ウォーレン・バフェット氏は始めから資産家だったわけではありません。ただ、20代半ばからの増やし方が半端ではない。株で2倍、3倍は当たり前ヒット連発だったのでしょう。いずれ投資スタイルを真似るソフトや投資ロボットが出来るかもしれません。しかし、時代背景や感覚はコンピューターには伝わらず同じような成功は望めないでしょう。天才たるゆえんでしょう。凡人に真似できることは「辛抱強さ」と「冷静さ」氏の格言では知能指数よりも重要なのです。上杉謙信と雌雄を決する戦いをし引き分けた5度目の「川中島の戦い」の武田信玄ではありませんが、眼前に敵の大群が突如現れても戦況を冷静に分析する「冷静さ」二手に分かれていた味方の加勢を待つ「辛抱強さ」が人生には必要です。
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「辛抱強さ」や「冷静さ」は、
知能指数よりも重要かもしれないと、
私は思っています。
世界で最も裕福な投資家の1人ウォーレン・バフェット氏の資産は今も増えているが、何も昔から巨額の財産を有していたわけではない。実際、その富の99%は50歳以降に築かれたと見られる。とはいえ若い時期から着実に富豪への道を歩んできた。バフェット氏が20代からいかに資産を殖やしてきたか。年代ごとの資産額の変化を追ってみた。
20代:26歳で資産総額14万ドル
大学卒業後、株式ブローカーとして父の経営する証券会社で働いていた。21歳のときの純資産総額はわずか2万ドル。1954年、24歳のとき、師と仰ぐベンジャミン・グレアム氏から仕事の誘いを受けた。初任給は年間1万2000ドルだった。1954年家計所得の中央値の約3倍だ。26歳のときには、同氏の純資産総額は14万ドルに達した。
30代:資産は100万ドル突破
1960年、30歳になったころには、バフェット氏の純資産総額は100万ドルに。1965年に当時毛織物紡績業を営んでいたバークシャー・ハサウェイ社の支配株式を取得し、経営権を握った。68年までにパートナーシップの純資産は1億400万ドルに達している。個人資産総額は69年、39歳の時に2500万ドルに。
40代:一時、苦難の時期も 資産は6700万ドル
73年、43歳の時までに個人資産は3400万ドルに。The Motley Foolによると、72年に菓子メーカーのシーズ・キャンディーズ社を2500万ドルで買収してバークシャーの子会社にしている。だが70年代半ばはバークシャーにとって厳しい時期で、74年には個人の資産も1900万ドルまで減少した。しかしその3年後には6700万ドルに増加している(79年の米家計所得の中央値は年間1万6530ドル)。
50代:会社の報酬は年間5万ドルだけ しかしビリオネアへ
82年のバフェット氏の純資産総額は3億7600万ドル、83年には6億2000万ドルに増加している。86年、56歳になったバフェット氏はついに億万長者となった。当時、バークシャー・ハサウェイ社からの給料は年間わずか5万ドル。資産総額は60歳目前に38億ドルとなっている。
60代:バークシャー社の資産減ると予想も実際は増加
バークシャー・ハサウェイの株主向けに毎年書簡を出しており、90年の「株主への手紙」の中で「同社の純資産総額はこの10年間で減少するだろう。恐らくそれは90年代後半となる可能性が高いと思う」とした。実際にはこの年、同社の純資産総額は3億6200万ドルまで増えた。個人の純資産総額は66歳のときには165億ドルに達した。
70代:成長しながら慈善活動に注力
66歳から72歳までの6年間で資産総額は2倍以上に。2002年、72歳の時点で357億ドルという桁外れの額に達している。だがこのころから、バフェット氏は自身の富を分け与え始めており、CNNによると、2006年に同氏は、資産の85%を5つの慈善財団に寄付することを表明した。
80代:資産総額は670億ドル 会社からは年10万ドルもらうだけ
2015年8月現在、バフェット氏の純資産総額は670億ドル。ビル・ゲイツ氏やメキシコの実業家、カルロス・スリム氏と並ぶ世界有数の億万長者だ。バークシャー社から受け取る額は年間わずか10万ドルだ。