福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は平城天皇御出家の日

2022-09-12 | 法話

第五十一代平城天皇は薬子の変で大同五年810九月十二日平城京に戻り剃髮して御出家。薬子は服毒自害。

「大和尚奉爲平安城太上天皇潅頂文」(弘仁十三年822大師が平城天皇に結縁灌頂を授けられた時の文)

「夫れ八繕の深海は修足にあらざれば其底を極ること能ず。九萬の高鳳は鵬翼にあらざれば其の頂を見るを得ず。盤薄厚地は劫火之灰滅する所、靉靆たる濃雲は猛風之搴卷する所なり。摩尼の奇珠は大龍を待ちて而も寶を雨ふらす。輪王の妙藥は鄙人に対すれば以って毒となる。何に況んや眞言祕藏は三自(三是一心の摩訶衍)を超て以って難聞なり。金剛の佛戒は十地を過ぎて而も得がたし。輪王種姓・大機菩薩に非ざるよりは誰か能く五智を一心に開き、三密を凡身に得ん。然りと雖も醫眼の覩る所、百毒藥と変じ、佛慧の照す所は衆生即ち佛なり。衆生の體性・諸佛の法界、本來一味にして都て無差別なり。衆生は悟らずして長夜に苦を受け、諸佛は能く覺って常恒安樂なり。是の故に衆生をして頓に心佛を覚り、速かに本源に帰らしめんが為に此の眞言法門を説きて迷方之指南となす。故に金剛頂に説かく、「眞言陀羅尼藏は一切如來祕奧之教、自覺聖智修證の法門なり。亦是れ一切菩薩、佛の淨戒無量威儀を受け、一切如來の海會の壇に入って潅頂職位を受け、三界を超過して佛教勅を受る三摩地門なり。因縁を具足すれば頓に功徳廣大の智慧を集めて、無上菩提に於いて皆な不退轉なり。諸天魔一切の煩惱及び諸罪障を離れて、念念に消融して佛の四種法身を証す。謂く自性身云云」。五智三十七尊等の不共の佛法門を満足す。又、六波羅蜜經に説かく、佛所説の教に總じて五藏有り云云。」此の五藏中に經は乳の如く乃至總持は醍醐の如し。

 

又た金剛頂に説かく、「如來變化身は閻浮提摩竭陀國菩提道場に於いて等正覺を成じ、地前の菩薩・聲聞・縁覺・凡夫の為に三乘の教法を説く。或は他意趣に依って説く、或は自意趣にて説く。種種根器・種種方便を以て如法に修行せば人天果報を得、或は三乘解脱果を得、或は進み、或は退き、無上菩提に於いて三無數大劫に修行勤苦して乃ち成佛を得。王宮に生じ、雙樹に滅して身舍利を遺したまふ。起塔供養すれば人天勝妙の果報及び涅槃の因を感受す。(是れ釋迦の説法を明かす)。報身佛、色界頂第四禪阿迦尼吒天宮において雲集せる盡虚空遍法界の一切諸佛・十地滿足の諸大菩薩を證明して、自心を警覺して頓に無上菩提を証するには同ぜず。(此は報佛の説法を明かす)。

 

 

 

法性身の佛は心從より無量の諸佛及び無量の菩薩を流出す。皆同一性なり。謂く金剛の性なり。遍照如來に對して潅頂の職位を受く。彼等の菩薩、各の三密門を説き大日佛及び一切如來に対して便ち加持の教勅を請ふ。大日尊言く、汝等將來、無量世界に於いて最上乘者の為に現生に世出世間の悉地成就を得しむ、と。彼の諸菩薩、如來の勅を受け已りて佛足を頂禮し、大日如來佛を圍遶し已りて、各の本方本位に還りて五輪と成りて本標幟を持す。若しは見、若しは聞き、若しは輪壇に入りぬれば、能く有情輪轉生死の業障を斷じ、五解脱輪中に於いて一佛より一佛に至り供養承事し、皆無上菩提を獲得して決定の性を成ぜしむこと、猶し金剛の爼壞すべからざるが如し。此れ即ち大日聖衆の集會なり。便ち現證塔と為る。一一の菩薩、一一の金剛、各の本三昧に住して自解脱に住し、皆な大悲願力に住して廣く有情を利す。若しは見、若しは聞、悉く三昧を証し、功徳智慧頓集成就と云々。

