四座講式・高辨撰
(涅槃講式・十六羅漢講式・遺跡講式・舎利講式の四種よりなる。明恵上人、常楽會所用として建保三年正月に撰す。(建保3年( 1215) 43歳、 正月21日、高山寺において四座講式(涅槃講・十六羅漢講・遺跡講・舎利講)を撰す「明恵上人年譜」.
真言宗では今猶用う。
涅槃講式は入滅・荼毘・涅槃因縁・双林遺跡・発願廻向の五段。
十六羅漢講式は羅漢住所・如来付属・福田利益・現在神変・発願廻向の五段。
遺跡講式は菩提樹霊異・処処遺跡・遺跡甚深功徳・遺跡恋慕人・発願廻向の五段。
舎利講式は舎利功徳・當代利益・結願廻向の三段。)
・「涅槃講式」
先總禮
「拘尸那城跋提河 娑羅林雙樹下に在して 頭北・面西・右脇臥し 二月十五夜半に滅す。 南無大恩教主釋迦牟尼如來生生世世値遇頂戴」
・次導師著座 ・次法用 ・次表白
敬って 大恩教主釋迦牟尼如來。涅槃遺教八萬聖教。娑羅林中五十二類。一一微塵毛端刹海。不可説不可説三寶境界に白して言さく。夫れ法性は動靜を絶つ。動靜は物に任す。如來は生滅無し。生滅は機に約す。彼の鞞瑟(びしゅ)長者は栴檀塔中に常住佛身を見、海雲比丘は大海水上に普眼契經を聞くがごときに至っては(どちらも華厳経入法界品にでる)、誰か歡喜之咲を藍薗誕生に含み、痛惜之涙を雙林入滅に流ん乎。是知んぬ、八相一代之化儀は長眠群類を驚かすの明燈、三百五十之諸度は沈淪諸子を渡すの飛梯也。其光照は遠く末代に迨(およ)び、其濟度は闡提を捨てず。嗚呼憑(たのむ)哉快哉。我等聞信之功徳ある者は長夜は將に曉けなんとす。結縁之善根有る者は苦海當に渡るべし矣 之に依りて今月今日を迎る毎に、四座の法筵を開演し、雙林入滅之昔を泣戀し、現在遺跡之徳を慇忍す。且つは滅後孤露之悲嘆を慰ん為、且つは當來値遇之大願を成ぜんが為也。一一の旨趣を開くこと後後の講席に在り。當座是開白涅槃之初度也。中に於いて、入滅・荼毘・涅槃因縁・雙林遺跡・發願迴向の五門を立て、粗(あらあら)戀慕悲歎之旨を顯す。
- 入滅の哀傷を顯すとは、凡そ如來一代八十箇年は、迦韋(かい)誕生・伽耶成道・鷲峯説法・雙林入滅なり。皆大慈大悲より起り、悉く善巧方便より出る。歡戚(かんせき・喜悲)化儀區(くく)なりと雖も皆利生の縁に非ざる無し。然して初生之我 當に三有の苦を度脱するの唱に、火宅の諸子、且つ焚燒之苦を息む。之を滅度し今より以後、再見之告無くば、苦海の溺子は倍(ますま)す哀戀之涙に漂ふ。經に云が如し。「佛告阿難。如來不久後、十五日有りて當に般涅槃したまふべし。爾時、夜叉大將名けて般遮羅、百萬億夜叉衆等と同時に聲を擧げて悲泣雨涙し、手を以って涙を收めて偈を説きて言く、『世尊金色光明身。功徳莊嚴滿月面。眉間白毫殊特相。我今最後歸命禮』と」(蓮華面經)已上。
諸天八部も悲泣雨涙す、今復た以って如是なり。先に涅槃必定之告を聞く、大衆追戀之苦に堪ず。況んや居諸、屡(しばし)ば轉じ、三五之運數已迫の時、如來哀戀之粧を示し、大衆は最後之思を作す。其の中心の悲歎何物か喩と為さん乎。遂に則ち力士の生地娑羅林間に面門之光を放ち、二月十五之朝、最後之別を五十二類に告ぐ耳。菩薩聲聞天龍八部一恒沙大菩薩等を始と為し、無量數の蜂虫衆類を終と為す。八十恒沙羅刹王、可畏羅刹を上首と為し、二十恒沙師子王、師子吼王を上首と為す。乃至鳧雁鴛鴦之族、水牛牛羊之輩、皆光に觸れ音を聞ききて各の大苦惱を生ず。人天は金銀財寶を擔き、禽獸は華莖樹葉を銜ふくみて、雙樹間に往詣し如來の前に集會す。悉く流汗し滿月之尊容を瞻仰し、各の涙を連ねて微妙之正法を聽聞す。其の正法とは、所謂る「聲聞縁覺は同じく一果に歸し、定性無性悉く一性有り。金剛寶藏は我の所有、三點四徳は我の所成なり云云」(大疏百條第三重)。 深義を聞き悲喜相ひ交る。潰訓を思ひ追戀は彌(いよい)よ倍す。面面に憂悲之色を含み、聲聲に苦惱之語を唱ふ。諸天龍神之涙は地に流れて河と成る。夜叉羅刹之息は空を滿して風に似たり。
漸く中夜に屬して涅槃時に至る。滿月之容は哀戀之色を含み、青蓮之眸は大悲之相を現す。僧伽梨衣を却け、紫金の胸臆を顯し、普く大衆に告げて言はく「我涅槃せんと欲す。一切天人大衆、當に深心に我色身を見るべし」と。此の如く三反告げ畢りて、即ち七寶の師子床より虚空に上昇す。高さ一多羅樹なり。一反告て言はく「我涅槃せんと欲す。汝等大衆、我色身を見るべし」と。此の如く二十四反諸大衆に告ぐ。「我涅槃せんと欲す。汝等大衆深心に我色身を見るべし。此を最後の見と為す。今夜見已りて復た再見することなし」。如是に諸大衆に示し已りて、還て僧伽梨衣を擧げ常の如く所被さる。如來復た諸大衆に告げて言はく「我今遍身疼痛す。涅槃の時到りぬ」。是の語を作し已りて、順逆超越して諸禪定に入りたまひ、禪定より起ち已り大衆の為に妙法を説く。所謂「無明本際の性は本より解脱せり 乃至 我今常寂滅光に安住す名けて大涅槃、云云(「大般涅槃經後分・若那跋陀羅譯」に「復告大衆。我以佛眼遍觀三界一切諸法。無明本際性本解脱。於十方求了不能得。根本無故。所因枝葉皆悉解脱。無明解脱故。乃至老死皆得解脱。以是因縁。我今安住常寂滅光」)」。大衆に示し已りて遍身漸く右脇に傾け已に臥す。頭枕北方・足指南方・面向西方・後背東方。即ち第四禪定に入り大涅槃に歸す。青蓮之眼は閉じて永く慈悲之微咲を止み、丹菓之脣は默然として終に大梵の哀聲を絶つ。是時、漏盡の羅漢は梵行已立之歡喜を忘れ、登地の菩薩は諸法無生之觀智を捨て、密迹力士は金剛杵を捨て天に叫び、大梵天王は羅網幢を投げて地に倒れ、八十恒沙の羅刹王は舌を申て悶絶し、二十恒沙の師子王は投身吠叫し、鳧雁(ふがん. かも/かり)鴛鴦之類皆悲を懷き、毒陀惡蝎之族悉く愁を含む。狻虎猪鹿交蹄は噉害を忘れ、獼猴敖犬は項を舐て悲心を訪ふ。跋提河の浪音は別離之歎を催ほし、娑羅林の風聲は哀戀之思を勸む。凡の大地は震動し大山は崩裂す。海水は沸涌し江河は沾竭す。草木叢林悉く憂悲之聲を出し、山河大地皆痛惱之語を唱ふ。
