札幌市中心部をぶらり歩きしていると、中心部を南北に流れる「創成川」沿いに、何やら興味深い物を見つけた。
おや、何やら像が設置されてますね。
この「大友亀太郎」とは、相模国(神奈川県)下足柄郡西大友村(現・小田原市)の出身で、1858年に蝦夷地に渡り、1866年には箱館奉行に蝦夷地開墾の計画書を提出するとともに石狩地方開拓の命を受け、札幌市元村(現在の東区で「元町」と呼ばれるエリア)を開墾し、札幌の街づくりの発端とした人物。
箱館奉行という言葉が出てきたけれど、1858年にやって来たのは、実は札幌ではなく「渡島国」現在の木古内町で、「箱館在木古内村開墾場取扱」という役職を命ぜられ、現在の木古内町と北斗市(旧大野町)に当たる地域の開墾に取り組んだとされている。
その能力を高く評価した箱館奉行は、先述のとおり1866年に石狩地方開拓を命じ、合わせて「蝦夷地開拓掛」の役職を与えている。
大友が石狩地方開拓で従事したことの中に用排水路の掘削があり、1867年に「大友堀」と呼ばれる、全長約4km幅約6尺(1.8m)の水路を開削。
現在はこの堀の下流部分は埋め立てられて道路に変わっているが、一部が「創成川」となってその姿を留めています。
「大友亀太郎」「大友堀」という名前は聞いたことがあったけど、詳しいこと、とりわけ道南地方にも大きな足跡を残していたということは全く知りませんでした。
堀の下流部分は埋め立てられて道路に変わっていると書いたけど、「ブラタモリ」のように痕跡を求めて歩くということも面白そうだなあ・・・。
「創成橋」という橋。
何やら歴史がありそうだなと思ったら、やはりそうでした。
市内最古の石造橋で、2010年に、土木学会選奨の「土木遺産」に認定されています。
因みに、「道内最古の石造橋」は、函館にあるこちらですが、こちらは選奨土木遺産には認定されていません。
それはちょっと複雑な気も・・・。
函館周辺を歩いて「土木遺産」にも注目するようになってくると、最近は函館以外の町でも、函館と同じような視点で町歩きをするようになってきました。