 

此法界體性身大日如、五智所成の四種法身・金剛薩埵等塵數諸佛眷屬と或は法界宮に住し、或は普賢心殿等の中に住して、常恒不斷に此の金剛一乘眞言祕藏を演説したまふ。昔、釋迦如來掩化之後、一の大士有り。名を龍猛菩薩といふ。金剛薩埵に對して潅頂を授り、此祕教を得る。其の弟子龍智、親まのあたり龍猛の所に於いて此法を授得す。彼の龍智菩薩は年九百餘歳にして面貌三十許、今見に南天竺國に住して此宗を流傳す。彼の弟子金剛智、大唐の開元十八年に南天より來りて、始て大唐に傳ふ。其の上足の弟子大廣智三藏、天寶年中に更に龍智の所に詣でて金剛頂及び大日經等并に五部曼荼羅等を得て、唐國に還歸す。玄宗肅宗代宗の三箇天子、從ひて潅頂を授かり、佛戒を受持し、三密の法門を修行す。三藏の弟子に法印を授傳する者、八人あり。其の一人の名を青龍寺の某甲といふ。能く兩部の教を持して師風を墜さず。徳宗皇帝及び南内、從ひて授戒入壇す。斯れ乃ち第七の傳法阿闍梨也。某乙幸に昌泰に逢ふて求法を叨濫(みだりがわしう)す。厚く聖朝雱霈之澤(ぼうばいのさわ・厚い恩徳)に沐し、大師慈悲 之力に頼りて去る大唐貞元二十二年・日本延暦二十四年六月十三日を以て、於長安城青龍寺東塔院潅頂道場に於いて諸佛の三昧耶戒を受持し、五部の潅頂を授かり、兩部曼荼羅を荷ひ、一百餘部の金剛一乘教を負ふ。蜉命を長途に忘れ、泡身を驚波に捨て。國恩に酬ひ奉らんが為、本朝に還歸す。幸に諸佛の應化・金輪運啓(金輪聖王たる天皇の政治)之朝に遇ふて、大同元年を以て曼荼羅并に經等を奉獻す。爾しより已還、愚忠感なく、忽ちに一十七年を経たり。天人の欲に従ひ、聖は人の心に鑒みる。因縁感應の故に今日龍顏に對し奉って愚誠を遂ることを得たり。一喜一懼して心神厝おくところ無し。伏して惟みれば太上金輪皇帝陛下、因、昔劫に圓かんじ、果は前生に満ちたまふ。然れども猶、慈悲未だ極らず、衆生未だ盡きず。現に此土に化して廣く群品を濟ひたまふ。履を姑射に脱ぎ(退位され)心を無爲に遊ばされ、法城護らんが為に權に受法之相を現じ、衆生を益せんがために野干之説法を聽きたまふ。喜しひ哉今日之四衆、幸ひなる哉此の夕之大小。聖父聖子に値ひ奉て佛戒を受持して頓に佛位に入る。仰ぎ願くは盡虚空遍法界同一體性の金剛海會の大日尊、四方四智十六諸尊、塵數諸尊云云。

 

一甚深妙法求法因縁云云 一淨三業 一歸命頂

 

 

夫れ此の大虚に過ぎて廣大なる者は我心、彼の法界を越て獨尊なる者は自佛なり。佛刹微塵之數も其數量に譬ふること能ず。日月摩尼之光も其光明に喩るを得ず。修行を待たずして清淨覺者本より具し、勤念を仮らずして法然の薩埵自ら得たり。五智之尊は其根首に居し。四曼之徳は其枝末を攝す。如如如如之理、空空空空之智の如きに至っては足斷へて進まず、手亡じて及ばず。奇哉、曼荼羅。妙なる矣我三密。

 