經に衆會悲感の相を説ひて云「或は佛に随って滅する者、或は失心する者、或は身心戰く者、或は互相に手を執りて哽咽流涙の者、或は常に胸を搥ち大叫する者、或は擧手拍頭して自ら髮を抜く者、乃至或は遍體に血現れて地に流灑する者あり。如是の異類の殊音、一切大衆の哀聲、普く一切世界を震ふ。已上。」(「大般涅槃經後分」にあり。)
良以(まことにおもんみれば)八苦火宅中に忍び難きは別離之焔也。三千の法王去りたまひぬ。熱惱何物か喩と為さん乎。仍ち悲涙を拭ひ、愁歎を收め、伽陀を唱へ、禮拜を行ずべき矣。 「我初生之嬰兒の如し 母を失ひ久しからずして必ず當に死すべし。世尊如何んぞ見放し捨てたまひ 獨り三界を出て安樂を受けたまふや。 南無大恩教主釋迦牟尼如來生生世世値遇頂戴」(これも「大般涅槃經後分」の偈にあり)
第二に荼毘の哀傷を擧ぐとは、青蓮咲えみを止め、菓脣息を斷つ之時、白氎(びゃくじょう)に纒絡し、金棺に收斂す。一切大衆は聖棺を擧げ城内に入んと欲するに、十六極大力士、大神力を運びて聖棺都て動くことなし。爾時、聖棺自ら虚空中に飛擧し、娑羅林より起って徐徐に空に乘り、拘尸那城西門より入る。菩薩聲聞天人大衆、大地虚空に遍滿して悲號哀歎す。爾時、聖棺、拘尸那城東門より出で、右繞して城の南門に入り、北門より出て空に乘りて左遶し、還りて拘尸那城西門より入る。如是に經ること三匝し已りて還りて西門に入る。又東門より出て北門に入り、南門より出て右遶して還りて西門に入る。乃至、如是に左右に拘尸那城を遶り、七匝を經て徐徐に荼毘所に至り、飛下して七寶師子床に安ず。天人大衆、聖棺を圍繞し悲泣し供養す。其哀慟聲大千を震動す。大衆各の白氎を以て手を障へ、共に大聖の寶棺を擧げ莊嚴妙香樓上に置く。將に火を擧げて如來を荼毘せんとす。是時に一切大衆各の七寶香爐大如車輪を持して、悲泣啼哭して香樓に置く。其火自然に殄滅。一切諸天の火、一切海神の火も皆な亦た如是なり。時に大迦葉、荼毘所に至るに、聖棺自然に開け、千帳の白氎及び兜羅綿皆解散し、紫磨黄金色身顯出す。迦葉諸弟子と之を見て悶絶し地に躄(たお)る。
悲泣供養し已り、香水を灌洗し白氎を纒絡す。棺門即ち閉つ゛。迦葉偈を説きて悲哭するに、如來重て兩足を顯出し、千輻輪より千の光明を放ち、十方一切世界を遍照す。迦葉偈を説きて哀歎して曰く「如來は大悲心を究竟し、平等の慈光は無二を照す。衆生感あれば應ぜざるなし。我に二足千輻輪を示したまふ。乃至千輻輪中千光を放って十方普く佛刹を遍照す、云云」
爾時、雙足還りて棺に入り封閉すること故の如し。其後復た七寶大炬火を投ぐるに皆悉く殄滅す。如來大悲力を以て胸臆中より火出で漸漸に荼毘す。七日を経て妙香樓を焚燒す。其時の哀傷幾爾ぞ乎。豈圖んや、滿月輪之容、忽ちに栴檀之烟に咽び、紫磨金之膚、あじきなう(青+青+心)も無餘之焔に燋すを乎。惜んで尚ほ以って餘りあり。悲んで亦以て無窮なり。大衆之悲歎良(まこと)に所由有り乎。其後天人大衆、舍利を分取し各本國に還りて競って供養を修す。凡そ一一の悲歎、翰墨の記する所に非ず。 仍ち各の戀慕渇仰之思を凝らして、伽陀を唱へ禮拜を行ずべし矣。
「嗚呼大聖尊 釋迦入寂滅 今但だ其名を聞くのみ 惜哉我不見なり
南無大恩教主釋迦牟尼如來生生世世値遇頂戴」
第三に涅槃因縁を擧ぐとは、夫れ如來は般若之翅を扇で生死之雲を拂ふと雖も、大悲之鎖に縈まつわれて未だ衆生之手を免れず。火宅に還りて嬉戲稚子を誘ひ、苦海に浮かんで以って狂醉の溺人を救ふ。廣大の慈悲は衆生界を盡し、無際の大願は利他に倦まず。若し我等が過を悪んで永く無餘之戸を閉ば、「我が如く等しくして異なること無からしめんの誓」(「法華経方便品」)も由なし。「今已に満足しぬの悦」(「法華経方便品」)も何か有ん乎。當に知るべし、歡喜の因を待ちて出現を示し、憍恣の心を誡て以って涅槃に入る也。華嚴云「衆生をして歡喜せしめんと欲するが故に世に出現し、衆生をして憂悲感慕せしめんと欲するが故に涅槃を示現す」(大方廣佛華嚴經卷第三十六寶王如來性起品第三十二之四)。法華云「凡夫の顛倒せるが為に實に在れども滅すと言ふ。常に我を見るが故に而も憍恣心を生ぜん。(法華経・如来寿量品第十六)」
鞞瑟(びしゅ)長者、不滅度際の法門の體を説て云く「普く十方一切世界去來今佛を見るに涅槃の者無し。衆生を化する方便の滅度を除く(大方廣佛華嚴經卷第五十入法界品第三十四之七)」。
香象大師釋して云く「他心を變異して出沒を見せしむ。其れ實は常身は出無く滅無し、云云」(華嚴經探玄記卷第十九)。 乃至、顯現甚深出沒無礙廣大佛事未曾失時等 涅槃の諸義は此中に廣く説くべし。然れば則ち如來涅槃するは衆生を捨るに非ざるなり。唯だ難化之過を懲らし、專っぱら哀悲之思を勸る也。「今但聞其名惜哉我不見(大寶積經)」の寶積の芳契、「咸く皆恋慕を懐いて、渇仰の心を生ず(法華経如来寿量品)」の法花の遺訓、見聞之處悲喜甚深き矣。
