孔雀経御修法記「(大御室)(永保元年1081三月)二十四日辛亥、空宿水曜。中宮御産により孔雀経法を修す。四月十五日結願、十七日御産平安。」 . . . 本文を読む
今日は北畠親房が 正平9年/文和3年(1354年)4月17日賀名生(五條市・南朝の首都)で死去した日です。62歳でした。北畠親房は「神皇正統記」で「大日本国は神国なり。天祖はじめて基を開き、日神ながく統をつたえたまふ。我が国のみ此のこと有り。異朝にはそのたぐひなし。このゆえに神国といふなり」として万世一系の天皇を戴く我が国体に万邦無比の神国的特性を認めてこれを高調するとともに、神仏一体をも説いてい . . . 本文を読む
今日は刀伊の侵略が始まった日です。小右記の寛仁3年4月17日の項では「大宰府飛脚使女真族の来襲を報ず。刀伊国五十艘着対馬拉人放火事。・・」として以下事細かに刀伊の略奪ぶりを書いています。以下ウキぺデア等に依ります。「刀伊の侵略は、寛仁3年(1019年)に、女真族(満洲民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件。9世紀から11世紀に掛けての日本は、記録に残る . . . 本文を読む
日本紀略・天長六年(829)四月
「丙寅(十七日)、(淳和天皇)勅して曰く『諸国頃日疫癘問発し百姓夭死す。出家の功徳は異議すべからず。宜しく百僧を度し此の凶禍を弭(や)むべし云々』」
天長六年(829)には淳和天皇は、延暦寺座主慈覚大師円仁に疫病退散の祈願をさせていますからかなりの疫病であったろうと想像されます。 . . . 本文を読む
今日は両手両足のない中村久子がヘレンケラーに抱きしめられた日です。1937年(昭和12年)4月17日、両手両足のない中村久子は41才の時、東京日比谷公会堂でヘレン・ケラー女史と出遭っています。その時久子は口で作った日本人形を贈りました。ヘレン・ケラーは久子を抱きしめて「私より不幸な、そして偉大な人」といった、と伝えられます。中村久子についての素晴らしい法話があります。◎三島多聞師(中村久子女史顕彰 . . . 本文を読む
祈っても祈っても願いは叶えられない時があります。こういう時は運命を呪い神仏を怨みます。まさにこの世は四苦八苦の「娑婆(忍苦)世界」であると思い知らされる時があります。しかしよくよく自分の人生を反芻してみると、よかったことも必ずあります。親の愛情に恵まれた、望む学校に行けた、体が丈夫であった、親切な友人がいた、願いがかなったことがあった・・等等です。「祈りは神を変えず、祈る者を変える。(キルケ . . . 本文を読む
『続日本紀』
「天平二年730四月辛未(十七日)。始めて皇后宮職(宮内庁)に施薬院を置き、諸国をして職封(皇宮職の封戸)幷に大臣家封戸(光明皇后生家の藤原家の封戸)の庸物を以て草薬買取に充価せしめ毎年之を進ぜしむ。」
. . . 本文を読む