第八講 執著とらわれなきこころ
無智亦無得。以無所得故。
ミルザの幻影 英国の文豪アジソンの書いた『ミルザの幻影』という随筆のなかに、こんな味わうべき話があります。
「人間の一生は、ちょうど橋のようなものだ。『生』から『死』へかかっている橋、その橋を一歩一歩渡ってゆくのが人生だ。だが、その橋の下はもちろんのこと、橋の手まえも、橋の向こう側も、真暗闇まっくらやみだ。その不安な橋をトボトボと辿たどってゆくのが、お互いの人生だ」
というようなことを書いておりますが、ほんとうになんとなく考えさせられる言葉だと存じます。人生は一本の橋! たしかにそうです。「人生五十、七十古来稀まれなり」と申していますが、かりに人生を六十年とし、一年を一間として計算するならば、人間の一生は、つまり「六十間の橋渡り」です。二十歳の人は、人生の橋を二十間渡った人です。三十歳の人は三十間、四十歳の人は四十間、五十九歳の人は、もう一間で、人生の橋を渡りきるのです。もう一間でおしまいだと思ったとき、果たしてどんな感じが起こることでしょうか。橋の向こう側には、坦々たんたんたる広い道路みちでも開けておればまだしも、真の闇だったらどんな気持がすることでしょうか。私の故郷は、伊勢の神戸かんべという小さな城下町ですが、小学校の門を、いっしょにくぐった人たちは、四、五十人もあったでしょう。しかし現在いま故郷に生き残っている友だちは、もうたった五、六人くらいしかありません。どこへ行ったのやら、いつの間にか、ボツンボツンと、まるで水上の泡あわのように消えてなくなりました。六十間の橋を、いっしょに全部渡りきるのだということが、はじめからわかっておればともかく、それがはっきりしていないのですから、全く心細いわけです。あの有名な『レ・ミゼラブル』を書いたフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーは、「人間は死刑を宣告されている死刑囚だ。ただ無期執行猶予なのだ」といっていますが、たしかにそうです。無期執行猶予なのですから、いつ死ぬかもわからないのです。さすがは文豪です。うまい表現をしたものです。弘法大師は『秘蔵宝鑰ひぞうほうやく』という書物の中で、「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥くらし」といっておられますが、人生の橋渡りを思うにつけても、私はこの言葉を、今さらのごとく新しく思いうかべるのです。
生は尊い
さてすべては「因縁」だ、因縁によってできている仮の存在だと自覚した時、私どもはそこに「生は儚はかない」ことをしみじみ感じます。しかし、それと同時に、また「生は尊い」という事にも気づくのです。いや、気づかざるを得ないのです。だから、私どもは何事につけてもこの因縁を殺すことなしに、進んでその因縁を生かしてゆく覚悟が大事です。「因縁を殺す」とは、二度と帰らぬ一生を無駄むだに暮らすことです。酔生夢死することです。「因縁を生かす」とは、私どもの一生を尊く生きることです。一日一日を、その日その日を「永遠の一日」として暮らしてゆくことです。ああしておけばよかった、こうしておけばよかったというような、後悔の連続する日暮らしであってはなりません。日々の別れであるその一日をりっぱに無駄のないように生かしてゆくことです。ある時、黒田如水が太閤に尋ねました。
「どうして殿下あなたは、今日のような御身分になられましたか。何か立身出世の秘訣ひけつでもございますか」
といって、いわゆる「成功の秘訣」なるものを尋ねたのです。その時の秀吉の答えが面白いのです。
「別に立身出世の秘訣とてはないのじゃ。ただその『分』に安んじて、懸命に努力したまでじゃ。過去を追わず、未来を憂えず、その日の仕事を、一所懸命にやったまでじゃ」
草履ぞうりとりは草履とり、足軽は足軽、侍大将は侍大将、それぞれその「分」に安んじて、その分をりっぱに生かすことによって、とうとう一介の草履とりだった藤吉郎は、天下の太閤秀吉とまでなったのです。あることをあるべきようにする。それ以外には立身出世の秘訣はないのです。
五代目菊五郎が、「ぶらずに、らしゅうせよ」といって、つねに六代目を誡いましめたということですが、俳優やくしゃであろうがなんであろうが、「らしゅうせよ」という言葉はほんとうに必要です。私はその昔、栂尾とがのおの明慧上人みょうえしょうにんが、北条泰時ほうじょうやすときに「あるべきようは」の七字を書き与えて、天下の政権を握るものの警策いましめとせよと、いわれたというその話と思い比べて、そこに無限の甚深じんしんなる意味を見出すものであります。