快い哉、既に教網之一目に罹る。盍んぞ苦海之波浪を出ざらんや。何に況んや涅槃の出現は水波の如し。總別十門互に全收せり。戀慕渇仰之風は跋提河之岸に涼しく、憍恣厭怠之雲は娑羅林之空に晴れぬ。涅槃山之峯に出現之月を待ち、生死海之底に菩提之珠を得るは、何んぞ其れ難しと為ん乎。仍ち戀慕渇仰の思を凝らし、
伽陀を唱へ、禮拜を行ずべき矣。
「凡夫顛倒せる為に 実には在れども而も滅すと言う。常に我を見るを以ての故に 而も憍恣の心を生ず。(法華経如来壽量品)南無大恩教主釋迦牟尼如來生生世世値遇頂戴」
第四に雙林遺跡を擧ぐれば、我等滅後之悲に泣く。何時にか見佛之幸に咲(えま)ん。哀悲之剩に中天
禽獸に嫉を懷き、戀慕之至に邊地の人身に恨を遺す。仍って聊か雙林之砌を像(おもっ)て、憖まなじひに愁歎之息を憩む。拘尸那城西北、跋提河西岸に娑羅林あり。其樹は檞カシワに似て皮青葉白なり。四樹特に高し。如來寂滅之所也。經に云「大覺世尊入涅槃已りて、其の娑羅林東西二雙合して一樹となり、南北二雙合して一樹となり、寶床に垂下して如來を覆陰す。其樹慘然として變じて白く、猶ほ白鶴の如し。枝葉華果瀑裂墮落し、漸漸に枯衰し摧折して無餘なり。取意」(「大般涅槃經後分」) 或記に云「其樹高五丈、下根相連、上枝相合。連理に相似たり。其葉豐欝(ぶうつ)にして華は車輪の如く、菓は大なること瓶の如し。其味甘きこと蜜の如し。取意」(「大般涅槃経疏」) 摩耶夫人、降天し如來に哭せし處、執金剛神地に躄(たお)れ金杵を捨てし跡、此の如きの遺跡連連隣次せる矣。 城北に渡河して三百餘歩、如來焚身之處有り。地今黄黒土に灰炭雜(まじわ)る。至誠に求請せば或は舍利を得る。彼の燈法師の如きは流沙之廣蕩たるを渉り、雪嶺之嶔峯を陟こへて、情を六親に辭し、雙林に命を終へり。見る人悲涙を流し、聞者哀傷を催ほす矣。
今雙林涅槃像を拜見するに、如來は頭北面西に臥し、大衆は前後左右を遶り、師子虎狼は猛惡之威を收め、菩薩聲聞は悲啼之貎を低(た)る。
先つ゛瞻仰を作すに身毛且つ竪(よだ)ち。次に啓白を致すに心府忽ち驟(うぐつ)く。是において香花を供ずるに禽獸羅刹に遍ず。最後の遺訓を受るを貴ぶ也。悲戀を述ぶるに雙林提河に迨(およ)ぶ。如來の遺跡たるを馴(なつかしうす)る也。誠に今日法式は耳目に觸れて哀傷を催す。又た涅槃部聖教を披くに、多く三水口篇の文字あり。是れ菩薩聲聞啼哭之儀、鬼畜修羅流涙之貎也。若し然らば、三水は涕涙至于膝周匝五由旬之涙河を湛へ、口篇は大衆啼哭聲震動三千界之大聲を吐けり。(『佛説方等般泥洹経』に「悲哀皆啼泣 最後見世尊 諸天龍之類 周匝五由旬 涕流至于膝 除餘諸人民 難頭和難龍 六十億龍倶 皆來共啼哭 最後見世尊」)。解紐に哀傷起り易く。字を見るに悲涙禁じ難きを乎。何ぞ必ずしも智辨開演を聞きて戀慕を生じ、委細料簡を待ちて以って渇仰を致さん乎。仍って悲涙を拭ひ、憂惱を抑て、伽陀を唱じ禮拜を行ずべき矣。
「次往涅槃處 感佛最後身 於此雙林下 利益群生類(大寶積經)南無拘尸那城跋提河邊如來入滅娑羅雙林」
第五に發願迴向といっぱ、願くは此の戀慕渇仰之善根を以て、必ず見佛聞法の大願を成就せん。夫れ佛に出沒無し。隱顯は縁に縁る。閻浮界中に入滅の化儀を示し、他方刹内には生身説法あり。機に契って虧盈を施す。日月の四州に出沒するが如し。物に任せて生滅を現じ、衆星に似て晝夜に隱顯す。今戀慕之聲を擧て無餘之空を響かし、悲歎之息を放ちて以って涅槃之窓を叩く。教主釋尊は圓寂之室を出、身子目連は大悲之門に赴く。星馳雲集。花嚴海會は虚空に住し、靈山の聖衆は大地に滿つ。證明何ぞ疑んや。知見何ぞ空しからんや。何に況んや色身法界に融ず。觀智是佛世也。體性實際を極む。機縁は是れ道場也。是に於いて大願の船を莊かざって戀慕之涙に浮かべ、正信の帆を擧て渇仰之息に馳す。生死の苦海は無念の朝の徑、涅槃の彼岸は無生の暮の棲なる矣。 其中間、近惡伴儻障を離れて、諸佛菩薩を友と為し、不聞正法障を捨て、無上の大法を心と爲す。乃至現當二世 所願圓滿。鐵圍沙界平等利益。仍ち伽陀を唱して禮拜を行ずべし矣。
「如來涅槃諸功徳 甚深廣大不可量 衆生有感無不應 究竟令得大菩提 南無沙羅林中最後寂滅紫金妙體」
・次神分 ・次六種迴向
(涅槃講式終)
「十六羅漢講式」
・ 先總禮
「我此道場如帝珠 十六大聖影現中 我等於彼大聖前 頭面接足歸命禮(わがこの道場は帝珠の如し。十方の三宝影現する中に、我が身如来の前に影現せん。頭面に足みあしを接して帰命し礼せん(法華三昧行事運想補助儀 (湛然撰))南無護持遺法十六大阿羅漢生生世世値遇頂戴」
・次導師著座 ・次法用 ・次表白
敬って大恩教主釋迦牟尼世尊・華嚴法花八萬聖教・護持遺法十六羅漢・九十九億無學聖衆・一一微塵毛端刹海不可説不可説三寶境界に白して言さく。
夫れ祇樹に蔭を息やめ、娑羅葉を變じて以後、人天覆護を失ひ、世間依怙無矣。是において迦葉は三藏法
