FORTY THREE-SEVEN

43カーモデルとその他の事柄
その他の方がたぶん多い

Sphinx, samurai and I,

2016-04-01 06:00:13 | どうでもいいこと
アバークロンビー&フィッチをひいきにしていた
爺さんの話は以前しましたが

今日は、もっと遡ったご先祖様の話

フジテレビのあるバラエティ番組で
取り上げられたので有名になった写真
これ、うちの爺さんの曾じいさん(以下爺さん)も行っているんです
武士ではないので写真には写っていませんが
英語とオランダ語が出来たので通訳として
同行しています
この後、パリの万博を見学して、一団は帰国するんですが
爺さんたち一行は、分かれて大西洋を渡って
アメリカへ行きます
咸臨丸の渡航以来、アメリカは日本に対して好意的で
西海岸の海軍学校などで、日本人の士官を受け入れて
教育などをしてくれていましたが
東海岸の首都(ワシントンDCもしくはNY)に
日本人の住む拠点と大使館を作りたいと言う幕府の方針でその下調べの
ために渡航でした
ところが爺さんたちがNYに着くと (合衆国)政府に話が通っておらず
爺さんたち一行の責任者のお武家さんは病死してしまい
路銀は心もとなくなるわ、西海岸までたどり着く手立てはないわで
途方にくれていたのですが
ソコは爺さんたくましく、小さな商売をすることを思いつきます
夜鳴きそばやら、寿司やらのファストフードは
当時の江戸でも一般的でしたから
コレを元に屋台を始めたのです
今日の日本食ブームは遠い未来の話ですから
まさかに蕎麦屋をやるわけにも行かず
サンドイッチの屋台を始めました
困ったときの粉モノ商売ですな(笑)
万博で見た(というかたべた)ドイツのソーセージ
を、長いパンにはさんで売ることを思いついたのです
コレが結構と言うか小さな成功しまして
人も雇って何とかひとごこち付いたころ
幕府を援護する英国との交渉のために
通訳が必要となり、やっと、連絡のついた
幕府から矢のような帰国の催促
で、仕方がないので、No2の男に全部譲って帰国したそうです
店の名前なんですが
爺さんの奥さんの名前(稲-イネ-)を取って
INESAN'Sといっていたのですが
このNo2の男ポーランド系で訛りがきつく
どうしてもうまく発音できず
INEがNAIになってしまい
爺さんはとうとうあきらめたそうです
それがいまの
Nathan's Famousというホットドッグのチェーン店です
コミケでバイトが変な発言してスミマセンでした
わたくしの分だけおわびします
爺さんが売っていたころは、マスタードだけで
ケチャップをかけることを思いついたのは
このポーランド人だそうです

その後爺さんは帰国し 子供も生まれ、上野の戦争(彰義隊)にかかわったりするわけですが
それはまた別のハナシです





まさかと思うが信じないように


当然のことながらエイプリルフールのねたです









とっぺんぱりのぷう
コレだけでは寂しいので
帰国した翌週、たべにいた刀屋の画像


Ohtroさま
まじで、ナンパすればよかったかなぁ
いやコペンハーゲンは新婚旅行でいってはイカン都市No1ですね
美男美女ばかりですから(笑)


コメント
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