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函館港の一角に、アメリカの国旗が入ったこのような看板が設置されています。
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ペリーが黒船でやってきた場所というと、真っ先に思い浮かぶのは、日本史の授業で習った(小学校の社会から出てくるけど)神奈川県の浦賀でしょうけど、これまでも何度か書いてきたとおり、箱館にもやってきて、その足跡を残しています。
1854年4月15日、バンダリア・マセドニアン・サザンプトン号という三隻の黒船が箱館に入港し、翌日から湾内の測量を開始。21日になって、ペリーが乗艦するポーハタン・ミシシッピ号が箱館に入港し、5月6日、ポーハタン号上にて、松前藩応接方や幕府役人らと遊歩区域(外国人が、居留地を離れて自由に行動できる区域)などに関する会談を行うも進展せず、8日に下田に向けて箱館を離れました。
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そのペリー一行が乗艦した五隻の黒船が停泊していたのが、現在の函館市万代町(「まんだいちょう」と読まれることが多いのだけど、正しくは「ばんだいちょう」)にあったとされる「万年橋」という橋の付近とのことです。
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「万年橋」という橋は今はもう存在せず、こうしてバス停や、小学校の名前として残っています。
(掲載した看板のある位置はこちら(赤い印の付いている所))