門を結集し、阿難は十二部經を住持して、法燈を昏衢に挑(かか)げ、群盲を正路に導く。既んじて形を鷄足之洞に陰(かく)し、骸を恒河之岸に分かつ。爰に十六羅漢いまして、見に五濁惡世に住して、遺法を城壍(せいせん・掘り起こし)し衆生を愛念す。我等出離之方便偏に羅漢之慈悲に掛る。其の恩は須彌よりも高く、其の徳は溟海よりも深し。之に依りて迎二月十五、如來涅槃之忌彙、如在之供具を捧げ、無際之恩徳を報ずるの因に聊さか護法之功徳を讃じ、慇ねんごろに二世之値遇を望む。就中五段あり。一には羅漢の住處を擧げ、二には如來の付囑を擧げ、三には福田の利益を擧げ、四には現在の神徳を讃じ、五には發願迴向也。
第一に住處を擧ぐといっぱ、法住記(大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記・玄奘譯)に云く「第一の尊者賓渡羅跋羅惰闍(ひんどらはらだしゃ)、自眷屬一千阿羅漢と多分西瞿陀尼州(さいくだにしう)に住す。第二の尊者迦諾迦伐蹉(きゃだきゃばしゃ)、自眷屬五百阿羅漢と多分北方迦濕彌羅國(かしうみらこく)に住す。第三の尊者迦諾跋釐惰闍(きゃだはりだしゃ)、自眷屬六百阿羅漢と多分東勝身州に住す。第四の尊者蘇頻陀(そひんだ)、自眷屬七百阿羅漢と多分北倶盧州に住す。第五の尊者諾矩羅(だごら)、自眷屬八百阿羅漢と多分南贍部州に住す。第六の尊者跋陀羅(ばつだら)、自眷屬九百阿羅漢と多分耽沒羅州(たんぼらしう)に住す。第七の尊者迦理迦(きゃりきゃ)、自眷屬一千阿羅漢と多分僧伽荼州(そうかだしう)に住す。第八の尊者伐闍羅弗多羅(ばしゃらほつたら)、自眷屬一千一百阿羅漢と多分鉢剌拏州(はらだしう)に住す。第九の尊者戍博迦(しゅばきゃ)、自眷屬一千二百阿羅漢と多分香醉山(こうずいせん)に住す。第十の尊者半託迦(はんだきゃ)、自眷屬一千三百阿羅漢と多分三十三天に住す。第十一の尊者羅怙羅、自眷屬一千一百阿羅漢と多分畢利颺瞿州(びりようくしう)に住す。第十二の尊者那伽犀那(ながさいな)、自眷屬一千二百阿羅漢と多分半度波山(はんどばせん)に住す。第十三の尊者因掲陀(いんかだ)、自眷屬一千三百阿羅漢と多分廣脇山(こうぎょうせん)に住す。第十四の尊者伐那婆斯(ばっなばし)、自眷屬一千四百阿羅漢と多分可住山(かじうせん)に住す。第十五の尊者阿氏多、自眷屬一千五百阿羅漢と多分鷲峯山に住す。第十六の尊者注荼半託迦(しゅだはだきゃ)、自眷屬一千六百阿羅漢と多分持軸山に住す。
此等の尊者、既に四倒之牢獄を出、九結之纒縛を離れ、生分已に盡き、梵行已に立ち、所作已辨・後有已斷せり。佛法を護んが為に無餘之樂を抑へ、衆生を利せんが為に火宅之内に處す。報身十六處を卜と雖も。應現三千界に彌布して處處の佛事を證明し、種種の根機を接取す。遺法の佛子・滅後の衆生、誰人か歸依渇仰を致すさざらん乎。仍って聖徳を讃じ禮拜を行ずべき矣。
「 報身多在十六處 隨縁應現三千界 内祕普賢廣大行 外現聲聞利衆生 南無護持遺法十六大阿羅漢生生世世値遇頂戴」
第二に如來付囑を擧ぐといっぱ、或傳記に經を引きて云「世尊臨涅槃時、諸大衆悲哽嗚咽悶絶地に躄たほる、蘇起して唱て言く『怪なる哉世尊、將に滅沒したまはんとす。如來入滅後、我等誰人をか所歸となさん』。世尊告言『汝等憂惱すべからず。我入滅すと雖も、賓頭盧羅云(びんずるらうん)等の諸大阿羅漢、各百千聖衆を領して眷屬たらん。我滅後に在りて衆生の為に依止とならん。即ち十六聖衆を召して大衆に示す。更に金色手を舒べて其の頂を摩して告げて言はく「我無上正法を以て汝等に付囑す。我入滅後彌勒出世前に廣く佛事を作し衆生を導利せよ」。十六羅漢纔かに此の金言を聞くに、啼泣すること小兒の如し。覺ずして鉢を投で佛に白して言さく「大象去らば象子も隨って去る。世尊入滅後、我等何んが留りて住すべきや」。佛言「止やみね、止やみね。復た言ふべからず。我化縁已に盡きぬ。世に住むと雖も利益なし。汝等縁ありて未だ盡きず。世間に住せば利益無量ならん」。是において衆聖默然として聽受し佛勅に違せじ、と。 取意。
我等、滅後二千之末に生まれて、邊地遺弟之數に烈つらなれり。閑かに如來付囑之教文を披き、倩つらつら羅漢納受之儀式を見るに、當今とは省(おぼ)へず、忽ちに昔に値(あ)へるが如し。梵音遺訓之響耳底に留り、羅漢啼泣之質(すがた)眼前に影ず。哀感斷腸悲涙絞袖、設へ羅漢に非ずと雖も、設へ菩薩に非ずと雖も、毒龍惡鬼、若し如來之付囑を受ば、願くは毒龍惡鬼の奴たらん。天人を論ぜず、修羅を簡(きらふ)こと莫らん。是に於いて尊者、三明自在之力あり。八解洞達之徳を具す。佛法を愛すること摩尼の如し。衆生を撫すること赤子に類す。諸佛は尚ほ護念し菩薩は又敬重す。三界の諸天は其足を戴き、四種の輪王は履を採るにたらず。我等三毒醉患之耳底に如來遺屬之音を聞き、四倒狂亂之窓内に羅漢醫王の訪を待つ。須く一心渇仰之音を擧て二聖憐愍之恩を悦ぶ矣。
「 我所説諸法 即是汝等師 頂戴加守護 修習勿廢忘(大般涅槃經卷上) 南無護持遺法十六羅漢生生世世値遇頂戴」
第三に福田利益を擧ぐといっぱ、凡そ十六尊とは、其本地を尋ぬれば極位の大菩薩、解行之玉を慈悲之懷に隱せり。其の垂跡を語ば、付法大羅漢、覺滿之月を樂樹之下に翫ぶ。大心の師子を驅って三藐三菩提之崛に送り、小機の羊鹿を羈いで四諦十二縁之苑に放つ。誠に是、諸佛輪王之主兵寶也、衆生象馬之調御師也。佛世二千之當初より法滅七萬之時代に至るまで、護法の神徳、利生の靈相、誰か敢て算知せん乎。法住記に云「若此世界一切國王輔相大臣長者居士若男若女、慇淨の心を発して四方僧の為に大施會を設けんに、此十六阿羅漢及諸眷屬、其所應に随ひ分散往赴し、種種形を現じて聖儀を陰弊し、凡衆に示同して密かに供具を受け、諸施主をして勝れたる果報を得しめ、正法を護持し、有情を饒益せん。刀兵劫後、人壽漸く増じ百歳に到ん位に、諸眷屬とともに人中に来り、正法を顯説し有情を饒益せん。乃至人壽七萬歳の時、無上の正法永く滅沒せん。此の時に至り入滅を唱ふべし云云。 説法利生、既に如來に代補せり。滅後の愚子、誰か歸依を致さざらん。恭敬渇仰して福田利益を讃むべし矣。
