「勅を奉じ雑藥を三寶衆僧に供養する願文 寛平九年三月二十三日」(菅家文草)
「弟子(宇多天皇)生まれは末世に在り、乃ち宿業なり。位國王為り、乃ち勝因なり。是故常に念へらく 得る所の珍財 以て用ひて布施せむと。万民百姓然して志伸び力屈し、言深く事浅し。唯願くは一二剤の妙香 普く千万億の苦の衆生に及ぼし 今の捨つる処 此の上分に在り。 三寶衆僧 哀を垂れ聴許せよ。弟子敬白。」
(このころ寛平五年六年には寛平の韓寇があり、又八年には水旱兵災、大宰府の疫病などが相次いで起こり宇多天皇も僧侶に布施をすることで功徳を積もうとされたのでしょう。道真公と宇多天皇は深い結びつきがありました。)