一滴の水 まことに「因縁」を知ったものは、つねに「あるもの」を「あるべきように」生かすものです。一滴の水も、一枚の紙も、用いようによっては、実際大いに役に立つものです。だから、自然どこにも、無駄むだはないわけです。役に立たぬものはないわけです。
私の書斎には、死んだ父の遺物かたみの一幅があります。それは紫野大徳寺の宙宝の書いた「松風十二時」という茶がけの一行ものです。句も好よいし、字もすてきによいので、始終私はこれをかけて、父を偲しのびつつ愉たのしんでいます。「質問に答えて曰いわく、神秘なり」で、ちょっとこの意味を簡単に説明し難がたいのですが、いったい茶道には無駄はないのです。身辺のあらゆるもの、自然のあるがままの姿を、あるがままに生かさんとするところに、茶道の妙趣があるように思います。茶道といえば千利休についてこんな話が伝わっています。
茶人の風雅
ある日のこと、利休は、その子の紹安しょうあんが、露地を綺麗きれいに掃除そうじして、水を撒まくのをジット見ていました。紹安がスッカリ掃除を終わった時、利休は、
「まだ十分でない」
といって、もう一度仕直すように命じたのです。いやいやながらも二時ふたときあまりもかかって、紹安は、改めてていねいに掃除をし直し、そして父に向かって、
「お父とうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度も洗いました。石燈籠いしどうろうや庭木にも、よく水を撒きました。蘚苔こけも生き生きとして緑色に輝いています。地面にはもう塵ちり一つも、木の葉一枚もありません」
といったのです。その時、父の宗匠そうしょうは厳おごそかにいいました。
「馬鹿者奴ばかものめ、露地の掃除は、そんなふうにするのではない」
といって叱しかりました。こういいながら茶人は、自分で庭へ下りていって、樹きを揺ゆすったのです。そして庭一面に、紅の木の葉を、散りしかせたのでした。茶人がまさしく求めたものは、単なる清潔ではなかったのです。美と自然とであったのです。
和敬清寂のこころ
この話は、岡倉天心の書いた『茶の本』にも出ておりますが、「清潔」「清寂」を尊ぶ茶人の心にも、まことにこうした味わうべき世界があるのです。「和」と「敬」と「清」と「寂」をモットーとする茶の精神を、私どもは、もう一度現代的に、新しい感覚でもって再吟味する必要があると存じます。そこには必ず教えらるべき、貴とうとい何物かがあると思います。
塵の効用
いったい世の中で、なんの役にもたたないものを「塵芥ちりあくた」といいます。だが、もし塵芥といわれる、その塵がなかったとしたらどうでしょうか。あの美しい朝ぼらけの大空のかがやき、金色燦然こんじきさんぜんたるあの夕やけの空の景色、いったいそれはどうして起こるのでしょうか。科学者は教えています。宇宙間には、目にも見えぬ細かい小さい塵が無数にある。その塵に、太陽の光線が反射すると、あの東天日出、西天日没の、ああした美しい、自然の景色が見えるのだ、といっておりますが、こうなると「塵の効用」や、きわめて重大なりといわざるを得ないのです。
周利槃特の物語
塵といえば、この塵について、こんな話がお経の中に書いてあります。それは周利槃特しゅりはんどくという人の話です。この人のことは、近松門左衛門の『綺語きご』のなかにも、「周利槃特のような、愚かな人間でも」と書いてありますくらいですから、よほど愚かな人であったに相違ありません。あの「茗荷みょうが」という草をご存じでしょう。あの茗荷は彼の死後、その墓場の上に生はえた草だそうで、この草を食べるとよく物を忘れる、などと、世間で申していますが、物覚えの悪い彼は、時々、自分の姓名さえ忘れることがあったので、ついには名札を背中に貼はっておいたということです。だから「名を荷になう」という所から、「名」という字に、草冠をつけて「茗荷みょうが」としたのだといいます。まさかと思いますが、とにかくこれにヒントを得て作られたのが、あの「茗荷宿」という落語です。ところで、その周利槃特の物語というのはこうです。
彼は釈尊のお弟子のなかでも、いちばんに頭の悪い人だったようです。釈尊は彼に、「お前は愚かで、とてもむずかしいことを教えてもだめだから」とて、次のようなことばを教えられたのです。
「三業ごうに悪を造らず、諸々もろもろの有情うじょうを傷いためず、正念しょうねんに空を観ずれば、無益むやくの苦しみは免るべし」
