見て取れる絵があって、その落差が大きいところがはっきりと感じられた今回の展示でした。
その不安定さを補って余りあるのが、彼が描く「文字」です。冒頭の絵はレストラン戸外のテラスでしょうか、絵の下半分には雑然としたテーブルや椅子がしっかりとした構図で描かれています。そしてその右上に描かれている広告や看板が、絵に繊細さを与えていると思います。
街角の風景と文字の組み合わせでもう1点。
(佐伯祐三「街角の広告」1927年)
極端なものは、建物の壁だけを描いたものもあります。しかしこのただの壁が、言いようのない安定感と表情で迫ってくることは否めません。
(佐伯祐三「壁」1925年)
佐伯祐三のこの頃の絵を見ると、ブランクの影響の他に、同時代のフランスの画家、ユトリロ(1883-1955年)の影響を見ることが出来ます。しかしユトリロの描くパリの街角はもっと端正で透明感があります。私が佐伯祐三の絵に構図の安定感がないと感じるのは、例えばユトリロのこの絵と比べてみるとお分かり頂けるでしょうか?
(ユトリロ「郊外の通り」1945-1950年頃)
全ての展示を見終わった私の目には、佐伯祐三は結局のところヴラマンクにもユトリロにもなれず、焦りの中で亡くなってしまったという感じがしました。その中でも光るのは看板や広告の文字を描いた作品で、私の中でもまだ明確に表現することは出来ないのですが、その暴れるような字体の中に、ある種の繊細さと大胆さが感じられて、それが絵に独特の奥行きと緊張感を与えているような気がします。壁一面の新聞を描いたこの作品もそうです。
(佐伯祐三「新聞屋」1927年)
壁に刺さった新聞が並ぶ絵ですが、携帯のカメラではその繊細さがお伝え出来ず残念です。この絵を初めて見たのは6年ほど前に新宿の伊勢丹であった「ヴラマンク・里美勝蔵・佐伯祐三展」で、何故かは分かりませんがその時ももっとも印象に残った絵でした。絵の右半分、細かく描かれた新聞の見出しの文字がこの絵の真情です。
風景と文字の組み合わせで、私が一番面白いと思ったのはこの大原美術館所蔵のものでした。
(佐伯祐三「広告<ヴェルダン>」1927年
展示の最後を飾るのは、入場券の半券にも印刷されている「郵便配達夫」。野外での写生中に風邪を引いて自室で療養中だった佐伯祐三が、郵便を持ってきた配達夫にモデルになってくれと頼み描いたものです。
これまで散々、構図の不安定さということを書いてきましたが、この絵に限って言えば、斜め左に傾斜した全体の構図に統一感があって、これはこれで完成度が高いと思いました。しかし、その心理描写という点ではどことなく平板で、今ひとつ深みに欠けるような気がします。
例えば同じ制服を着た肖像画で私がこれまで最も感動したのはゴッホですが、20年以上も前に初めてこの絵の前に立った時の怖気を震った感動は、今も忘れることが出来ません。
(ゴッホ「ミリエの肖像」1888年)
という訳で、好みは人それぞれ色々あるとは思いますが、全体的に見れば、佐伯祐三という一人の若い星の画業を概観するには良く出来た構成だったと思います。同時に、彼があと20年、いやあと10年でも健康に恵まれて絵を描き続けていたらどうなっていただろうと思いましたし、その無念さが伝わってくるような絵の数々でした。
佐伯祐三展
2008年5月10日(土)~6月22日(日)
そごう美術館(横浜駅東口・そごう横浜店6階)
横浜市西区高島2-18-1
も少なくありません 1ヶ月半ほど週末には雨が多くて山釣りに行けませんでした それなリの岩魚が釣れれば御報告いたします
文泉堂
100余年前に生まれた一人の日本人の命を懸けた格闘という意味では、
彼の画業は一つの輝きを持っていると思います。
私もなかなか釣りに行けないのですが、落ち着くのは多分秋口で、
その頃のカワハギを楽しみに過ごして行きたいと思います。