華厳経菩薩明難品「・・文殊師利、宝首菩薩に問うていわく『仏子よ一切の衆生は四大にして悉く我に非ず、我所にあらざるに(衆生は地水火風空でできていて実体がないのに)いかんぞ衆生は或は苦を受け或は楽を受け、或は悪をなし善をなし、或は内端正なるあり外端正なるあり、或は少しの報を受け或は多くの報を受け、或は現報あり、或は後報あるや、しかも諸法の性には善もなく悪もなし(衆生も法も空なのになぜ業果あるのか)』
その時宝首菩薩、偈をもってこたえて曰く『行うところの諸業に従ひて果報を受けることもまたしかなり。・・諸仏はかくのごとく説きたまふ。なお明浄なる鏡のその面にしたがひて像現ずるも内外所有なきがごとく業性もまたかくのごとし。田の種は各々相知らずして自然に能く因となるがごとく業性もまたかくのごとし。大幻師のかの四衢の道にありて種種の色を示現するがごとく業性もまたかくのごとし。匠の木人を作りて能く種々の声を出さしむるも彼には我と非我となきがごとく、業性もまたかくのごとし。・・・大地獄のなかの衆生苦悩を受くるも苦悩来るところなきがごとく業性もまたかくのごとし。転輪王のすぐれたる七宝を成就するも彼従来するところなきがごとく業性もまたかくのごとし。諸々の世界に成るあり或は敗るあるも成敗に來去なきがごとく業性もまたかくのごとし。」(衆生は業という実体のないものに牽れて苦という実体のないものに苦しんでいる)
その時宝首菩薩、偈をもってこたえて曰く『行うところの諸業に従ひて果報を受けることもまたしかなり。・・諸仏はかくのごとく説きたまふ。なお明浄なる鏡のその面にしたがひて像現ずるも内外所有なきがごとく業性もまたかくのごとし。田の種は各々相知らずして自然に能く因となるがごとく業性もまたかくのごとし。大幻師のかの四衢の道にありて種種の色を示現するがごとく業性もまたかくのごとし。匠の木人を作りて能く種々の声を出さしむるも彼には我と非我となきがごとく、業性もまたかくのごとし。・・・大地獄のなかの衆生苦悩を受くるも苦悩来るところなきがごとく業性もまたかくのごとし。転輪王のすぐれたる七宝を成就するも彼従来するところなきがごとく業性もまたかくのごとし。諸々の世界に成るあり或は敗るあるも成敗に來去なきがごとく業性もまたかくのごとし。」(衆生は業という実体のないものに牽れて苦という実体のないものに苦しんでいる)