即身成仏義
(観智儀軌)
また云く、 「法身真如観に入って、 一縁一相平等なること、 猶し虚空の如し。 もし能く専注して無間に修習すれば、 現生に則ち初地に入り、 頓に一大阿僧祇劫の福智の資糧を集む。 衆多の如来に加持せらるるに由るが故に、 乃し十地・等覚・妙覚に至って薩般若を具し、 自他平等にして一切如来の法身と共に同じく、 常に無縁の大悲を以て、 無辺の有情を利楽し、大仏事を作す。」と。
「地水火風空識の六大はすべてにいきわたっているとの観想に入りさらにご本尊と行者の身口意が平等で一つであるとの観想に入るならば、行者と仏があたかも虚空のごとく一体であると分かるのである。もし、よく一心専念に修行したならば、生きている間に、すぐに菩薩の修行すべき十段階のうち最初の歓喜地という段階に入り、さらにすみやかに、本来は無限の時間を必要とする福徳と智慧の功徳を集めることができる。
さらに等覚・妙覚という菩薩の位の最上位に入っては、一切智を具足することができ自他平等となり一切如来と同一となり一切衆生はみな自分と同体であると知って区別なく慈悲の心をおこし、無辺の衆生を利益安楽ならしめ、利他の大事業をなすことができる。」
(観智儀軌)
また云く、 「法身真如観に入って、 一縁一相平等なること、 猶し虚空の如し。 もし能く専注して無間に修習すれば、 現生に則ち初地に入り、 頓に一大阿僧祇劫の福智の資糧を集む。 衆多の如来に加持せらるるに由るが故に、 乃し十地・等覚・妙覚に至って薩般若を具し、 自他平等にして一切如来の法身と共に同じく、 常に無縁の大悲を以て、 無辺の有情を利楽し、大仏事を作す。」と。
「地水火風空識の六大はすべてにいきわたっているとの観想に入りさらにご本尊と行者の身口意が平等で一つであるとの観想に入るならば、行者と仏があたかも虚空のごとく一体であると分かるのである。もし、よく一心専念に修行したならば、生きている間に、すぐに菩薩の修行すべき十段階のうち最初の歓喜地という段階に入り、さらにすみやかに、本来は無限の時間を必要とする福徳と智慧の功徳を集めることができる。
さらに等覚・妙覚という菩薩の位の最上位に入っては、一切智を具足することができ自他平等となり一切如来と同一となり一切衆生はみな自分と同体であると知って区別なく慈悲の心をおこし、無辺の衆生を利益安楽ならしめ、利他の大事業をなすことができる。」