「・・たとえば庭園の芝生が陽春の気候になると緑の芽を生じ繁茂して冬期には枯槁して死し了り春は新たに生まれ、冬はまた死して了うという様に外面よりは見ゆるが然れどもその地中の中の芝の根の方は矢張り何十年昔から消滅せぬ生命を有しておる。それの如く衆生の中の生命が全く生滅するとみゆるは外面から見ゆるので、その精神内面には永恒不滅の生命を根とし居る。(古来人生を外面から見て消滅するものとする説と、自我の根本 . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・38
(三密の功徳)
問。三密の中意密一つだにあらば身・語の二密なくとも成仏することを得べし如何?
答。意業観念の一つにて成仏すといふは顕教の意なり、真言密教の義には非ず。総じて顕教は真如を体とする故に定を修して智を起こし智に依りて真如を証するを究竟の仏果とす。真如は無相平等の理なるが故にこの理を証する時、空寂に帰して虚 . . . 本文を読む