ここにおいて妄風鼓して海水躍り、暗雲涌きて虚霧霾(つちふ)る。夢虎三界之區に森羅たり。空華四生之宅に照灼す。我我之執、彌よ其根固く、有有之迷、重ねて其葉を繁くす。三重妄執(麁妄執(人執品の惑)・細妄執(法執品の惑)・極細妄執(無明品の惑))之心、大日の光を蔽ひ、四倒實有之思は滿月の面を蔭ふ。狂醉は警かず三途之心患熾然たり。沈眠して不覺、三有之火蔓莚す。遂使ひんじて十二因縁は輪轉して絶ず。五蘊八苦は幻現して休まず。父子父子相續して生じ、身心身心流轉して滅す。生之苦・死之苦・老之憂・病之痛・貧之苦、財之苦、八苦我を迫て三途吾を煮る。天上安からず。何況んや人間をや。大覺の慈父、明かに此を見たまふ故に、病に隨て薬を與へ、種種の法門を説きて其の迷津を示し、其の歸源を指す。狂醉に輕重あれば法藥に淺深あり。二乘三乘之車は隨機に授け、顯教密教之筏は器に任せて施す。其の教門に順て戒も亦不同なり。故に龍猛菩薩の説かく、「戒に五種有り、人天・聲聞・縁覺・菩薩・三昧耶佛戒なり」。

 

第五の三昧耶佛戒は今授る者也。十善戒は五種に通ず。其の廣狹に随って淺深ある耳。 聲聞菩薩戒に四重十重あるが如く、三昧耶戒も亦た之あり。然も其の名は同にして義趣は別なり。何となれば聲聞菩薩の四重は常の如し。今此の戒の四重とは亦た後説するが如し。只だ戒の異るのみの非ず、定慧も亦た別なり。若し乗を言へば五乘道別なり。宗を言へば八宗趣異なり。八宗といっぱ、律・倶舍・成實・法相・三論・天台・花嚴・眞言是也。律家は身口七支の非惡を防ぎ、四念處を観じて灰身滅智を証し以て究竟と為す。倶舍は三世實有の義を談じ、成實は折法空(人法二空)を説く。其の果は則ち同じく小乘阿羅漢を期す。此の三宗は小教也。法相は委(ことごとく)八識三性之義を説き、妙に唯識無境之理を宣べ、ちなみに因果を談じて普く法門を説く。位を言えば竪に五十二位を示し、時を告ぐれば三大無數を吐く。是則ち因果の理を撥する愚者、心外の境に迷ふ痴人を遮し、大慢の衆生を調伏するの藥にして、彌勒大慈三昧之門也。三論は則ち善く八不空性之理を説き、妙に除滅諸戲論之趣を開く。一實無生之觀(不生不滅の真理のこと)は之に因りて立ち、二諦中道之義は之に從りて發す。是れ則ち三毒四魔を燒蕩するの猛火、戲論妄雲を搴卷するの暴風なり。身心の著愛を掃ひ内外の障礙を除んには此の藥最を得。般若佛母文殊三昧之門也。天台は一乘三觀之道を言ひ、四教一如之義を顕し、一念三諦造境即中(造境とは心が一切を造るということ。即中とは三諦円融して即空即仮即中であること)以って極妙と為す。法華經に拠り、中觀論に憑りて一家の義を構へ、一丘の峯(天台山)に住す。其の人を言ば則ち觀音大悲三昧之門也。花嚴は妙に法界無碍に通じ、廣く理事圓融を談ず。是則ち諸法の性相不變之病を除き心佛無別之藥を示す。人に名くれば則ち普賢大士法界三昧之門也。如上の諸宗諸教は法王之一職・百官之一局也。轉妙轉深にして四涜泓澄(しとくこうちょう・四大河の深く澄んでいること)五星燦爛(木・火・土・金・水の五星がきらめく)なるがごとくなれども、竝びに皆、釋迦醫王他受法帝の隨機之妙藥也。

 

今授法くる所の法は是れ大日如來、金剛法界心殿に住して五智如來四種法身自内眷屬と所演之祕密曼荼羅之法也。大日如來は恒沙塵數之徳具足して無缺なり。故に曼荼羅と曰ふ。曼荼羅は無比味・無過上・輪圓備足の義也。此の乘に入る者は先ず須らく受戒すべし。此戒を三昧耶と名け、教を眞言と曰ふ。三昧耶といっぱ梵言なり。唐翻には本誓平等攝持等の義なり。平等といっぱ三平等なり。身語心三密平等なるが故に亦た三部と名く。三部とは佛・蓮・金、是也。此三部の佛は各の四種曼荼羅四種法身を具す。如是の諸尊は平等平等にして増減優劣之異あることなし。是を平等と名く。如是諸尊其數無量。此無數の佛は則ち一衆生之佛なり。能く自佛の如是なるを察し兼て他衆生の如是なるを明かす。佛、自佛を顯證せんが為の故に勤て三密觀を修し、他衆生の為の故に普く行願門を修す。誓願と言っぱ已に自他如是なるを知る故に大誓願を発し大悲行願を修す。行願則ち四無量四攝等是也。此是の行願は能く衆生を利し能く群生を濟ふ。衆生之父と為る者也。尤も留心すべし。

