福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日、踏切の老人を助ける為女性が犠牲になったと報じられました。

2013-10-02 | 法話
昨日踏切の老人を助ける為女性が犠牲になったと報じられました。なんともいいようのない痛ましい事と思うと同時に心の底から「仏性」が信じられる出来事でもありました。陰ながらこの女性を拝みました。お釈迦様の前世譚に捨身飼虎の話や、両眼を布施した王の話、自分が犠牲になり群れを助けた猿王の話など一身を擲って他者を助けた話が五百以上も出てきます。今回の女性もお釈迦様の前世譚のように受け止めました。まさに仏性は人々の中にいまも脈々と生き続けていることが命をもって證明されました。
以前分子生物学者渡辺格は、その著「人間の終焉」で人類は今後、強者が弱者を淘汰して「恥多き生存」を続けていくのか、それとも弱者と共に生きていく「尊厳ある滅亡」を選択するのか、を迫られるといいました。これは主に遺伝子レベルでの分析をもとに弱者を保護していくと遺伝子が弱まるということを書かれているのでしょうが、これに似た「カルネアデスの筏」(ギリシャの哲学者カルネアデスの出した問題。二人がつかまれば沈む板に二人目がつかまりに来たときこの人を突き飛ばして水死させたのは罪になるか)という問題の立て方もあります。これらは何れも「生きて」「物質的」に恵まれた生活をする事のみを無上の価値と考える問題設定です。お大師様の十住心でいえば最下位の「ただ食と性をのみ思う」「異生羝羊心」を最も価値あるものとする考え方です。昨日の踏切で老人を救うために犠牲になった女性はこういう愚かな狭い考えで生きている我々の日常性を一身をかけて打ち砕いてくださったといえます。この女性の方を陰ながら拝ませていただくことしかできませんが。
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