1、 最近、多くの「改宗、特にキリスト教転向による不幸」をみて来ました。
・地方の病院長に単身赴任後3日目に心臓発作で孤独死。
・母親がキリスト教に転向したのち子供が離婚、癌にかかった例。
・父親が犯罪者となったのちに長男が死亡事故を起こした例。
・転向した本人が脳出血・半身不随になった例。
その他多くの家で不幸がおとずれています。
2、 これはひとえに先祖供養を怠っているためと思われます。キリスト教では先祖供養について「聖書の中の十誡では『あなたの父と母とを敬え』と教えているが「尊敬する」ことと「拝む」ことは違う。人間を神として礼拝する事はしない。神でないものを神として拝むことは間違った道に私たちを導いてしまうから。」と述べていることからどうしてもキリスト教信仰者は先祖供養を怠りがちになります。先祖はそれまで仏教徒でしたから葬式法事は仏式でやってきているはずです。先祖の霊は何十代も仏式で繰り返し供養されてきたわけです。
3、 先祖供養は現在の子孫の運命を拓く為にも大切です。
お大師様も性霊集に多くの先祖供養の達嚫を残されています。「故藤中納言の為に十七尊の像を造り奉る願文」には「この良縁(仏像造立の善行)によって尊霊をたすけたてまつらむ」とあり、「笠大夫、先妣の奉為に大曼荼羅を造り奉る願文」には「この妙業(曼荼羅造営供養)によって先慈(亡母)をたすけ奉らむ」とあります。いずれも先祖のための各種善行があの世での先祖の霊魂を助けることになるという趣旨のお言葉です。
中阿含経にも「祠祀諸天。祭餟先祖。及布施沙門梵志。爲後生天而得長壽得樂果報」とあります(諸天をまつり、先祖供養し、僧侶に布施をすることにより天に生じて長寿得楽)。初期仏教以来先祖供養は大切なこととされてきているのです。
また法苑珠林には「亡後作福。死者七分獲一。餘者屬現造者」とあります。亡者のために追福供養すれば7分の1は先祖に、7分の6は自分に返ってくるというのです。
4、 こういう大切な先祖供養を突然おろそかにすると先祖の霊は戸惑うことはたしかです。そこでどうしても子孫がピンチに陥っているときにこれを守ろうとする力は湧いてこないのです。あるいは子孫に助けてほしいと気ずかせるためにさまざまなシグナルを送ってくることになります。
5、 自身も数十年前危機的状況にあったとき高野山で先祖供養をしてもらいましたが薄紙をはぐように事態は好転しました。自宅で先祖の月命日には必ず先祖供養をするとともに墓参りをし、年数回は奥の院で先祖供養をしています。おかげで大変ありがたい毎日を過ごしています。キリスト教に転向した人も先祖が繰り返してきた仏式の供養をとにかく続けていくことが大切です。
・地方の病院長に単身赴任後3日目に心臓発作で孤独死。
・母親がキリスト教に転向したのち子供が離婚、癌にかかった例。
・父親が犯罪者となったのちに長男が死亡事故を起こした例。
・転向した本人が脳出血・半身不随になった例。
その他多くの家で不幸がおとずれています。
2、 これはひとえに先祖供養を怠っているためと思われます。キリスト教では先祖供養について「聖書の中の十誡では『あなたの父と母とを敬え』と教えているが「尊敬する」ことと「拝む」ことは違う。人間を神として礼拝する事はしない。神でないものを神として拝むことは間違った道に私たちを導いてしまうから。」と述べていることからどうしてもキリスト教信仰者は先祖供養を怠りがちになります。先祖はそれまで仏教徒でしたから葬式法事は仏式でやってきているはずです。先祖の霊は何十代も仏式で繰り返し供養されてきたわけです。
3、 先祖供養は現在の子孫の運命を拓く為にも大切です。
お大師様も性霊集に多くの先祖供養の達嚫を残されています。「故藤中納言の為に十七尊の像を造り奉る願文」には「この良縁(仏像造立の善行)によって尊霊をたすけたてまつらむ」とあり、「笠大夫、先妣の奉為に大曼荼羅を造り奉る願文」には「この妙業(曼荼羅造営供養)によって先慈(亡母)をたすけ奉らむ」とあります。いずれも先祖のための各種善行があの世での先祖の霊魂を助けることになるという趣旨のお言葉です。
中阿含経にも「祠祀諸天。祭餟先祖。及布施沙門梵志。爲後生天而得長壽得樂果報」とあります(諸天をまつり、先祖供養し、僧侶に布施をすることにより天に生じて長寿得楽)。初期仏教以来先祖供養は大切なこととされてきているのです。
また法苑珠林には「亡後作福。死者七分獲一。餘者屬現造者」とあります。亡者のために追福供養すれば7分の1は先祖に、7分の6は自分に返ってくるというのです。
4、 こういう大切な先祖供養を突然おろそかにすると先祖の霊は戸惑うことはたしかです。そこでどうしても子孫がピンチに陥っているときにこれを守ろうとする力は湧いてこないのです。あるいは子孫に助けてほしいと気ずかせるためにさまざまなシグナルを送ってくることになります。
5、 自身も数十年前危機的状況にあったとき高野山で先祖供養をしてもらいましたが薄紙をはぐように事態は好転しました。自宅で先祖の月命日には必ず先祖供養をするとともに墓参りをし、年数回は奥の院で先祖供養をしています。おかげで大変ありがたい毎日を過ごしています。キリスト教に転向した人も先祖が繰り返してきた仏式の供養をとにかく続けていくことが大切です。