 

攝持とは入我我入也。自心の塵數の佛、能く他心の佛に入り、他心の塵數の佛、能く自心佛に入り、彼此

互に能持所持と為る。能く此の理を觀ずれば自他善惡之心を攝持す。故に之に名く。又次に字義に約して釋せば(梵字のサンマヤ)は佛法僧にして即ち三部也。(梵字のサ)は諸法諦の義なり。諦則ち觀察不謬なり。即ち觀音の大悲三昧なり。(梵字のマ)は我不可得にして則ち大空なり。大空は無戲論如來文殊の異名にして則ち大智慧門なり。(梵字のヤ)は乘の義。字義は乘不可得の義なり。本有の金剛薩埵は無始無終無生滅、性相常住にして虚空に等し。已に去來なし。誰か運載あらん 。運載已に休む、故に乘不可得なり。此の三徳を具する者は大日如來と名く。大日の具體は只だ此三字を含む。此の義を顕すが故に三昧耶と名く。能く此義を知りて此三字を誦すれば則ち大日如來所有の一切功徳智慧を攝得す。如是の義は推して而も之を廣せよ。能く縷陳すること能はず。此是の法門は大乘衆教之中に最尊最貴なり。故に六波羅蜜經に云云。又守護國經に云云 。

 

  夫れ氣海微しと雖も忽ち滿界之雲を起こし、眼精至って小なれども能く遍虚之物を照らす。況んや復た羅睺の長脚は大海を踄って而も猶ほ淺く、金翅の廣翼は大空を翔て而も尚ほ狹し。菩提薩埵之發心、金剛大士之用意の如きに至っては法界を一心に包み、衆生を四恩に顧みる。衆生の苦を抜き、衆生に樂を與ふ。拔苦之術は正行にあらざれば得ず。與樂之道は正法にあらざれば能はず。所謂正行正法は機に隨ひて多門なり。機根萬差なれば法藥隨って殊なり。攝末歸本は其要に五あり。故に經に云く、如來所有の法寶は其數無量なり。大に分って五と爲う。一蘇多覽藏(経)。二毘奈耶藏(律)。三阿毘達磨藏(論)。四般若藏。五總持藏(陀羅尼)。

初に蘇多羅藏とは、山林に処して禪定を楽ふ衆生の為に説く也。第二の毘奈耶藏とは聚落伽藍に住して威儀を習ひ一味和合して正法を住持せんと楽ふ衆生の為に説く。第三の阿毘達磨藏とは、爲前二を楽はずして性相を研竅(けんきゃく)し甚理を究竟せんと楽ふ衆生の為に説く。第四の般若藏とは、或は衆生有りて前三を樂はず、諸執著戲論を離れて速に無分別に住し寂靜を証せんと楽ふに、彼の衆生の為に佛此藏を説きたまふ。或は衆生ありて前四を楽はず速に煩惱を断じ生死を出て法身を証せんと楽ひ及び僧の四重・尼の八重禁を犯すと、五逆罪を造ると、方等經を謗すると、一闡提の人と如是の衆生の為に、如來、總持藏を説く。如是の五藏は譬ば牛の五味の如し。修多羅は乳の如く、律藏は酪の如く、論藏は生蘇の如く、般若は熟蘇の如く、總持は醍醐の如し。醍醐は諸味之中に微妙第一にして能く一切病を治すが如く、總持法門も亦た如是なり。能く一切障を消し、能く一切の惱を断じ、早く福智を円満し、速かに法身を證得す。佛の説經に依りて判ずるに五種の別あり。菩薩の説・人師の談に至っては其の流に八あり。一律宗。二倶舍宗。三成實宗。四法相宗。五三論宗。六天8台。七花嚴。八眞言。初の三は之を小乘と謂ひ、次の四は之を大乘と謂ひ、後の一は祕密金剛乘也。律は身口七支を防ぎ、小涅槃を証することを説く。倶舍は三世實有等の義を談じ、成實は析法空義を談ず。法相は八識三性六度等の法を説き、三論は八不・空性・絶諸戲論・寂靜安樂等の理趣を談ず。天台は三諦・一心・造境即中を吐き、華嚴宗は法界圓融理事無礙にして三種世間を以って一身と為し、重重無盡を以って一心と為す。此の如きの七宗は五藏を以って顯教と為す。宗極炳著にして淺より深に詣ると雖も、然れども猶ほ應化之談・隨機之藥なる已。如來の大醫王、衆生の病に随って種種の法藥を授く。彼の教門に順じて戒も亦た隨って別なり。故に龍猛菩薩説かく、戒に五種あり。謂く、人・天・聲聞・縁覺・菩薩三昧耶なり、と。所謂三昧耶とは今所授之戒也。