「 世界若無佛 及衆賢聖人 世界衆生類 無有一切樂(「大方廣佛華嚴經卷第八菩薩雲集妙勝殿上説偈品第十之二」) 南無護持遺法十六大羅漢生生世世値遇頂戴」
第四に現在の神徳を讃むといっぱ、諸物靈怪を末代に隠し、佛法効驗を邊地に失ふと雖も、新に像末に華夷に盛んなるは、即ち羅漢聖僧之功徳也。外國の風儀を聞くに、信男信女有りて、齋會を設け、羅漢に供す。其の方所に向ひて召請之音を擧げ、其神徳を戀ひて以って渇仰之思を凝らす。敬請の儀は客を待つが如し。扉を閉じ音を息む。時に當って感應掲焉(けつえん・目立つ)して徴祥屡しばしば現ず。或は氎蓐(ぜんにく・毛布)下に花鮮かに、或は浴室内に板濕れり。彼の貧女を憐れんで一飯を嘗め、居士を悲しんで以って三創を受る等の如きは、大悲利物之方便、忝きなきかな、哀れなるかな乎矣。 夫れ称性之徳は自他平等なり、證理之行は彼此皆な同じなりと雖も、凡眼は難思之境を隔て、愚情は奇特之法を嫉む。彼の威徳太子四八相を具し、吉祥童女蓮花より化生するが如きに至っては、生信之縁を示すと雖も、更に涯分之境に非ず。今十六尊者、金剛三昧血肉之質を堅め、無生眞理、生死之報を住とどめたり。功徳は如來に等し。上求菩提之誓究る。果報は我等に同じ。下化衆生之願滿ち、其の供養之行儀、又凡夫之眼耳に馴れたり。澡浴を經營するは人間之恒例也。金銀を用ひざるは比丘之法式也。道安法師は平生に兜率上生を欣ふ。秦の建元二十一年正月二十七日に至り忽ち異僧あり。形甚だ卑賤、來寺して寄宿す。之を遣って講堂に處す。即ち夜分に至り異僧窓隙より出入す。
見人怪みて法師に告ぐ。即ち大聖なりと知って深く敬重を懷く。法師白して言さく「自ら惟れば罪根未だ除かず。願くは濟度の方法を示したまへ」。異僧答曰「須く聖僧を浴すべし。情願必ず果さん。具に澡浴の儀式を示す。法師又順次之生處を問ふ。異僧手を擧げて以って天之西北を撥ふに、重雲忽開け、即ち兜率勝妙之報を見る。唯法師一人に非ず。數十人の大衆皆な奇特の境界を見て、各隨喜渇仰を凝らす。法師聖告を受けて而後に澡浴を營む。現に非常の小兒あって數十の伴侶と來りて浴室に就く。眼前奇異之勝事何事か之に如かん哉。羅漢聖僧之功徳崇めざるべからず。希に飮食を供せば福徳雲の如く集り、纔かに澡浴を營めば罪根露のごとくに消ゆ。總じては九十九億之羅漢、佛前に籌を受け、別しては十六無學之聖者、世間に住して法を護る。人之徳失を察し、法之興廢を知る。隱顯隨時、神異無方なり。我等の三寶に歸し、四諦を信ずる之善根、專ら羅漢之廣恩に酬る。仍って功徳を讃じて禮拜を行ずべし矣。
「 心如大海全容受 志若須彌不動搖 共坐如來解脱床 哀愍衆生如一子 南無護持遺法十六大阿羅漢生生世世値遇頂戴」
第五に發願迴向といっぱ、願くは此の慈慕渇仰之善根を以て必ず自利利他之大願を成就せん。
先ず十六大聖之威光を増す。護持佛法の煩ひ無からん。次に三有群類之發心を勸む。斷惡修善の勇有らん。乃至大法鼓を撃って響無間に振はん。闡提斷善之族は三菩提道に進まん。大法螺を吹きて音有頂に通ぜむ。非想昧劣之輩は十須彌心を發さむ。方に今、如來入滅今に當る。聖衆の悲感は常に新たなる歟。彼の哀傷を助けんが為に聊か此の講肆を開く。行儀賤と雖も懇志淺からず。伏して乞ふ、護持遺法十六羅漢・九十九億無學聖者、悉知證明し善願圓滿ならしめたまへ。仍って一心の渇仰を凝らして二世の値遇を願うべし矣。
「願我生生見諸佛 世世恒聞深妙典 恒修不退菩薩行 疾證無上大菩提 南無護持遺法十六大阿羅漢生生世世値遇頂戴」
・ 次神分 ・次六種迴向
(十六羅漢講式終)
「遺跡講式」
・先總禮。敬禮天人所恭敬 西天如來諸遺跡 我等遺法諸佛子 戀慕渇仰致供養 南無人天有情所歸依處大聖化儀處處遺跡
・次導師著座。 ・次法用。
・次表白。
敬って大恩教主釋迦牟尼如來・華嚴法華八萬聖教・親見遺跡諸大祖師・一一微塵毛端刹海・不可説不可説三寶境界に白して言さく、夫れ提河潤を輟やめ、堅林暗を影うせし之後、鬼畜鰓を乾かし、人天據なし。是に於いて大悲止むこと無くして跡を娑界に留む。凡愚は之を憑んで以って愁を滅後に慰めたり焉。然て西天境雲漢に沌(まぎ)れ、東土路鯨波。見んと欲すれども未だ天眼を得ず。眼萬里之雲に杳たり。往んと欲するに復た身邊無し。身を千重之霧に縈れたり、悲哉我等非唯だ在世説法之衆會に漏るのみに非ず、亦た望を滅後遺跡之拜見に絶てり。春日に思閑しずかんじては歎息胸を擁ぐ。秋夜に眼覺ては以って悲涙面に灑ぐ焉。彼のの法顯・智猛・智嚴・法勇等の如きは、之を悲むこと病患を悲しむが如し。之を戀ふること男女之戀にも過ぎたり。遂に則ち身を捨てて以って遺跡を尋ね、生を輕んじて以って經論を訪ふ。我等何人か輒たやすく聞きて望なからん乎。是を以って菩薩聲聞在世之昔を恋ひ、草木石水滅後之悲を垂る今日を迎ふる毎に、專ら西天渇仰之風儀を學んで、聊か東土信敬之片善を加ふ。是を以て遺跡之靈徳を莊かざり、是を以て大聖之値遇を遂げんと也。集會の諸人は皆慇懃之戀慕を凝らし、所設の供具は悉く隨分之資糧を投げたり。誠信至って深し。釋尊必ず護念を増さむ。丹祈貳ふたごころ無し。二類定めて證明を加へん。
