福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・その36

2018-11-05 | 四国八十八所の霊験

岩屋寺から46番浄瑠璃寺までは三坂峠越で30Kmくらいあります。
平成17年は三坂峠の頂上を右手に折れ山に入り昔の遍路道をいったので近道でした。三坂峠から八坂寺まで9キロ強です。三坂峠(海抜七一〇㍍)は「三坂越えれば吹雪がかかり、戻りや つま子が泣きかかる」とうたわれたほど、馬子泣かせの峠で、土佐街道最大の難所でした。朝まだきの暗闇のなか、蜘蛛の巣を拂いつつ急こう配を錫杖をつきながら下りていきました。この道は昔、土佐街道の要所とされたようです。このような険しい細い道を昔はか弱い女性や老人も伊予や土佐双方からこうして薄暗い中を必死にそれぞれの人生を抱えて喘ぎつつ上り下りしたのだろうとおもうとなぜか見も知らぬそうした人たちが愛おしくてたまらなくなってきます。


北原白秋もここで漢詩や俳句を作っているようです。
・「旅人の歌のぼりゆく若葉かな」
・「 三 坂 即 事
  草履 単衣 竹杖 斑なり
  孤村の七月 綿蛮を聴く
  青々稲は長ず 恵原の里
  淡々雲は懸る 三阪の山」
・「越 三 坂 嶺
  三坂山頭 凸また凹
   層々たる雲霧 松梢に掛る
   寥々市遠く 人行少し
  山家美肴に 乏しきをいかんせん」
「三 坂 望 松 山 城
  欹危たる小径 晨を破って行く
  松樹蒲森 絶世の情
  独り竹節を停め 首を回らして望めば  
  白雲湧く処 これ松城」

18年11月のときには暗かったのでそのまま車道をいきました。 これがまちがいのもとで行けども行けども着きません。
砥部のほうまで数キロ大回りしてしまいました。いろいろな人に46番浄瑠璃寺を聞いてもわかりません。 
相当はなれたところにきたのでしょう。自転車の若者に聞くとはるか先に池がありそのまだ先と教えてくれました。痛くなった足を引きずりながら池の向こうにあらわれたおとぎの国のような景色をうらめしく眺めつつとおりすぎました。後から調べると通谷池とえひめこどもの城だったということが分かりました。 通りがかりのおじさんに「途中で大津というところから曲がれば近かったのに」といわれなにか複雑な気持ちになりました。2回目なので油断して地図を見なかった自分に強い腹立たしさを覚え半分やけになりました。ぎりぎりの疲れに襲われたときは心の奥に澱のように溜まっているどうしようもないどろどろしたものがすぐでてくることがおもいしらされました。遍路はいわば遊行の旅なのにこんなにカリカリすることはないだろうと自分でおかしくなります。    そのうち突然「ホイジンガは「遊ぶ人(ホモルーデンス)」といって人間は遊びにより歴史をつくってきたといったが実はその正反対に人間は本質的に修行する存在ではないか」という思いが心に浮かんでできました。  遊びにも高いレベルのものもありますが、俗人のレベルの低い遊びからは本当の安心は得られません。低俗な心で遊べば迷い・苦しみを深めるだけです。最近の日本人は浅はかな快楽主義に染めあげられ、真面目な心を「ぶっこわ」され欲望の制御ができなくなりました。その結果、業が業をよぶ地獄絵図のような連鎖反応が起こっています。

 道元禅師は「正法眼蔵弁道話」に「仏法には修証これ一如なり」(修行が即ち悟りだ、我々は本来仏だから無限に修行をするのだ)と喝破されています。  一方、遊ぶという句は観音経にあります。「無尽意菩薩は娑婆世界に遊ぶ」という句です。「観音様は衆生が無限の過去からの業によりこの世に現れ、また無限の業をつくりだしているのを見て、まるでわが子に対するように慈しみのこころで衆生の中に降り立ち救っておられるが、その衆生済度を遊びとしておられる。」とでもいうことでしょう。
 華厳経には「生死は菩薩の遊戯場」という句もあります(華厳経離世間品、「菩薩摩訶薩。於生死界示現涅槃界。亦不究竟無餘涅槃。是爲第八遊戲神通)。凡人にとって最も深刻な生死という現象のなかに菩薩が遊戲として涅槃を示されているといっています。
「われわれは本来宇宙すべてと一体で生死などに悩むことはないのだが貪瞋痴に覆われて迷っている。菩薩はこの世でこういう衆生を救うため衆生の境涯にあわせて生まれ変わり死に変わりして衆生済度をして遊んでおられる」ということでしょうか。

 大日経(悉地出現品)には「この身を捨てずして神通境を逮得し大空位に遊歩して身秘密を成ず。」(密教修法によりこの身のままで神通力を得、仏の世界に遊び、即身成仏できる)と即身成仏の証文としてでてきます。迷悟も生死もわれわれの無限の心のなかの一場面にすぎないのではないかとおもいました。

最初の時は、三坂峠を越えて何度も道を尋ね痛い足をひきずりつつ歩いているうちに文殊院という寺があらわれました。 入り口には「ここは八十八所発祥の地で大師が衛門三郎の子の供養とともに悪因縁切御修法をなさった有難い寺です。」とかいてありました。道に迷って苦労したお蔭で1回目にはお参りできなかった有難い別格札所第九番文殊院におまいりできました。 頼富本宏「四国遍路とはなにか」には「衛門三郎の伝承を伝えた文殊院は当初は鉢降山の麓にあったがのちに衛門三郎の屋敷跡に移されたという。現在文殊院には衛門三郎とその妻、八人の子供たちの像と位牌が安置される」と書いています。文殊院のなかには上がっていませんのでこれは確認できませんでした。しかし本当に像と位牌があるとすると衛門三郎の伝承の真実味がひしひしと伝わってきます。

 

 

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