若し夫れ一千二百の藥草・七十二種の金丹は身病を悲しんで方を作り、一十二部の妙法・八萬四千の經教は心疾を哀れんで垂訓す。身病百種なれば即ち方藥一途なること能ず。心疾萬品なれば經教一種なることを得ず。是故に我大師薄伽梵、種種の藥を施して種種の病を療す。五常五戒は即ち愚童持齋之妙藥。六行四禪は則ち嬰童無畏之醍醐。二百五十之戒、四念(身不浄・受は苦・心は無常・法は無我)八背(八解脱、①有色観諸色解脱(不浄観を行って自らの貪が起こらなくなった境地)、②内無色想観外諸色解脱(さらに進んで不浄観を行い、貪が確実に起こらなくなった境地)、③浄解脱身作証具足住解脱(清浄なるものを見ても、貪が全く起こらなくなった境地)、④空無辺処解脱(物質に対する想いを超えて、空無辺処を得た境地)、⑤識無辺処解脱(空無辺処を超えて、識無辺処を得た境地)、⑥無所有処解脱(識無辺処を超えて、無所有処を得た境地)、⑦非想非非想処解脱(無所有処を超えて、非想非非想処を得た境地)、⑧想受滅身作証具足住解脱(非想非非想処を超えて、想受滅、すなわち滅尽定を得た境地))之觀、十二因縁十二頭陀( Q,十二頭陀とは? - 福聚講 - Goo ブログ)は人我を遮して三昧を証い、法執を帯して涅槃を得。斯乃ち聲聞之教藥、縁覺之除病なり。無縁に悲を起し、幻炎に識を觀ず。六度を行を爲し、四攝に事を作す。三祇に積功し四智に得果す。斯を他縁大乘之方法と為す。無我を捨てて自在を得、不生を観じて心性を覚り、八不を揮って以って八迷を断じ、五句(有に執す・無に執す・亦有亦無に執す・非有非無に執す・非非有非非無に執す)を擲って以って五邊を払ふ。四種の言語は道を斷って而も無爲なり。九種の心量(六識・末那識・阿梨耶識・多一識心)は足絶って寂靜なり。是則ち覺心不生之妙術なり。自心を妙蓮に観じ、境智を照潤(照は金、潤は水。境と智が不二であることは金や水に写すが如くである)に喩ふ。三諦は倶に融し、六即(天台宗で、究極の悟りに至る六段階。理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即)は位を表す。是則ち如實一道心之針灸。況んや復た法界を帝網に喩へ、心佛を金水に観ず、六相(総相・別相・同相・異相・成相・壊相)十玄(同時具足相応門・ 広狭自在無礙門・一多相容不同門・諸法相即自在門・隠密顕了倶成門・微細相容安立門・因陀羅網境界門・託事顕法生解門・十世隔法異成門・主伴円明具徳門)、其の教義を織り、五教四車其の淺深を簡ふ。初發に正覺を成じ、三生に佛果を証す。斯乃ち極無自性心之佛果なり。如是の妙法は竝に皆な其の機根に契って不思議の妙藥なり。自上の諸教は他受用應化佛之所説甘露なり。

 