というきわめて簡単な文句です。「三業に悪を造らず」とは、身と口と意こころに悪いことをしないということです。「諸々の有情を傷めず」とは、みだりに生き物を害しないということです。「正念に空を観ずれば」の「正念」とは一向専念です。「空を観ずる」とは、ものごとに執着しないことです。「無益の苦を免るべし」とは、つまらない苦しみはなくなるぞ、ということです。たったこれだけの文句ですが、それが彼には覚えられないのです。毎日彼は人のいない野原へ行って、「三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず……」とやるのですが、それがどうしても、暗誦あんしょうできないのです。側そばでそれを聞いていた羊飼いの子供が、チャンと覚えてしまっても、まだ彼にはそれが覚えられなかったのです。一事が万事、こんなふうでしたから、とてもむずかしい経文なんかわかる道理がありません。
ある日のこと、祇園精舎ぎおんしょうじゃの門前に、彼はひとりでションボリと立っていました。それを眺ながめられた釈尊は、静かに彼の許もとへ足を運ばれて、
「おまえはそこで何をしているのか」
と訊たずねられました。この時、周利槃特は答えまして、
「世尊よ、私はどうしてこんなに愚かな人間でございましょうか。私はもうとても仏弟子ぶつでしたることはできません」
この時、釈尊の彼にいわれたことこそ、実に意味ふかいものがあります。
「愚者でありながら、自分おのれが愚者たることを知らぬのが、ほんとうの愚者である。お前はチャンとおのれの愚者であることを知っている。だから、おまえは真の愚者ではない」
とて、釈尊は、彼に一本の箒を与えました。そして改めて左の一句を教えられました。
「塵ちりを払い、垢あかを除かん」
正直な愚者周利槃特は、真面目まじめにこの一句を唱えつつ考えました。多くの坊さんたちの鞋履はきものを掃除しつつ、彼は懸命にこの一句を思索しました。かくて、永い年月を経た後、皆から愚者と冷笑された周利槃特は、ついに自分おのれの心の垢、こころの塵を除くことができました。煩悩まよいの塵埃けがれを、スッカリ掃除することができました。そして終ついには「神通説法第一の阿羅漢あらかん」とまでなったのです。ある日のこと、釈尊は大衆を前にして、こういわれたのです。
「悟りを開くということは、決してたくさんなことをおぼえるということではない。たといわずかなことでも、小さな一つのことでも、それに徹底しさえすればよいのである。見よ、周利槃特は、箒ほうきで掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」
と、まことに、釈尊のこの言葉こそ、われらの心して味わうべき言葉です。「つまらぬというは小さき智慧袋」、私どもはこの一句を改めて見直す必要があると存じます。
無所得の天地
さてこれからお話ししようと思うところは、「智もなく、亦また得もなし、無所得を以ての故に」という一句であります。言葉は簡単ですが、その詮あらわす所の意味に至ってはまことにふかいものがあるのです。しかし、手っ取り早く、その意味を申し上げれば、つまりこうです。
「およそ一切の万物は、すべて皆『空なる状態』にあるのだ。『五蘊』もない、『十二処』もない、『十八界』もない、『十二因縁』もない、『四諦』もないと、聞いてみれば、なるほど『一切は空だ』ということがわかる。しかも、その空なりと悟ることが、般若の智慧を体得したことだ、と思って、すぐに私どもは、その智慧に囚われてしまうのだ。しかし、元来そんな智慧というものも、もとよりあろうはずがないのだ。いや智慧ばかりではない。そういう体験さとりを得たならば、何かきっと『所得』がある、いやありがたい利益や功徳くどくでもあろうなどと、思う人があるかも知れぬが、それも結局はないのだ」というのが、「無智亦無得」ということです。
こうなると、皆さんは、いわゆる迷宮に入って、何がなんだか、さっぱりわからなくなってしまうことでしょう。しかし、ここに、かえってまたいうにいわれぬ妙味があるのです。いったい仏教の理想は、「迷いを転じて悟り開く」ことです。煩悩ぼんのうを断じて菩提ぼだいを得ることです。つまり凡夫ひとが仏陀ほとけになることです。にもかかわらず、迷いもない、悟りもない、煩悩もなければ、菩提もない。ということは、「いったいどんな理由わけだ」という「疑問」が必ず湧いてくると思います。だが、ここでとくとお考えを願いたいことは、万物は因縁より生じたものだということです。そして「因縁生」のものである限り、皆ことごとく相対的なものだということです。
