密教大辞典クリエーター情報なし法蔵館 . . . 本文を読む
大師は「我は一にして多である」とおしゃっています。
「善無畏三蔵は之(我即宇宙)を説明し、「我はすなわちこれとは、決定して我はすなわち法界であり、我はすなわち毘盧遮那であり、我はすなわち普門の諸神である(大日経疏)」等といっている。
この天地一切を自己の内容として完全に一体を生きているのが本当の我であり永劫の佛であり摩訶毘盧遮那であるのであるから、この大日如来に体達するというのも本当の我に生きる . . . 本文を読む
昨日の定例会模様
いつものように江戸川橋の今宮神社(明治維新前まで護国寺の境内社であった)にまずお参りします。神社には東京神社庁の「今月の言葉」として、賈誼(前漢の思想家・『新書』)の「「愛出(い)ずる者は愛返り、福住(ゆ)くものは福来(きた)る」がありました。人を愛すれば、その愛は自分に還り、
他に福を施せばその福は自分に還ってくる。ともいう意味でしょう。護国寺に向かいます。護国寺の門には「音羽 . . . 本文を読む
密教の観法には多くの方法がありますが誰でも出来てしかも観法のエッセンスともいうべきものが阿字観です。在家の方も阿字観を続ければすばらしい境地に達します。 我々は阿字からでて阿字に帰るのですから。
阿字観の簡単な次第を書いておきます
1.着座
手を洗い口を漱ぎ心身を清め合掌して座に着く。 半跏座(胡坐をかき右足を左足に乗せる)でよい。法界定印(右手をうえに重ね膝の上に置く、親指同士は合い支える . . . 本文を読む