運命の不思議さや不条理さについても古今東西さまざまなことが言われてきました。
「神々はあわれな人間どもに苦しみつつ生きるように運命の糸を紡がれたのだ。ご自身にはなんの憂いもないくせに。
ゼウスの屋敷の床には人間に賜るものをいれた甕が二つおいてあり、一つには悪いことが、もう一つには善いことが入っている。
この二つを混ぜてたまわったものは、あるときは不幸にあうが幸せに恵まれることもある。悪いことばかりを賜ったものは、人に蔑まれる身に落とされ、彼を激しい飢餓が尊い大地の上を追廻し神々にも人間にも顧みられずにさまよいあるくことになる。」
(ホメロス「イリアス」)
◇ ◇ ◇
「治乱は運なり、窮達は命なり、貴賎は時なり」(国の乱れは運、苦しんだり栄達していくのは命、貴賎は時代の力である。)
(魏の李康 「運命論」)
◇ ◇ ◇
「太上 曰わく。禍福は門無し。唯人自からまねく。善悪の報いは影の形に随ふが如し。
是を以て天地には司の神有りて、人の犯す所の軽きと重きとによりて
以て人の算(いのちのかず)を奪う。算減ずる時は則ち貧しくおとろえ、多く憂い患しみに逢う。人は皆これを悪み、刑禍はこれに随い、吉慶は之を避け、悪星は之に災いし、算(いのちのかず)尽くれば則ち死す。」(太上感応篇)
◇ ◇ ◇
「天の暦数なんじの身にあり」
(書経)
◇ ◇ ◇
「袁了凡は子供のとき仙人から「科挙を14番でとおり、四川の知事になり、53歳の8月14日に死ぬ。子供はできない。」といわれそのとおりの人生を歩んでいた。あるとき雲谷禅師に会いこのことを告げると、「天のなせる禍は避けることができる。自らなせる禍は避けることができぬ。お前が今から徳行を磨き善行をつめばこれはみずからの福であるから運は開ける。」と教えられた。教えられた通りに徳を積むと、53歳をすぎて73歳まで生き、子供にも恵まれた。」
(袁了凡「陰隲録」)
◇ ◇ ◇
「塞翁の馬が逃げた。
ひとびとがお悔やみをのべると、「これは幸いのもとかも知れぬ」という。果たしてその馬は胡の地から多くの馬をひきいてかえってきた。周りはめでたいと言うと、「いやこれは禍の種になるかも知れぬ」という。。やはりこのために子息は万里の長城の苦役をまぬかれた。」
(淮南子)
◇ ◇ ◇
「およそ天地間のこと・・・その数みな前より定まる、人の富貴貧賤、死生壽夭、利害栄辱、聚散離合にいたるまで一定の数にあらざるなし。ことにいまだこれと前知せむのみ。
たとえばなほ傀儡の戯れの機関すでに備わりしかして観者知らざるがごときなり。世人そのこのごときをさとらずもって己の知力恃むにたると称して終身役々。
東に索め西に求めついに悴役して斃る。これまた惑の甚だしきもの。」
(佐藤一斎「言志録」)
◇ ◇ ◇
「過去の因を知らんと欲すれば現在の果をみよ、未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。」
(因果経)
◇ ◇ ◇
「そもそもこの天地の間にありとあらゆることは悉く神の御意なるなかに、すべてこの世の中のことは春秋のゆきかはり雨降り風吹くたぐいまた国のうえ人の上のよしあしよろずのこと、みなことごとに神のみしわざなり。さて神には善きもあり悪しきもありて所為もそれにしたがうなれば、大方世の常のことはりをもっては測りがたきわざなりかし。
・・・善神のみにあらずかならず悪しきもありて心も技も然あるものなれば、悪しき技する人も栄え・・・」
(古事記伝)
◇ ◇ ◇
「神は鼠をなぶる猫のようにわしらをからかっているのじゃ。そうしておいてわしらにまだ感謝しろという・・・」
(アンドレ・ジッド「贋金つかい」)
◇ ◇ ◇