病があればこそ、薬の必要があるのです。病あっての薬です。病にはいろいろ区別があるから、薬にもまたいろいろの薬があるわけです。だが、病が癒なおれば、薬も自然いらなくなるのです。風邪かぜを引いた時には、風邪薬の必要があります。しかし、いったん、風邪が癒れば、いつまでも風邪薬に執着する必要はありません。身体の健全な人には、薬の必要がないように、一切をすっかり諦観あきらめた心の健全な人ならば、何も苦しんでわざわざ心の薬を求める必要はありません。いま仮に、東京から京都へ汽車で行くとします。汽車が無事に京都についた時、汽車のおかげだ、汽車はありがたいといって、肝腎かんじんな用事をうち忘れて、いつまでも汽車そのものに、囚われていたらどうでしょうか。汽車の役目は、人を運ぶ事にあるのです。人を運んでしまえば、汽車の用事はそれですむのです。私どもは、汽車に乗ることが、目的そのものではないのです。目的を忘れて、汽車そのものに、いつまでも執着していることは、全く意味のない事です。だといって、私どもは、決して汽車の必要を認めないものではありませぬ。ここです、問題は。あの順礼の菅笠すげがさになんと書いてありますか。
「迷うが故に三界の城あり。悟るが故に十方は空なり。本来東西なし、何処いずこにか南北あらん」(迷故三界城。悟故十方空。本来無東西。何処有南北)
まことに「本来無東西」です。東西があればこそ、南北があるのです。にもかかわらず、いつまでも、どこへ行っても、いやこれが東だ、いやこれが西だ、といっていたら、果たしてどんなものでしょうか。
ところで、なにゆえに「智もなく亦得もなし」というかと申しますに、それはつまり「無所得を以ての故に」であります。すなわち「無所得だから」というのです。で、問題はここに一転して、「無所得とはなんぞや」ということになるのです。中国の有名な学者兪曲園ゆきょくえん(清朝の末葉に「南兪北張なんゆほくちょう」といわれ、張之洞ちょうしどうと並び称せられた人)の書いた随筆に、『顔面問答』というのがあります。それは「口」と「鼻」と「眼」と「眉毛まゆげ」の問答です。お互いの顔を見ればわかりますが、いったい人間の顔のいちばん下にあるのが口です。その上が鼻、その上が眼で、いちばん上にあるのが眉毛です。口の不平、鼻の不満、眼の不服は、この眉毛の下にあるということです。彼らは期せずして、眉毛の「存在価値」を疑ったわけです。口、鼻、眼から、「なにゆえに君は僕らの上でえらそうにいばっているのか、いったい君にはどういう役目があるか」と詰問せられた時の眉毛の答えは、実に面白いのです。
「いかにも君らは重大な役目を持っている。食物を摂とり、呼吸をし、ものを看視していてくれる君たちのご苦労には、実に感謝している。しかし、今日改まって君たちから、『君の役目はなんだ』と問われると、全くお恥ずかしい次第だが、何をしているのか自分ながらこれだといって答えられない。ただ祖先伝来、ここにいるというだけで、日夜すまぬすまぬとは思いつつ、まあこうして、一所懸命に自分の場所を守っているわけだ。君たちは各自めいめい他に誇るべき何物かを持っているだろうが、僕には誇るべき何ものもないのだ。何をしているか、と問われると、お恥ずかしいわけだが、なんと答えてよいやらわからない」
というのです。最後に作者は、こういう言葉をつけ加えております。
「自分は今日まで口と鼻と眼の心懸こころがけで暮らしてきた。しかしそれは間違っていた。今後は、ぜひ眉毛の心懸けで、世を渡りたい」
まことに子供だましのような、つまらぬ馬鹿らしい話です。しかし味わってみるとなかなか意味のある話だと存じます。眉毛の態度はちょっと見ると、いかにも無自覚で、自覚なきがごとくですが、しかしそこにはチャンと一つの深い「自覚」をもっているのです。自覚なきがごとくにして、しかも自覚している。この眉毛の態度こそ、まさしくそれは、因縁に随順しつつ、無我に生きる生活です。そこには万人の味わうべき何ものかがあると存じます。「一隅ぐうを照らすものを国宝となす」と伝教大師はいっていますが、この国宝こそ、今日最も要求されているのです。
「聡明叡智そうめいえいち、之これを守るに愚を以てす」