就中五段有り。一には別して菩提樹の靈異を擧げ、二には總じて處處の遺跡を擧げ、三には遺跡の甚深功徳を讃じ、四には遺跡戀慕の人を擧げ、五には發願迴向也。
第一に別して菩提樹の靈異を擧ぐといっぱ、摩竭提國前正覺山西南、行十四五里に菩提樹あり。菩提樹とは即ち畢鉢羅樹也。如來其下に坐して等正覺を成じたまふ。因って之を菩提樹と謂ふ。在世當初、菩薩の淨業に依って如來威神を承けて、種種の神變を示現し種種の佛事を施作す。全く凡樹と覚ず。宛かも心識あるが如し。是を以って説法最初第二七日中には、其の菩提樹高顯殊特にして、金剛を莖と為し、瑠璃を幹と為す。衆雜妙寶以って枝條と為す。寶葉繁茂し其形雲の如し。雜色寶華分枝布影す。復た摩尼を以て其の菓と為す。暉を含み焔を發して花と間列せり。又光明を放つ。光明中に摩尼寶を留む。摩尼寶内に諸菩薩あり。又如來威神力を以ての故に恒に妙音を出して種種の法を説くに盡極あることなし。如來入滅之以來、復た五百歳之頃、諸物靈怪を隠すと雖も、此の樹獨り異相盡ることなし矣。 無憂王初て位を嗣ぐに、邪道を信受し、佛遺跡を毀つ。菩提樹を斬截し、事火婆羅門をして祠天せしめんと欲す。即ち火を放って焚燒するに、猛火中に青翠色を含めり。大王異を視て悔過し、深く欣慶して躬みずから供養を修す。又王妃素より外道を信ず。密かに使人を遣りて夜分之後、重て其樹を伐らしむ。大王朝に将に禮敬せんとするに唯だ蘗株のみ在り。深く悲慨を増し至誠に祈精す。香乳を以て其株に漑ぐに、不日に還生す。王深く敬異す。其状たる也、莖幹黄白、枝葉青翠。冬夏不凋光鮮無變。然るに如來涅槃之日に至る毎に、其葉皆な凋落す。須らくあって之本に復す。是日諸國君王・異方法俗、數千萬衆召さざるに來集し、音樂を奏し香華を列して、燈炬日を繼ぎ競って供養を修す。各の悲泣哽咽して樹葉を收めて去る。唯だ王臣仰崇を生じるのみならず、又如來も歸依を致す。所謂成道之始には七日諦觀を凝し。一代之終には六匝之圍繞を運ぶ。世尊尚ほ二度之觀禮を企てたまふ。我等何ぞ一夜之渇仰を忘れん乎。就中、今日今夜は西天悲戀之正中たり。想像ふに王臣は星月を戴き、人民は風霜に中あたって、樹を圍み涙を流さむ。我等邊族たりと雖も苟も遺法に値ふ。應に行て交らざるを恨むべし。何ぞ端あじきのうも密室に睡らん乎。仍って各の靈徳を思念して渇仰を生ずべし矣。
「其樹奮大光 遍照東方刹 其數如恒沙 諸佛之國土(佛説方等般泥洹經) 南無摩竭提國伽耶城邊如來成道大菩提樹」
第二に總じて處處の遺跡を擧ぐといっぱ、如來滅を唱ふと雖も靈跡處處に留れり。中土の諸人は觀禮を眞跡に致し、邊地の我等は戀慕を傳聞に凝らせり。遠近異ると雖も渇仰は惟同じ。況んや信證は同じく一理を縁ず。見聞は倶に性起の徳也。若し聞信之二行あらば、即ち教網之一目に掛る也。法王中國處りて聖化を邊方に垂る。我等如來之愚子たり。何ぞ過分之思を作ん乎。所謂、龍窟に眞影を留め(「西域記」巻八)、石面に雙輪を遺す(佛所行讃)等、具に擧げ難し。且く一二を出す。摩竭提國に石あり。其上に雙輪の跡あり。昔如來一代已に暮れて入滅の時至れり。諸大衆と拘尸那城に趣く。是を最後之隨從なり。更に再會を待つの日なし。大衆涙に溺れて前後に侍衞す。如來紫金の面を變じて哀戀の粧を示せり。青蓮の眦を迴ぐらし、摩竭國を顧み、此石上に立ち阿難に告げて曰はく「我將に寂滅に入んとす。最後に此に足跡を留む。摩竭陀國を顧みんが為也。大衆見聞の哀傷、何ぞ翰墨にのせん乎。其の双足の跡長一尺八寸・廣餘六寸。兩足倶に輪相有り。十指皆花文を帶ぶ。魚形映起し、光明時照す。若し餘處に移さんとすることあらば、石、大ならずと雖も衆能く動かすこと莫し。設賞迦王、佛法を信ぜず聖跡を滅せんとし、鑿已りて平に還せども、文綵故の如し。之を殑伽河流に棄れば尋いで本處にかえれり(大唐西域記)。加之、五百塵點往劫の行事、今に在て炳然たり。薩埵の捨身流血(大唐西域記・法顕傳)尚ほ存せり。連拏(だな)の子を與あたへし杖埵跡を留む。布髮掩泥之處、捨身求偈之地、月光斬首、尸毘飼鷹(以上全て「大唐西域記」・「佛本行集経」・「賢愚経」・「方広大荘厳経」・「悲華経」・「大悲分陀利経」・「弥勒菩薩所問経」・「撰集百縁経」等にあり)。此等の聖跡五天に彌綸みりんす。靈相紛紜として見者信を増す。或は惡獸衞護を作し、或は天人寶花を雨ふらし、或は異香匂風、或は樂音耳を驚かす矣。彼の土の人民、競ひて巡禮を致し泣く供具を捧ぐ。嚴重奇異之勝事、只だ眼を閉じて想像るべし。仍って伽陀を唱へ禮拜を行ずべし矣。
「淨飯王宮生處塔 菩提樹下成佛塔 荒野薗中法輪塔 給孤獨園名稱塔 林如城邊寶階塔 耆闍崛山般若塔
庵羅衞林維摩塔 娑羅林中圓乎塔 南無人天有情所歸依處大聖化儀處處遺跡」