「ひょっとしたら世界は一場の御伽噺にすぎず、神はそんなものに関心をもってはおられぬのかもしれない・・・。主よもしわれら欺かるることありともそはなんじによりてなりという聖アウグスチヌスの言葉はいまなお我々の現代的感情にぴったりとあてはまる名言である。
・・徳行という投資をしても利潤がわれわれの懐にはいらぬことはわれわれも覚悟のうえであきらめているがしかし投資した徳行をあまりあてにしすぎてお笑い草とはなりたくないのである。」
(ルナン「Feuilles detaches」)
◇ ◇ ◇
「世おのずから数というもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。
洪水天に滔るも禹の功これを治め、大旱地を焦がせども、湯の徳これをすくへば、あるが如くにして、しかも数無きが如し。
秦の始皇帝、天下を一にして尊号を称す、・・・しかれども水神ありて華陰の夜に現れ、璧を使者に托して、今年祖竜死せんといえば、果たして始皇やがて沙丘に崩ぜり。唐の玄宗、開元は三十年の太平を享け、天保は十四年の華奢をほしいままにせり。
然れども開元の盛時に当たりて、一行阿闍梨、陛下万里に行幸して聖祚かぎりなからん、と奏したりしかば、心得がたきことを申すよとおぼされしが、安禄山の乱おこりて・・・万里橋にさしかかりて?然(くぜん)としてさとりたまへりとなり。
・・・吉凶禍福は皆定数ありて、飲 笑哭も悉く天意に因るかと疑はる。されど紛々たる雑書、何ぞ信ずるに足らん。假令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従ひて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ。
・・・古より今に至るまで、成敗の跡、禍福の運、人をして思を潜めしめ歎を発せしむるに足るもの固より多し」
(幸田露伴「運命」)
(14世紀おわり明の2代目皇帝として朱元璋の孫建文帝が即位しましたが中央集権を急ぎ王族の反発を受けました。1399靖難の変で建文帝は倒され叔父の永楽帝が即位します。このとき建文帝は焼死したことになっていますが一説によると建文帝は僧になり生き延び永楽帝の死去ののち再度宮廷に迎えられたということです。このときの模様をかいています。)
◇ ◇ ◇
「どうしてすべてがこう自分には白い歯をみせるのか、運命というものが自分に対し、そういうものだとならば、そのように自分も考えよう。
勿論子を失うものは自分ばかりではない、その子が丹毒で永く苦しんで死ぬというのも自分の子にだけあたえられた不幸ではない、それは分かっているが、ただ、じぶんはいままでの暗い道をたどってきた自分から新しいもっと明るい生活に転生しようと願い、その曙光をみたとおもった出鼻に、初子の誕生という喜びであるべきことを逆にとって、また自分をくるしめてくる、其所にかれは何か見えざる悪意を感じないではいられなかった。・・・」
(志賀直哉「暗夜行路」で主人公時任謙作は母と祖父の間の子であることがわかり苦悩するがさらに子供まで幼くして死ぬ、この運命に彼がつぶやく言葉)
◇ ◇ ◇
「蓮華色比丘尼はその昔若いとき、嫁して一女をもうけたが夫が母と通じたため其の地を出て長者の婦となる。
のち長者は一少女をつれてきて妾とするがそれはかって産んだ娘であった。このため自暴自棄に陥り淫女となる。たまたま目連の教化をうけ出家し阿羅漢果を得、神通第一といわれる」
(優鉢羅華比丘尼本生経)
◇ ◇ ◇
運命の不思議以上に腑に落ちないのは悪人世にはばかるように見えることです。これは納得できません。
楠正成は忠臣でも戦死、キリストも十字架にかかり、ソクラテスも毒杯を飲みました。
なぜ足利尊氏が戦死してユダが十字架にかからないのか?
