今日は私が生まれ育った町を、ご紹介します。
今までブログを続けてきて、初めて書きます。
育った町は、お相撲の町、両国です。
先週、実家に用事があって行ったので、パパッとまわって写真を撮ってきました。

両国国技館です。
今、場所がお休みなので、静かですが、場所中はのぼり旗が沢山立っていて、賑やかで華やかで綺麗です。

中の絵を撮りました。

これは、やぐら太鼓の場所です。

国技館とは反対の道に歩いて行くと道路に銅像があります。
横綱の土俵入りの姿ですね。
写真は撮る時間がないので、省略しましたが、この像の下に沢山、手型が押してありました。
え~と、この人は誰だったかな?

このひとは、千代の富士に似ているけど、違うかな?
そのまま真っ直ぐ、京葉道路に突き当たると、回向院と言うお寺にぶつかります。
そこは子供の頃、さんざ遊んだ場所です。
回向院は江戸の「振袖火事」で亡くなった人達を埋葬するために立てられたお寺だそうです。
子供の頃はもっと、ボロッちかったです。
お寺には幼稚園があって、幼稚園から帰るとまた、やってきて遊びました。
お寺では、お習字や、そろばんを習っていましたが、終わっても暗くなるまで遊びました。
懐かしい~な。
この回向院の隣に旧国技館があって、メモリアルホールと呼ばれてアメリカのものになっていたり、
日大講堂に変わったりしていました。

長い事、お相撲は、ここから5km位かな~。
蔵前と言う場所に移って、蔵前国技館と呼ばれていました。
それで20年チョット前に、この両国にまた、国技館が戻ってきたと言うわけですね。

お腹、テカテカ・・・
皆が触るからなのでしょうね。

回向院の中に入って、ビックリしました。
とても銀杏が、きれいだったのだけど、この銀杏は私たちと一緒に育っていったのです。
子供の頃は太さが、どの位だったかな~。あまりに大きくなっていて感激しました。
銀杏の左の石囲いの中に「力塚」と言う石碑があります。

これが力塚ですが、力と書いてあるから、昔のお相撲さんの何かを奉ってあるのだと思います。
この石の上に乗って、ピョンピョン飛び跳ねていたんです。
ガキンチョが何人も遊んでいたんです。
隣には大きな大仏様があったのだけど、本堂建設の時に中にいれたようです。
大仏さまを一番見たかったんだけど・・・
何故って、手を組んであぐらを組んで座っている大仏様の膝にも乗って遊んでいたんです。
今、思うと、罰当たりですね。

これ、見えるかな~。
お相撲さんの足の形なんだけど・・・
片足が私の足が4個位入る大きさあります。
これも子供の頃から、ずっとありました。

それでね、これが「鼠小僧次郎吉」のお墓なんです。
こんなこと書いても、誰も知らないよね・・・
この鼠小僧は江戸時代の泥棒なんです。
金持ちの悪い人から盗んで、貧乏な人達に、配ったそうです。


この立っている石を、下に置いてある小さな石で叩いて削って、
お財布にいれておくと、お金がたまるのだったかな?
昔から、多くの人が来て削っていたけど、何故か受験生も多かったような・・・

これも、綺麗に出来ていて、おかしいんだけど、子供の頃、雨水が溜まっていて土や砂を入れてこね回して
皆で砂のお団子を作って遊んでいたら、何処かのおじさんが来たと思ったら、それを食べちゃったのです。
皆、ビクッリだったのを思い出しました。
お腹、壊さなかったんだろうか・・・
今、思うと、お腹がすいていたんですね・・・浮浪者のような可哀想な人が多かった・・・

昔からこの、お寺は犬猫供養をしていたのです。
今、読んで分かったのだけど、こういう由来があったんですね。
犬猫供養をする所だから、捨て犬、捨て猫が多かった・・・
どうして捨てるのさ・・・腹が立つ・・・

こんな感じで、飛んだり跳ねたり、勉強なんて、全然しなかったし、皆そうでした。
まだまだ続くのだけど、長くなるから、次の機会に載せますね。
追記: 猫の事を書いたので、突然思い出したので、書きます。
真っ黒い猫のこと、カラス猫といいますね。
ベルが真っ黒だからひいき目に見るわけじゃないけど、
当時、相撲茶屋の若女将がカラス猫を飼うと縁起がいいと言って、その家では、いつも真っ黒猫を飼ってました。
今までブログを続けてきて、初めて書きます。
育った町は、お相撲の町、両国です。
先週、実家に用事があって行ったので、パパッとまわって写真を撮ってきました。

