福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

他者を批判ばかりする風潮が蔓延

2019-12-23 | 法話
最近世界的にも国内でも他者を批判ばかりする風潮が蔓延していて見苦しい限りです。批判する者は批判している相手とまったく同類で「目くそ鼻くそを笑う類い」だということに気が付かなければなりません。
お大師様は「秘蔵宝鑰」で「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず」とか「三教指帰」で「如何が己の身の膏芒(不治の病)を療せずして輒而(たやす)く他人の腫脚を発露すや」とおしゃっています。

「「業」はすべて「共業」である」という言葉があります。
「大乗 の業 は縁起、相依、空 の理法の上に立 って いるので、個 人 は万人 (他人、社会)な くし
ては有り得な いし、 万人 (他人、社会 )は個 人なくしては有 り得な いのだから、業 (人間の行為行 動)はすべて個 人的 (不共業 )であると同時に社会的 (社会の人皆の行動、即ち共業) であるのである。'
しかも各個人の行為行動 は社会に影響を及 ぼすも のであることも否めない。その代り、その社会から個 人は助けられて生存し、 又影響を受けている。個 人が行っていても実 は皆に依って行っているのであり、且つ皆に影響を与えている行動なのである。」業の社会性-共業-について (日本学士院紀要・干潟 龍祥)

こう考えると最近のいろいろな事件もすべて個人の業のみに収斂されるのではなく、社会全体の業でもあるとわかります。

この考えを実際に実践されたのが西田天香師です。西田師はすべての悪い事象に対して「私が悪うございました」と懺悔したそうです。一燈園のホームページには「一燈園生活者は、世の中のさまざまな不幸なできごとを見聞きするたびに、その不幸を作った原因が自分にもないか、知らず識らずのうちに自分の心持や生活が不幸を生むことにつながってはいないか、と自省します。そして、不幸にあった人、痛みを感じている人に、済まなかった、お許しくださいと、おわびの念を向け、懺悔の生活を続けてゆくのです。」とあります。
世間の事件の根本的解決はここまで徹底しないとできないと思われます。
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