第三に遺跡の甚深功徳を讃ずといっぱ、凡そ如來所有の功徳は皆内は法界に會し、外は衆生に向ふ。泥木形像大智より出生し、紙墨經卷法界より等流す。況んや龍窟の眞影神變を現じ、石面の双輪光明を放つにおいて乎。其の本性を尋れば、是れ如來性起之功徳・成所作智之應化也。其の因起を語ば又衆生機感之所得、本識果種之變作也。是を以って五百塵點之間、三災屡しばしば現じ、四劫交來すれども、唯だ此靈跡は常住無變なり。水火焚漂せず、風災破壞せず、久しく後代に留りて永く衆生の歸仰と為る。如來、此方便を以て妙に狂逸之群類を縛し、衆生は彼の善巧に依りて堅く慈悲之鉤鎖に懸る。皆是隨染之果幻、自然之大用也。若し衆生に約せば衆生縁感之功徳と為し、若し如來に約せば如來性起之大用と為す。縁性無二にして終に法界に同ず。作者も無く成者も無し。法性隨縁甚深不思議の應用也。當に知るべし、如來の慈悲は一生捨てず。融金(お釈迦様のお体)之徳山を搖ひ(大般涅槃經等)、深廣之智海を動かす。更に一大事因縁の有る也。在世機感の為に眞身を示し、滅後無福の為に遺跡を留め、邊夷の為には名字を送り、闡提の爲には逆縁を結ぶ。彼此皆同じ如來大智之善巧・大悲利物之方便也。花嚴經に遺跡の利益を説きて云「滅除一切諸煩惱患得賢聖樂 云云」(大方廣佛華嚴經卷第五十二如來出現品第三十七之三)。又寶積經に滅後戀慕善根を擧げ、遺跡信仰功徳之文を説くに、如來愛子の名を立て成佛の記を授けたり、誠に世間に人を戀ふる之習、尚ほ其形見を重くす。信家歸佛之輩、誰か其遺跡を輕ぜん乎。設へ信仰之過ありと雖も誰か哀戀之思に堪へんや。況んや遺跡敬重の人、如來愛子之名を得るを乎。況んや戀慕渇仰の輩は無上菩提の記を受るを乎。仍って伽陀を唱へて禮拜を行ずべし矣。
「見聞供養聖遺跡 所得功徳不可量 於有爲中終不盡 要滅煩惱離衆苦 南無人天有情所歸依處大聖化儀處處遺跡」
第四に遺跡戀慕之人を擧ぐといっぱ、即ち他に非ず。上古の三藏諸宗祖師、遺跡を戀ひて命を捨て、經論を訪って以って生を輕んずる人、其數惟た多し。毛擧に遑あらず。諸徳數多しと雖も最初に荒途を開けしは法顯三藏是也。三藏、晋の隆安三年を以て長安より発して西に流沙を渡る。上に飛鳥無く、下に走獸無し。四顧茫茫向之(ゆくさき)を測り難し。唯だ日を視て以って東西に准ず。骸を算て以って行路を知る。熱風に遇へば身を燋がし、惡鬼に擒れて命を捨つ。但だ志を先にし命を次にし、遂に天竺に至り靈鷲山に詣でんと欲す。人諫て曰く「勝途多難にして寶處煩あり。黒師子多く人を噉む。如しかじ遼かに禮敬を致んには」。法師答曰「遠く數萬を渉し靈鷲に至らんを誓ふ、身命期せず、出息は保ち難し。豈に積年之誠をして既に至りながら癈せしむべけん乎。嶮難有りと雖も吾厭ざる也」。法顯山に至りて燒香禮拜し、舊跡を翹感するに聖儀を覩るが如し。慨念として悲傷す。涙を收て言く「佛此山に於いて首楞嚴經を説く。法顯生れて佛に値はず。但し遺跡を見るのみ。珍愛仰へ難し、更に歸顧を忘る。燈炬明を續いで一心に感悦す。彼の山に大石室有り。昔如來此に入定す。法師其前に於いて首楞嚴經を誦す。三黒師子ありて來りて法師前に蹲り、唇を舐め尾を振る。法師泣く泣く聲を勵して誦經す。更に身命を惜しむ之氣色無し。師子之を見て深く尊重を生ず。頂を低げ尾を下げて法師前に伏す。即ち慈愛の色を含み師子を摩して語りて曰く「汝我を害せんと欲せば且く誦經竟るを待て」。師子低頂して一心に聽經し良や久しくして乃ち去る。此等の諸徳、生れて佛に遇ざるを恨み幸に遺跡を見る。亡身の誓を立て生別之悲を懷く。實に傷いたむに足れる哉。或は峻壁に傍そひて深きに臨み、飛絙(ひかん・飛縄)を踏んで嶮を渡る。多く江山に零落するあり。都すべて存沒聞こえざる有り。哀哉悲哉。佛道何なる道ぞ。之を行く人は重き生命を軽くす。法家何なる家ぞ。之に入る人は珍名利を抛つ。其傳記を披くに悲喜に勝たへざるを乎。仍って隨喜結縁の思を凝らし伽陀を唱へ禮拜を行ずべし矣。
「我説誠實定 安慰如是輩 彼雖不見佛 而與見佛同(大寶積經の文) 南無遊行西天親見遺跡深心求法諸大祖師」
第五に發願迴向といっぱ、願くは此の戀慕渇仰之功徳を以て、必ず自利利他之大願を成就せむ。先ずは三祇百劫之大道に倦(う)まず。住行地之經歴を奈(な)んともせざらん。。生相之雲は金剛心之暮に晴れ、無明之眠は薩般若之曉に覺む。見聞隨喜之族は面面に受益すること空しからず。安養の行者は彌陀之引攝に預り、兜率の行者は彌勒之來迎を待つ。乃至生生世世見佛聞法、現當所願速疾圓滿。仍って伽陀を唱へ迴向を行ずべし矣。「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道 南無如來成道大菩提樹大聖化儀處處遺跡」
・ 次神分 ・次六種迴向
(遺跡講式終)
「舍利講式」
・先總禮
「敬禮天人大覺尊 恒沙福智皆圓滿 因圓果滿成正覺 住壽凝然無去來(天人大覚尊を敬礼す。恒沙の福智皆円満し、因縁果正覚を成ず。住寿凝然として去来なし。(「大乗本生心地観経」) 南無大恩教主釋迦牟尼如來生生世世値遇頂戴 南無滅後福田遺身舍利生生世世値遇頂戴」
・次導師著座 ・次法用 ・次表白
敬って大恩教主釋迦牟尼如來・滅後福田遺身舍利・涅槃遺教八萬聖教・護持遺法十六尊者・同體別體一切三寶に白して言さく、
夫れ佛日既に隱る。長夜幾の曉をか待たむ。法船復た摧けぬ。苦海何をか憑んで渡らむ。是に舍利之威光を褰かかげて希に八正之直路を尋ね、聖教之梯撜を得て以って適に六度之彼岸に攀ず。良(まこと)に遣使還告之方便、舍利を以て使と為すは一師の解釋也。醫王留藥之善巧、得て稱すべきもの歟。仍って弟子等二月十五一晝夜の間、四座之讃詠を擧げて一分之佛恩に報ず。所謂、先ず、双林入滅之像に對して諸徳各の最後之供を捧げ、次で十六羅漢之前に脆き、貴賤互ひに渇仰之誠を盡くす。重ねて覺樹枯衰之粧を像おもひ、上下皆戀慕之思を凝らす。今遺身舍利之徳を讃て、老少悉く亡據之涙を流す。其中間一夜之間、睡を覺し、聲を勵して大悲の寶號を稱念し、來世の値遇を請求す。當座は即ち第四度結願迴向の講肆也。中に就きて三段あり。一には總じて舍利の功徳を讃ず。二には別して擧當代の靈徳を擧ぐ。三には結願迴向也。
