以前人生を深く考えさせられる番組を見ました。
・一つ目は、「NHK・街録・人生のピンチ」という番組で「夫に39歳で先立たれ、女手一つで育てた息子にも大学卒業直前に交通事故で先立たれた女性。直後、勤めていた生花店も倒産、その後は廃棄物運送会社に就職して今79歳。二人を供養するために頑張っている。」というもの。
・二つ目は民放の「自閉症の子が小学五年の時、母親は癌で死去、その後父親が男手一つで育て . . . 本文を読む
「本朝皇胤紹運録」(第六十七代三条天皇)「寛仁元年(1017)四月二十九日出家、法名金剛浄。
道長との確執があり譲位をせまられたとされる。その際に詠んだとされる歌が小倉百人一首にあり。
心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 三条院
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今日は昭和の日です。昭和天皇は仏教にも深くお心を寄せられていました。明治以降天皇陛下は仏教に遠ざかっておられるかと思うとそうではありませんでした。昭和天皇は佛歌もおつくりになり、満濃池まで行幸されていました。 昭和天皇御製佛歌というのがありました。 満濃池には昭和天皇の行幸碑がありました。こんな辺鄙なところにまで昭和天皇は行幸されていたのです。お大師様へのご信仰がなければ思いつくような場所ではあり . . . 本文を読む
文永五年4月29日は定済が宮中で一字金輪法を修した日です。文永三年には蒙古国書が届いており宮中も自ら国難を祈ったのでしょう。定済は鎌倉時代の真言僧。醍醐寺座主・東大寺別当・東寺長者。弘安四年正月十九日には勅命を受けて伊勢神宮に参り、蒙古降伏を祈祷しています。一字金輪法は息災法ですが最深秘の法として往古修法出来るのは東寺長者に限られていました。(密教大辞典等)
「本朝高僧傳・城州醍醐寺沙門定濟傳
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