大師も善人が苦を受け悪人が楽を受けているのはなぜかという疑問に答えられています。
結論は「前世の業の余韻に依る」ということです。
「善を為すに迍蹇(おそい)なること多きは多生の業いまだ亡せず。この生には華報(果報)受くれども眼を合すれば西方(西方浄土)に往く。」
「悪をなすにつねに昌熾(盛ん)なるは前世の命業強にして今身にこの報を畢って一たび去って衆聖を断つなり。」(大師の「 . . . 本文を読む
今日は公卿で大学者の一条兼良が死去した日です。兼良は、文明13年(1481年)4月2日薨去。享年80。「五百年来この才学無し」とまでいわれた碩学であったようです。(高校時代本堂の奥で夜お茶を啜りながら兼良の著書を読んだ覚えがありますが、その本の名は忘れています。ただそのころ、奥深い古典の世界にうっとりとなった記憶はあります。)兼良はその著「日本書紀纂疏」において、神儒佛の三教一致を説いているようで . . . 本文を読む
「世界には貧しい国が二つある。 ひとつは物質的に貧しいインド。 もうひとつは、精神的に貧しい日本。」( マザー・テレサの言葉趣意)
このような日本を作り上げた元凶は明治維新の廃仏毀釈です。 . . . 本文を読む
本朝新修往生伝「沙門戒深は尾張国賢林寺の住侶也。五十余年寺門を出ず、日々夜々法華を読誦し、多年の間、舎利を欣求す。尋常の読経の時、堂前庭上に舎利出現す。其の貌珠の如し。其の音雷に似たり。水に投げて沈ず、鎚打て壊れず。之仏像として安じ供養恭敬す。命終の時、佛に向ひて端座。手に定印を結び彌陀を称念す。瑞雲天に聳へ異香室を薫ず。没後数日、身は爛壊せず、結跏趺坐し定に入る人の如し。国郡哀傷し之の為に廟を立 . . . 本文を読む