「小乗の説では「業」が人生の根本という。(しかし業を為すものは何かということが説かれてない)
権大乗・法相家の説に依れば阿頼耶識という心的存在が万物の本源にて・・一切衆生尽くこの識を本として存在する。これが生の本体である。(しかしこの説も終局的真理ではない)
一乗教によれば、一切衆生心の体は仏性とも如来蔵とも名けて個々の本体は絶対唯一の心性体である。故に自己の心性を開発すれば各々悉くこれ佛である。 . . . 本文を読む
第二十九 問答決着章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・・37
(真言の信心とは、佛・法を信じ切る事)
問。信心の相、如何?
答。信心といふは佛を信じ、法を信ずる也。佛は大悲の故に妄語し給はず、法は仏説なるが故に誤なしと念ずる、これを信心といふ。・・大毘盧遮那成佛經疏卷第三入眞言門住心品之餘にいはく「深信とは梵音には捨攞駄といふ。是れ事により、人によるの信なり。長者の言を聞くに . . . 本文を読む