今日は神々のために諸国国分寺に平城天皇が大般若経を置き奉読させた日
『日本後紀』大同四年(809)正月乙未(18日)条
「天下諸国をして名神の為に大般若経一部を写し、奉読供養し、国分寺に安中せしむ。若し国分寺無くば定額寺に於いてせよ。」
大同四年四月迄は天皇は平城天皇。延暦四年(785)早良新王が藤原種継暗殺事件の責めを負わされて憤死した怨霊を鎮める為もあったかもしれませんし、平城天皇が病弱だったので健康祈願したのかもしれません。そして平城天皇自身が大同五年には嵯峨天皇に対して「薬子の変」を起こします。
大師はこの薬子の変で失脚した平城天皇の子・高岳親王(のちの真如法新王)を弟子とされます。