福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

法句経

2013-08-23 | 諸経

    第十四 佛陀の部

一七九 已に自ら勝つて(他に)勝たれず、他人の達する能はざる勝利を得たる彼の(智見)無邊の佛陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。
一八〇 誘惑し阻礙する愛の爲に導き去らるゝことなき、彼の(智見)無邊の佛陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。
一八一 賢人は靜慮を專修し出家の寂靜を喜こぶ、諸神すら此の正等覺熟慮者を羨やむ。
一八二 人身を得ること難し、生れて壽あること難し、妙法を聞くこと難し、諸佛世に出ること難し。
一八三 諸の惡を作さず、善を奉行し、自心を淨む、是れ諸佛の教なり。
一八四 苦を忍受する忍は最勝の苦行なり、涅槃を第一とす、(是れ)諸佛の説なり、他を損ふ出家なく、他を惱ます沙門なし。
一八五 誹らず、害はず、言動を愼しみ、食するに量を知り、閑靜の處に坐臥し、專心に思惟す、是れ諸佛の教なり。
一八六 天金錢を雨すも欲は尚ほ飽くことなし、欲は味少なく苦なりと識る人は賢なり。
一八七 天上の欲樂に於ても悦びを得ず、愛盡を悦ぶものは正等覺者の弟子なり。
一八八 衆人怖に逼められて、多くの山、叢林、園苑、孤樹、靈廟に歸依す。
一八九 此の歸依は勝に非ず、此の歸依は尊に非ず、此の歸依に因つて能く諸の苦を解脱せず。
一九〇 佛と法と僧とに歸依し、正慧を以て四の聖(たふと)き諦(まこと)を觀察し、
(四の聖き諦―次の頌に言ふ所の、苦と、苦の起と、苦の滅と、苦盡に至る道なり。)


一九一 苦と、苦の起と、又苦の滅と、又苦盡に至る八支の聖道を(觀察すれば)、
一九二 此の歸依は勝なり、此の歸依は尊なり、此の歸依に因つて能く衆苦を解脱す。
一九三 尊き人は得難し、彼は隨處に生るゝに非ず、是の如き賢人の生るゝ族は安樂にして榮ゆ。
一九四 諸佛の出現は樂なり、正法を演説するは樂なり、僧衆の和合するは樂なり、和合衆の勇進するは樂なり。
一九五 應に供養せらるべき、戲論を超出せる、已(すで)に憂と愁とを渡れる、佛陀又は佛弟子を供養し、
一九六 是の如き安穩にして畏怖なき(聖者)を供養する人あらんに、能く此の福の量を計るものあらじ。
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