大師の霊験(「真言宗伝道団・明治45年出版)」より趣意
京都市に北村庄太郎という人がいた。義理の息子に政次郎という連れ子がいたがこの子は11歳で菓子屋に奉公に出た。そして父庄太郎は明治27年日清戦争に出征の身となった。継嗣の政治郎は奉公先で手首を痛め治らなくなってしまった。しかし政治郎は幼いながらも信心深かったので、東寺の御影堂に朝夕二回の祈願を30日続けたところ手首もうごくようになったので、12歳で今度は四国88所の遍路に出て自分の手の全快と父親の無事帰還を祈って回った。そして伊予の道後まで来たとき手は全快し、帰郷後に父も無事帰還した。一家でお大師様のご加護を喜んでいる。