『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

「60代は人生の華」仙厓、可能性に満ちている「人生の第3幕」ジェーン・フォンダ

2016-10-20 13:03:56 | 日記

 寿命が祖父の代より30年も永くなり、人生設計も変わりました。この変化に気づかず既存の年金制度、預金にしがみつけば生存することは出来ますが、充実した幸福な人生を送ることは出来ません。日本人は❝「老後は衰退の時期」というイメージに縛られている❞この傾向が強すぎる。❝60歳以降の30年間を、あらゆる可能性に満ちた楽しい時期にすることもできます❞高齢化社会になり、老後は衰退という呪縛を解き、変化する必要があります。それには自分がどこに向かっているのか知るためには、過去を振り返るべきです。「自分は誰だったのか、両親は誰だったのか、と。私の親は、人間として、どういう人達であったのか、両親は、彼らの両親にどんな扱いをうけたのか、といったことです。」人生第3幕の成功は過去の全ての失敗を取り消してくれます。人生は気づいた時がバースデーなのです。

以下抜粋コピー

今の世代、平均寿命が30年伸びました。しかしこの30年はおまけではありません。ジェーン・フォンダは、この新しい人生の一時期を、いかに、捉え直すことができるだろうか、と問いかけています。

老後と聞くと、「老後破産」「認知症」「独居老人」といった暗い言葉を思い浮かべる人が多いかもしれません。

これは、従来の「老後は衰退の時期」というイメージに縛られているからです。60歳以降の30年間を、あらゆる可能性に満ちた楽しい時期にすることもできます。

私たちは皆、スピリットを持って生まれます。ところが、人生でいろいろ困難なことに出会ううちに、スピリットを失ってしまいます。

 両親がうつ状態で、愛情を与えてくれなかったのかもしれません。未だに過去の痛手から立ち直れないのかもしれません。

 私たちは、「終わった」と感じていないのです。第3幕は、こうした未完了のことを終わらせる時期かもしれません。

 60歳に近づいたとき、私はこれからどうしようか戸惑いましたが、自分がどこに向かっているのか知るためには、過去を振り返るべきだと気づきました。

 そこで、最初の2幕の自分について考えました。自分は誰だったのか、両親は誰だったのか、と。私の親は、人間として、どういう人達であったのか、両親は、彼らの両親にどんな扱いをうけたのか、といったことです。

 後に、このようなことをするのは、心理学用語で「ライフレビューをする」と言うのだと知りました。

 ライフレビューをすると、自分の人生がより明確になり、新しい意味を持ち始めます。

 これまでずっと「自分のせいだ」と思っていたことは、実はそうではなかったと気づくのです。あなたは全然、悪くないのです。

 そして、過去の自分や、自分の周囲の人を許すことができます。過去の自分から自由になって、過去の人間関係を修正することができるのです。

人生のすべてのものは、一つのものをのぞいて、奪われる可能性がある。その一つとは、自分が状況に対して、いかに反応するかを選ぶ自由だ。

これが私たちの人生の質を決める。

金持ちか貧乏か、有名か無名か、健康か病気か、そういうことが決めるのではない。

人生の質を決めるのは、現実に対して、自分をどう関連づけるかだ。現実にどんな意味を見出すのか、現実に対してどんな態度でのぞむのか、現実に対して、どんなふうに反応するかだ。

過去の再定義をして自由になる

第3幕のおもな目的は、過去と自分の関係の修復ではないでしょうか?認知の研究によれば、こうすることで、脳に新しい神経回路ができるそうです。

過去に起こった出来事に、長年、ネガティブに反応していると、そういう神経回路が強化され、ストレスや不満を生み出します。

ですが、過去を振り返り、嫌だと思っていた出来事に対して、新たな見方ができるようになると、神経回路は変化します。

すると、私たちは昔のことに対して、よりポジティブな気持ちを持てるのです。私たちを賢くしてくれるのは、経験することではなく、その経験に対して、どういうふうに考えるか、ということです。

そうすることで、より完全で、知恵のある本物に近づけるのです。

女性は生まれたときは、不足のないものであり、自分自身を生きています。ところが、思春期になると、周囲に溶け込もうとか、人気者にならなければいけない、と考えがちです。

すると、他の人の人生の登場人物になってしまうのです。ですが、第3幕では、原点に戻って、また自分自身になれます。

これは個人的なことにとどまりません。高齢の女性は人口で優勢をしめています。もし私たちが、原点回帰して、自分自身を再定義できたなら、それは若い人のよいお手本になると思います。


六十歳は人生の花、七十歳で迎えがきたら留守だといえ
八十歳で迎えがきたら、早すぎるといえ
九十歳で迎えがきたら、急ぐなといえ
百歳で迎えがきたら、ぼつぼつ考えようといえ

仙厓義梵 江戸後期の臨済宗禅僧

コメント (3)
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