と古人もいっております。成功の秘訣(ひけつ)は、「運」、「鈍」、「根」の三つだと、いわれていますが、この「鈍」、この「愚」が、現代人には特に必要かと思います。「大賢は大愚に近し」ともいいます。眼から鼻へぬける鋭さ、賢さも、もちろん必要でしょう。だが、そこにはぜひとも「愚」がほしいのです、「鈍」が必要です。もしもこれが欠けていると、小ざかしい口達者な小利口ものになるわけです。有名な電気王エジソンはいっています。「天才とは九分九厘が汗パースピレーション、一分だけが霊感インスピレーション」と。たしかにそうでしょう。全く「天才とは長い辛抱」です。根気が必要です。辛抱が天才を作り上げるのです。だが、辛抱の一面また鈍が大事です。鈍とは愚です。「聡明叡智、之を守るに愚をもってせよ」と古人が誡いましめているのはそこです。あのエスペラントの初祖ザメンホフはいっております。
「新思想の開拓者が、遭遇そうぐうするのは、嘲笑ちょうしょうと非難のほかの何物でもない。はじめて逢あったきわめて教養の低い腕白小僧すら、彼らを見下していうのである。『彼らは愚かしいことに従事している』と」
この覚悟が必要です。いかなる嘲笑も慢罵まんばも攻撃をも、一切超越せねば、決して新しい仕事はできないのです。新奇な運動は発おこせないのです。つまり馬鹿になる、愚者にならねば、とうてい所期の目的を達成することはできないのです。
いったい人の世に処する道はむずかしいものです。とかく社会生活がだんだんと複雑になると、「経済の問題」がやかましくなってきます。「生活くらし」ということ、食物の問題、胃袋の問題が、きわめて重要な意味をもってきます。まことに無理もありません。だから今日では個人的にも、社会的にも、国際的にも、すべては、「損得」、「利害」といったような、打算的な考えで、動いているようです。一文でも「損」をせぬように、一文でも「得」をするように、損にも得にもならぬものには、なるべく手を出さぬように、関係しないように、というふうです。それが現代的なものの考え方のようです。だが、それで果たしてよいものでしょうか。「引き合わぬ」「勘定にあわぬ」というような損得の考えだけで、人間は暮らせるものでしょうか。中国人は金かねに汚きたないというが、日本人は汚くないでしょうか。経済の問題、もちろん必要です。この地上に、人間の生活が営まれるかぎり、私どもは、とうてい「経済」上の利害得失と無関心にはおられません。しかしです。経済が、決して生活の全部とは申されません。経済だけで、ほんとうに経済だけで、世の中のすべてが生きているのではありません。なるほど「人間は食う動物なり」ということは事実でしょう。しかし食うだけで、人間は決して満足しているものではありません。食糧飢餓の今日、人はあまりに食生活のために貴い人間の霊性を見失っているような気がいたします。敗戦後の日本人は、ひたすら食物を探さがし求める犬や猫ねこのような存在になったようです。しかし、新しい日本を建設し、創造するには、お互いはとくと考え直さねばなりません。それは物質上の破産を、いかにもそれが人間の破産のごとく考えて、心の破産の重大なることに気づかないということです。「物の貧困」よりも恐ろしいのは「心の貧困」です。「本来は無一物なり雪だるま」たとい戦災で物を喪失しても、もともと裸で生まれてきたのですもの。将棋の「金」から「歩ふ」に帰っただけのことです。歩は当然また金になれるのです。
恐ろしいのは心の喪失です。心の貧困です。いったん心を失ったものは、たやすくとり戻もどすことはできないのです。私どもは外面的に、貧困防止の方法を考えねばならぬと同時に、いやそれ以上に内面的に、心の貧困を克服すべく努めねばなりません。「人間は食う動物だ」といった、かのフォイエルバッハは、また一面において、「人間は人間にとって神である」とさえいっております。何も彼かも、ことごとく「損得」の打算、すなわち「有所得」の心持で動かずに、時には打算を超(こ)えた「無所得」の心持になりたいものです。ほんとうの人間らしい心になりたいものです。そして単に利害とか損得ということだけでなく、正と不正、善と悪、といったような立場から、動きたいものです。われわれの日常の行動が、こういう基準によって行なわれなければ、断じて社会は円満に、円滑にはゆきません。つまりは道義に立脚する行為でなければ、ほんものではありません。この私の『心経』の講義をお聞きくださっても、おそらくそれは、金儲もうけには、縁遠いことでしょう。直接には一銭の利益もないでしょう。一文の得もないでしょう。経済生活の上には、直接なんの関係もないでしょう。しかしです。「無用の用」こそ、真の用です。私どもはただ自然人としての自分のみを見ずして、文化人として、さらに宗教人としての自分、いやほんとうの人間としての自分をかえりみなければなりません。かくてこそ、はじめて無所得の意味も、自然に理解されるのであります。(古来成功した経済人は「経世済民」を動機に事業をおこしています)