福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

災害論

2014-09-01 | 法話
古来、人類は多くの災害に遭いその都度重大深刻な犠牲者を出してきました。
 しかし経典には繰り返し衆生の心が国土を清らかにする(安泰にする)と書いてあります。維摩経には有名な『衆生浄きが故に国土清し』という句があります。不空三蔵訳「仏説大孔雀明王画像壇場儀軌」には「諸の世間に災禍逼悩刀兵飢饉亢旱疾疫四百四病憂悩闘争あり。及び八万四千の鬼魅ありて、有情を嬈悩し、求むるところの世間出世権の勝願に多く障害あるは、皆無始以来の貪愛無明虚妄分別の三毒ありて、実相を了せず、不善を積集するによる」とあります。災害も我々の積み重なる不善によるものだといっているのです。
 栄西禅師の興禅護国論にも「仁王経に曰『佛、般若をもって現在、未来世の諸の小国王等に付属してもって護国の秘法とす』と。其の般若とは禅宗なり。謂く、『境内にもし持戒の人あればすなわち諸天その国を守護す』と云々。・・・楞厳経に曰『佛のいわく、阿難よこの四種の律儀を持して、皎たること氷霜の如く、一心に我が般若壇怛羅呪(大白傘蓋神呪)を誦せよ。・・・この娑婆界に八万四千の災変の悪星、二十八の大悪星あり。世に出現せんとき、能く災変を生せんも、この呪ある地は悉くみな消滅せん。十二由旬に結界の地となりて、諸悪災障永く入ることあたわず。』」と書いて、衆生の行動が清らかで心も清らかであれば国土は安泰であると経典を種々引用しています。
弘法大師は「秘蔵宝鑰」中巻に「・・それ災禍の興りに略して三種あり。一には時運、二には天罰、三には業感なり。
・時運とはいわゆる陽九百六なり。(一元(4560年)の間に陽厄(旱魃)が五度、陰厄(洪水)が四度おこる。この陽陰九度の厄を陽九という。黄帝のときから百六年目にはじめて陽九がおこったから百六という。)尭の水、湯の旱、これにあたれり。このゆえに聖帝震に出て機をみて逆備せり(伏義氏が東方(震)より出て易を創案に、災害を予測した)。減劫の五濁もこれにあたれり(住劫において、人間の寿命が、8万歳から、年々減じて、10歳になるまでの過程を減劫といい、減劫の世になると五濁がおこる。五濁とは、劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)。
・天罰とは教令理にそむくによって天すなわちこれを罰す。孝婦雨ふらさざりしの誅(漢書にある。孝婦が無実の罪で死刑にされたとき天帝の怒りで3年間旱魃が続いたこと)、忠臣霜を降らすの囚(淮南子にある。燕の忠臣が讒言により獄につながれたので盛夏に霜が降ったこと)、かくの如きの類これなり。
・・・業感とは悪業の衆生同じく悪時に生じて業感のゆえにかくのごときの災を招く。
かくのごときの論はつぶさには歴代の「五行志」等、および「守護国経」「王法正論経」等のごとし。・・」
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