今日は保己一忌です。塙 保己一は文政4年9月12日(1821年10月7日))に76歳で死去しています。百万巻の般若心経を北野天満宮にあげて『群書類従』刊行を祈願したと伝わります。そして幕府・諸大名・寺社・公家などの協力を得て、寛政5年(1793年) から文政2年(1819)までをかけて史書や文学作品、計1273種を収めた群書類従を完成しています。ヘレンケラーが目標とした人とされ昭和12(1937) . . . 本文を読む
以上の如く十善十悪業に各々四種の原因業の区別(順現業・順次業・順後業・順不定業(注1))及び結果報の差異ありて(華報・果報・等流果・増上果(注2))、賢愚老少男女利鈍を問わず、すこしもこの法則から脱することはできない。これを天地自然の真理の制裁という。であるからこの十善戒は近くは人の人たる所以の至徳を全うする事であり、遠くは無漏法性に通達する要道である。(実際、殆どのお経にこの十善戒は出てきます。 . . . 本文を読む
続史愚抄 / 明応七年1498九月十二日乙巳条「十二日乙巳 多武峯神像又破裂」史料綜覧 巻九 / 明応七年(1498)九月十二日条「十二日 多武峰大織冠像破裂ス 十二月ニ至リテ 告文使ヲ発遣ス」・天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義澄。・多武峰(談山神社と妙楽寺)では天下の問題が起こると、藤原鎌足公の御神像が怒りの破裂を起こすとされて恐れられてきた。御破裂は多武峰から摂関家へ報告され、告文使(こう . . . 本文を読む
第五十一代平城天皇は薬子の変で大同五年810九月十二日平城京に戻り剃髮して御出家。薬子は服毒自害。
「大和尚奉爲平安城太上天皇潅頂文」(弘仁十三年822大師が平城天皇に結縁灌頂を授けられた時の文)
「夫れ八繕の深海は修足にあらざれば其底を極ること能ず。九萬の高鳳は鵬翼にあらざれば其の頂を見るを得ず。盤薄厚地は劫火之灰滅する所、靉靆たる濃雲は猛風之搴卷する所なり。摩尼の奇珠は大龍を待ちて而も寶を . . . 本文を読む