昨日のダライラマの台湾への法話「心の訓練」
のなかで、
「ゲシェ・ランリタンパ・ドルジェセンゲは瞑想の中で衆生の苦しみを考えて常に暗い顔をされていた。」というくだりがありました。今日の九州の凄惨な豪雨被害をみても改めてこの言葉の重みを感じました。衆生の日々の苦しみ、輪廻の苦しみを思うと、とても晴れ晴れとした顔はできないのが当たり前かもしれません。
調べてみると、ゲシェ・ランリタンパ(1054-1123)は、カダム派の高僧で、チベットに招かれたアティシャ(注1)に仕えたドムトンパの三人の主な弟子の一人、ポトワから教えを受けついでいるということです。この日のダライラマの法話のもとになっている『八句の心の訓練法』の著者。
『八句の心の訓練法』は第1~7句が自己の幸せと他の苦しみを交換する瞑想。前者、第8句が無我の瞑想、ということです。(これは我々が日々修法している次第の中で他者の罪業を我が身に引き寄せて砕くという場面と類似しています。)
『八句の心の訓練法』
第1句
私がすべての生き物を、如意宝珠にもまさる最高の目的を成就するものと考えて、常に愛することができますように。
第2句
いつ誰といる時も、自分は誰よりも劣っていると考えて、他の者を心の底から、最高の者として愛することができますように。
第3句
あらゆる(自己の)おこないを自心で観察し、煩悩が生じるやいなや、(それは)自他を害する(だけな)ので、強い力で立ち向かい、おさえることができますように。
第4句
本性の悪い生き物たち(や)罪苦に負けてしまった者を見た時に、貴重な宝を見つけたように、得がたいものとして愛することができますように。
第5句
私に他の者が嫉妬して、罵倒し誹謗するなどの不合理な損は自分が引き受けて、勝ちを他に捧げることができますように。
第6句
私が助けて、大きく期待していた人が、きわめて不合理に(私を)傷つけたとしても、
正師と見ることができますように。
第7句
要約すると、直接あるいは間接に利益と幸せをすべての母(なる生き物)に捧げ、
母のあらゆる損害と苦しみを、ひそかに私が受け取ることができますように。
第8句
これらすべても、世間八法の分別の汚れに染まらずに、一切法を幻と知る心によって、執着なく束縛から解放されますように。」
(注1)アティシャはナーランダー寺院で中観唯識双方の流れを受け、ヴィクラマシーラ大学で僧院長をしていたがチベット僧の要請を受け60歳くらいで入蔵。「菩提心」の開発を実践しチベット密教中興の祖とされる。