第一に總じて舍利の功徳を讃ずといっぱ、如來胎生を受けて遺形を留め、全身を砕きて舍利を現ずる之本意は、邊地末代に流傳し、六趣四生に周旋し、齊しく利益を授んが為の故也。
夫れ生身遙かに二千年之始に別る。滅後我等何爲。遺跡遠く數萬里道を隔て、邊地の衆生は見ること無し。若し碎身之方便なくんば、何んが滅後之悲歎を慰めん乎。華嚴經云「應に隨ひて、彼の一切天人龍神夜叉乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅摩睺羅伽等を化せんが故に、全身を碎末して舍利を示現す云云」。涅槃經云「生身並に舍利に供する二人の所得の福は正等にして異無し(取意)」。悲花經中に舍利の利益を説く「三災劫末時。瑠璃寶珠と為りて金剛際より出て、上阿迦尼吒天に至り、種種の花を雨ふらす。當に其の雨花の時、復た種種微妙音を出す。空聲・無相聲・無作聲等なり。此の如きの佛事を作して、無量無邊衆生をして三乘中において不退轉を得しむ。乃至、五佛世界微塵數等大劫中に於いて亦復如是なり。取意」。一滴滄溟に墮ちて必ず海水と乾竭す。佛化生界に流れて定めて生海と無窮なり。五界微塵の利益、尚ほ極説に非ず。異類世界の化導、誰か識知を致さんや。仍って無盡の利益を憑み伽陀を唱して禮拜を行ずべし矣。
「於如來舍利 一興供養者 盡生死煩惱 畢竟得涅槃 南無滅後福田遺身舍利生生世世値遇頂戴」
第二に別して當代の利益を讃ずるといっぱ、夫れ邊地は人を輕んじ、愚人は法を賤しむ。聖賢は來り生れず、法化は弘く行はれず。然るを大聖之善巧・舍利之威神によりて、邪見を翻し佛法を信ずること、其の靈應、惟れ多く古今一に非ず。佛法始て漢朝に来時、摩騰、道士と神驗を諍ひし日、舍利直ちに空中に上って旋環すること蓋の如し。遍く大衆を覆ひて日光を映弊す。天は寶花を雨ふらし大衆の上に散ず。又、天の妙樂音空中に遍滿す。大衆見聞して歎ずること未曾有なり。隨喜銘肝感涙絞袖し、皆五體投地して法師の足下に頂禮す。出家得度輩數千有餘。其中に諸山の道士六百九十人中、六百二十人出家す。
又僧會、呉國に往く。呉主請じて云く、「若し應に祈念して舍利を得ば、塔婆を立てて禮敬を致さむ。若し其れ虚妄ならば須ち加刑せむ」。即ち一七日を請期するに其感應無し。又た二七日申ぶに寂然として應無し。呉主嘲嫉して罪を加へんと欲すに、更に三七日を請ず。僧會、同件に語りて曰く「法之興廢此に在り。今度感無くんば誓て死を以て期せん」。
三七日暮に至るに猶ほ見所なし。流涙悲感震懼せざるなし。既に五更に入るに忽ち瓶中蒼然として聲有るを聞く。即ち舍利を果得せり。五色の光焔は瓶上を照耀す。之を撃つに砧磓倶に陷めども舍利は無損なり。之を燒けども燃けず、火爐大蓮華と作る。光明宮殿を照曜す。臣主驚嗟して隨喜の涙を流す。初て伽藍を建て佛法を崇重す。其寺建初寺と稱す。其里名は佛陀里なり。又醯羅城の頂骨舍利は香泥上に來報を示す。頂骨の周一尺二寸、其相は仰平にして形天蓋の如し。其色黄白、髮孔分明なり。來報を知んとほっする者は、末香を以て泥に和し以って頂骨に印ぜば、其の業縁に随って其形煥然たり。近ごろ北天王ありて印文を取るに、初め馬形を得る。悲慨して珍財を投げ積功懺悔す。次に師子形を得る。又た財寶を投じ齋式を持す。次に人形を得る。倍す精進に勵めば即ち天形を得る。悲喜交流して方に本国に還る。其精舍四十歩内、天震へ地裂くと雖も、此處獨り無動なり。我等舍利を掌中に得、肉眼に遺身を拝する、是れ過分之幸也。供ずるに隨って罪根を抜き、崇に随って福徳倍す。況んや深く觀智に入れば即ち是れ法身なり。仰で渇仰を作さば即ち是れ生身乎。一心に合掌して舍利の値遇を悦ぶべし矣。
「舍利神變不思儀 見聞隨喜得利益 超於生身住世間 爲迷正路作明燈 南無滅後福田遺身舍利生生世世値遇頂戴」
第三に結願迴向といっぱ、凡そ當今一日一夜所修の善業、或は財供、或は法供、併しかしながら戀慕渇仰之功徳也。皆眼に哀悲之涙を湛て供物を頂上に捧げ、各の面に渇仰之色を含んで足下に禮拜を致す。互に難遭之想を凝らし、悉く仏前に集會す。一夜を明して寶號を稱念し、四座を重ねて大恩を讃歎す。皆醒醉嘗藥之微心より起らずといふことなし。志願之風は早う摩竭之空に通じ、妙供之雨は速かに靈跡之場に灑ぐ。仰ぎ願くは大恩教主釋迦如來・護持遺法十六尊者・九十九億無學聖衆・滅後福田遺身舍利・十方三世諸佛菩薩・親見遺跡諸大祖師、必ず大會之懇志を照覽して來世の値遇謬らず、定めて無二之丹祈を知見して順次得果無疑ならむ。乃至三界同じく一家と為して共に一味之法雨を灑ぎ、四生合して一族と爲し、悉く一性之覺芽を萠さむ。仍って歡喜適悦之思に住して發願迴向之句を誦すべし矣。
「願於來世恒沙劫 念念不捨天人師 如影隨形不暫離 晝夜懃修於種智 願以此功徳 普及於一切
我等與衆生 皆共成佛道 南無滅後福田遺身舍利自他法界平等利益」
・次神分 ・次六種迴向
(舍利講式終)以上