両国国技館です。
今、場所がお休みなので、静かですが、場所中はのぼり旗が沢山立っていて、賑やかで華やかで綺麗です。

中の絵を撮りました。

これは、やぐら太鼓の場所です。

国技館とは反対の道に歩いて行くと道路に銅像があります。
横綱の土俵入りの姿ですね。
写真は撮る時間がないので、省略しましたが、この像の下に沢山、手型が押してありました。
え~と、この人は誰だったかな?

このひとは、千代の富士に似ているけど、違うかな?
そのまま真っ直ぐ、京葉道路に突き当たると、回向院と言うお寺にぶつかります。
そこは子供の頃、さんざ遊んだ場所です。
回向院は江戸の「振袖火事」で亡くなった人達を埋葬するために立てられたお寺だそうです。
子供の頃はもっと、ボロッちかったです。
お寺には幼稚園があって、幼稚園から帰るとまた、やってきて遊びました。
お寺では、お習字や、そろばんを習っていましたが、終わっても暗くなるまで遊びました。
懐かしい~な。
この回向院の隣に旧国技館があって、メモリアルホールと呼ばれてアメリカのものになっていたり、
日大講堂に変わったりしていました。

長い事、お相撲は、ここから5km位かな~。
蔵前と言う場所に移って、蔵前国技館と呼ばれていました。
それで20年チョット前に、この両国にまた、国技館が戻ってきたと言うわけですね。

お腹、テカテカ・・・
皆が触るからなのでしょうね。

回向院の中に入って、ビックリしました。
とても銀杏が、きれいだったのだけど、この銀杏は私たちと一緒に育っていったのです。
子供の頃は太さが、どの位だったかな~。あまりに大きくなっていて感激しました。
銀杏の左の石囲いの中に「力塚」と言う石碑があります。

これが力塚ですが、力と書いてあるから、昔のお相撲さんの何かを奉ってあるのだと思います。
この石の上に乗って、ピョンピョン飛び跳ねていたんです。
ガキンチョが何人も遊んでいたんです。
隣には大きな大仏様があったのだけど、本堂建設の時に中にいれたようです。
大仏さまを一番見たかったんだけど・・・
何故って、手を組んであぐらを組んで座っている大仏様の膝にも乗って遊んでいたんです。
今、思うと、罰当たりですね。

これ、見えるかな~。
お相撲さんの足の形なんだけど・・・
片足が私の足が4個位入る大きさあります。
これも子供の頃から、ずっとありました。

それでね、これが「鼠小僧次郎吉」のお墓なんです。
こんなこと書いても、誰も知らないよね・・・
この鼠小僧は江戸時代の泥棒なんです。
金持ちの悪い人から盗んで、貧乏な人達に、配ったそうです。



この立っている石を、下に置いてある小さな石で叩いて削って、
お財布にいれておくと、お金がたまるのだったかな?
昔から、多くの人が来て削っていたけど、何故か受験生も多かったような・・・

これも、綺麗に出来ていて、おかしいんだけど、子供の頃、雨水が溜まっていて土や砂を入れてこね回して
皆で砂のお団子を作って遊んでいたら、何処かのおじさんが来たと思ったら、それを食べちゃったのです。
皆、ビクッリだったのを思い出しました。
お腹、壊さなかったんだろうか・・・
今、思うと、お腹がすいていたんですね・・・浮浪者のような可哀想な人が多かった・・・

昔からこの、お寺は犬猫供養をしていたのです。
今、読んで分かったのだけど、こういう由来があったんですね。
犬猫供養をする所だから、捨て犬、捨て猫が多かった・・・
どうして捨てるのさ・・・腹が立つ・・・

こんな感じで、飛んだり跳ねたり、勉強なんて、全然しなかったし、皆そうでした。
まだまだ続くのだけど、長くなるから、次の機会に載せますね。
追記: 猫の事を書いたので、突然思い出したので、書きます。
真っ黒い猫のこと、カラス猫といいますね。
ベルが真っ黒だからひいき目に見るわけじゃないけど、
当時、相撲茶屋の若女将がカラス猫を飼うと縁起がいいと言って、その家では、いつも真っ黒猫を飼ってました。