今所授の三昧耶佛戒は即ち是れ大毘盧遮那自性法身之所説、眞言曼荼羅教之戒也。若し善男善女比丘比丘尼清信男女等有りて、此の乘に入って修行せんと欲する者は先ず四種心を発すべし。一信心。二大悲心。三勝義心。四大菩提心なり。初に信心とは決定堅固にして退失なからんと欲ふが為の故に此心を発す。此に十種あり。一に澄淨の義。能く心性をして清淨明白ならしむるが故に。二に決定の義。能く心性をして淳もっぱら堅固にいたらしむるが故に。三に歡喜の義。能く諸憂惱をして斷除せしむるが故に。四に無厭の義。能く懈怠心を斷除せしむるが故に。五に隨喜の義。他の勝行において同心を發起するが故に。六に尊重の義。諸有徳に於いて輕賎せざるが故に。七に隨順の義。見聞する所に随って違逆せざるが故に。八に讃歎の義。彼の勝行に随って至心に稱歎するが故に。九に不壞の義。專ら一心に在りて忘失せざるが故に。十に愛樂の義。能く慈悲心を成就せしむるが故なり。

 

大悲心とは亦た行願心と名く。言く、外道二乘は此心を起こさず。但だ菩薩大士のみいまして能く此心を発して法界無餘の一切衆生を観ずること猶し己身の如し。然る所以は、善人之用心は他を先とし、己を後とす。又三世を達観するに皆是れ我四恩なり。四恩皆な三惡趣に堕し無量の苦を受く。吾是れ彼之子也。亦彼之資也。我に非ずんば誰か能く拔濟せん。是故に此大慈大悲心を発すべし。大慈能く楽を與へ、大悲能く苦を抜く。拔苦與樂之本は源を絶たんには如かず。源を絶の首は授法に如かず。法藥萬差なりと雖も前所説の八種法門是彼之本なり。

 

然れども猶ほ機根に隨順するが故に淺深遲速あり。如是の諸法を簡擇せんと欲ふが為の故に第三勝義心を発す。亦深般若心と名く。云何んが簡擇するや。若し上根上智の人ありて如是に法を行じて早く自心本宅に帰んと欲せば先ず須らく乗の差別を簡知すべし。此乘の優劣を簡知せんと欲さば、是れ凡夫二乘及十地菩薩の所知の境界に非ず。但し如來の所説に依りて之を知る耳。

 

如來明かに其差別を説く。是故に此龜鏡を攬りて簡持すべし。異生羝羊の凡夫は、專ら十不善等の業を造り三毒五欲之樂に耽って曾って後身の三途の極苦に堕することを知らず。是故に眞言有智の人、樂著すべからず。愚童持齋之人乘之法は漸く因果を信じ五常五戒等を行ずいふと雖も猶ほ是れ人中之因にして生天之樂を得ず。是の故に樂著すべからず。嬰童無畏の外道生天之乘は下は四王天より上は非想に至るまで、二十八天の樂を受くと雖も、終に人中地獄等に堕して生死を出ることを得ず。是の故に樂着すべからず。唯だ蘊無我・拔業因種の二種の羊鹿の乘は三界を出ると雖も猶ほ是れ下劣なり。三生六十之劫、七・八・四・百之時(縁覚が辟支仏になるには七世八世に得度する。利根の者は四生の修行、鈍根の者は百劫の修行を要する)何ぞ其れ眇焉なるや。是故に樂求すべからず。他縁大乘・覺心不生の二種の法門は身命を捨ててt布施を行じ、妻子を許して他人に與へ、三大阿僧祇を経て六度萬行を行ず。劫石高廣、盡し難く、弱心易退しやすく進み難く十進九退す。吾亦た何ぞ堪ん。如實一道之心は心垢を払ひて清淨に入り、境智を泯じて如如を証すと雖も、猶ほ是れ一道清淨之樂にして未だ金剛之寶藏に入らず。是故に亦た住すべからず。極無自性心は法界を融して三世間の身を証し、帝網に等しくして一大法身を得ると雖も、猶是れ成佛之因・初心之佛なり。五相成身・四種曼荼、未だ能く具足すること能はず。是故に住すべからず。未得を得と為し、未到を須到とおもへり。

 

