史料綜覧 巻六 / 正平十六年・康安元年(1361)/七月十日条「十日 南朝 河内観心寺ヲシテ 七星如意輪法ヲ修シ 地震ヲ祈禳セシム」・天皇は後醍醐天皇の第七皇子・後村上天皇。この天皇は神皇正統記には「・・後醍醐天皇の第七御子。御母准三宮藤原廉子。この君はらまらせ給はむとて、日をいだくとなむ夢に見申させ給けるとぞ。さればあまたの御子の中にただなるまじき御ことぞとかねてより聞えさせ給し。・・」とあり . . . 本文を読む
日本紀略 / 治安元年(1021)七月十日癸未条「十日癸未 大極殿に於いて臨時仁王会あり 疾疫を消さむが為也」天皇は後一条天皇。仁王会は仁王経を講説・讃嘆する法会。天皇一代一度の全国百ヵ所の仁王会を初め,国家大事の時の臨時の仁王会,春秋の仁王会などがあった。 . . . 本文を読む
「十日は日月灯明佛、天照皇太神、金毘羅様、火火出見と鵜葺草葺不合の日。・日月灯明佛(「三十日秘仏」)。「法華科注に曰く『日はこれ慧なり、月はこれ定なり、定慧はこれ自行の徳、灯明はこれ化他の徳なり。また日月灯は三智なり。』と(二万の最後)灯明佛には八人の王子があり、皆出家した。父の灯明佛が無量義経を説くのを聴いた後、妙光菩薩(文殊)に教えを受け八人とも成仏した。また八番目に成仏した仏を燃灯佛といい、 . . . 本文を読む