続史愚抄 / 明応七年1498九月十二日乙巳条
「十二日乙巳 多武峯神像又破裂」
史料綜覧 巻九 / 明応七年(1498)九月十二日条
「十二日 多武峰大織冠像破裂ス 十二月ニ至リテ 告文使ヲ発遣ス」
・天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義澄。
・多武峰(談山神社と妙楽寺)では天下の問題が起こると、藤原鎌足公の御神像が怒りの破裂を起こすとされて恐れられてきた。御破裂は多武峰から摂関家へ報告され、告文使(こうぶんし)が派遣された。対応すれば、御破裂は治るとされた。
・このころは応仁の乱は文明九年(1478)に終わっているが、七年八月二十五日(1498年) には 東海道全域で大地震(明応の大地震)がおこり津波により浜名湖が外海とつながっている。
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