如是に如來の教勅に依りて最上智慧を以て乗の差別を簡んで菩提心を発すべし。若し人等ありて如是の車に乗じて所行道に行くを未だ最上の淨菩提心と名けず。是故に眞言門菩薩は此の諸住心等を超て菩提心を發し、菩提行を行ずべし。此乘の差別を知んがために深般若勝義心を発す。

 

四に大菩提心といっぱ、此に二種あり。一は能求菩提心。二は所求菩提心。能求心とは、譬ば人ありて善と惡とを為んと欲せば、必ず先に其心を標して而る後に其の行を行ずるが如し、と云々。

 

菩提を求るの人も亦復た如是なり。狂人毒を解して忽ち歸宅之心を起こし、遊客事畢りて乍ちに懷土之思六道之薮を発するが如く、菩提を求るの心も亦復た如是なり。既に知る、狂醉して三界之獄に在り、熟眠して六道の薮に臥せり。何ぞ神通之車を駈て速かに本覺莊嚴之床に帰らざらんや。此れ即ち能求之心なり。

 

所求心とは所謂る無盡莊嚴金剛界身是也。大毘盧遮那・四種法身・四種曼荼羅、皆是一切衆生本來

平等にして共に有せり。然と雖も五障之覆弊を被り三妄之雲翳に依りて覺悟するを得ず。若し能く日月之光輪を観じ聲字之眞言を誦して三密之加持を発し、四智之妙用を揮へば、則ち大日之光明廓として法界に周く、無明之障は忽ち心海に帰せん。無明忽に明となり、毒藥乍ちに藥と為る。五部三部之尊、森羅として圓かに現じ、刹塵海滴之佛忽然として涌出せむ。此三昧に住するを祕密三摩地と名く。

 

諸佛如來、此の大悲・勝義・三摩地を以て戒と為し、時として暫くも忘ずることなし。何故に此を以て

戒と名ずくるや。戒に二種あり。一に毘奈耶。此れ調伏と翻ず。二に尸羅。翻じて清涼寂靜といふ。一切衆生を観るに猶ほ己身及四恩の如し。是故に敢て其身命を殺害せず。衆生を観るに猶し己身の如し。故に敢て其所有財物を奪盜せず。衆生を観ること猶し四恩の如し、故に敢て凌辱汚穢せず。衆生を觀ること猶し己身四恩の如し、故に敢て欺誑せず。衆生を観るに己身四恩の如し、故に敢て麁惡語を以て罵詈せず。衆生を観ること己身四恩の如し、故に敢て離間せず。衆生を観ること己身四恩の如し、故に敢て前人を瞋恚せず。衆生を観ること己身の如し、故に敢て愚癡の心行を起さず。是則ち大慈悲行願によるが故に自然に十不善心を離る。十不善等を離るとは即ち是れ調伏の戒なり。其惡心を離るに由るが故に心中に清涼寂靜なることを得。是則ち尸羅之戒なり。亦是れ饒益有情之戒なり。

 

又深般若の妙慧を以て前九種の住心を観ずるに無自性なり。云何んが無自性あんるや。謂く冬凍、春に遇へば即ち泮ぎ流れ、金石火を得れば即ち消鎔するがごとし。諸法皆縁より生じて無自性なり。是故に異生羝羊の凡夫は一向惡心なれども善知識の教誘に遇ふが故に愚童持齋心を起こす。愚童人乗の人、因果を信ずるが故に生天護戒心を起こす。嬰童無畏心なり。嬰童無畏心は殊勝解脱智を願ふが故に善知識の教誘に依りて唯蘊無我・拔業因種の二乘の心を発す。二乘之人は諸佛の警誘を蒙るが故に他縁大乘心を起こす。他縁大乘の人は最勝果を願ふが故に覺心不生心を起こす。覺心不生の人は無自性なるが故に一道如實心を起こす。一道如實の人は諸佛の警覺を蒙るが故に極無自性心を発す。極無自性の人は究竟最勝金剛心を願ふが故に祕密莊嚴心を発す。是れ皆な無自性なるが故に展轉勝進す。深般若を以て無自性を観ずるが故に自然に一切の惡を離れ一切の善を修し、自他の衆生を饒益す。即ち是れ三聚妙戒具足して缺くることなし。秘密の三摩地に住することもまたかくの如し。この乗に住する者はこの戒を以て他の衆生を教化す。すなわち是秘密三昧耶佛戒なり。 」

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