因果の法則はないのではとおもうこともたびたびです。
しかし正成、キリスト、ソクラテスはその死により何千年もの間ひとびとに忠義と正義の観念をあたえ幾万の霊を救ってきているのです。ただそれにしても腑に落ちません。
中国の華厳五祖とされる圭峯宗密は「原人論」に
「身を修めることなく悪行にふけるもの(夏の桀王や殷の紂王)が貴人の扱いを受け、倫理道徳の道を守るもの(孔子、孟子)は身分がいやしいとされ、徳行なくも財力に富み(斉の景公)徳があっても貧乏くらし(原憲)逆臣であっても吉祥があり(魏の曹操)大義に殉じても凶運となる(諸葛孔明)仁愛の実践者でも若死にし(顔回)横暴をきわめても長命のものがいる(盗跖)天の道に従順なものが亡び、道理に背反するものが栄えるといった不条理はどうしておこるのか」と書きました。
「神々はあわれな人間どもに苦しみつつ生きるように運命の糸を紡がれたのだ。ご自身にはなんの憂いもないくせに。
ゼウスの屋敷の床には人間に賜るものをいれた甕が二つおいてあり、一つには悪いことが、もう一つには善いことが入っている。
この二つを混ぜてたまわったものは、あるときは不幸にあうが幸せに恵まれることもある。悪いことばかりを賜ったものは、人に蔑まれる身に落とされ、彼を激しい飢餓が尊い大地の上を追廻し神々にも人間にも顧みられずにさまよいあるくことになる。」
(ホメロス「イリアス」)
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「治乱は運なり、窮達は命なり、貴賎は時なり」(国の乱れは運、苦しんだり栄達していくのは命、貴賎は時代の力である。)
(魏の李康 「運命論」)
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「太上 曰わく。禍福は門無し。唯人自からまねく。善悪の報いは影の形に随ふが如し。
是を以て天地には司の神有りて、人の犯す所の軽きと重きとによりて
以て人の算(いのちのかず)を奪う。算減ずる時は則ち貧しくおとろえ、多く憂い患しみに逢う。人は皆これを悪み、刑禍はこれに随い、吉慶は之を避け、悪星は之に災いし、算(いのちのかず)尽くれば則ち死す。」(太上感応篇)
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「天の暦数なんじの身にあり」
(書経)
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「袁了凡は子供のとき仙人から「科挙を14番でとおり、四川の知事になり、53歳の8月14日に死ぬ。子供はできない。」といわれそのとおりの人生を歩んでいた。あるとき雲谷禅師に会いこのことを告げると、「天のなせる禍は避けることができる。自らなせる禍は避けることができぬ。お前が今から徳行を磨き善行をつめばこれはみずからの福であるから運は開ける。」と教えられた。教えられた通りに徳を積むと、53歳をすぎて73歳まで生き、子供にも恵まれた。」
(袁了凡「陰隲録」)
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「塞翁の馬が逃げた。
ひとびとがお悔やみをのべると、「これは幸いのもとかも知れぬ」という。果たしてその馬は胡の地から多くの馬をひきいてかえってきた。周りはめでたいと言うと、「いやこれは禍の種になるかも知れぬ」という。。やはりこのために子息は万里の長城の苦役をまぬかれた。」
(淮南子)
◇ ◇ ◇
「およそ天地間のこと・・・その数みな前より定まる、人の富貴貧賤、死生壽夭、利害栄辱、聚散離合にいたるまで一定の数にあらざるなし。ことにいまだこれと前知せむのみ。
たとえばなほ傀儡の戯れの機関すでに備わりしかして観者知らざるがごときなり。世人そのこのごときをさとらずもって己の知力恃むにたると称して終身役々。
東に索め西に求めついに悴役して斃る。これまた惑の甚だしきもの。」
(佐藤一斎「言志録」)
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「過去の因を知らんと欲すれば現在の果をみよ、未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。」
(因果経)
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「そもそもこの天地の間にありとあらゆることは悉く神の御意なるなかに、すべてこの世の中のことは春秋のゆきかはり雨降り風吹くたぐいまた国のうえ人の上のよしあしよろずのこと、みなことごとに神のみしわざなり。さて神には善きもあり悪しきもありて所為もそれにしたがうなれば、大方世の常のことはりをもっては測りがたきわざなりかし。
・・・善神のみにあらずかならず悪しきもありて心も技も然あるものなれば、悪しき技する人も栄え・・・」
(古事記伝)
◇ ◇ ◇
「神は鼠をなぶる猫のようにわしらをからかっているのじゃ。そうしておいてわしらにまだ感謝しろという・・・」
(アンドレ・ジッド「贋金つかい」)
◇ ◇ ◇
「ひょっとしたら世界は一場の御伽噺にすぎず、神はそんなものに関心をもってはおられぬのかもしれない・・・。主よもしわれら欺かるることありともそはなんじによりてなりという聖アウグスチヌスの言葉はいまなお我々の現代的感情にぴったりとあてはまる名言である。
・・徳行という投資をしても利潤がわれわれの懐にはいらぬことはわれわれも覚悟のうえであきらめているがしかし投資した徳行をあまりあてにしすぎてお笑い草とはなりたくないのである。」
(ルナン「Feuilles detaches」)
◇ ◇ ◇
「世おのずから数というもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。
洪水天に滔るも禹の功これを治め、大旱地を焦がせども、湯の徳これをすくへば、あるが如くにして、しかも数無きが如し。
秦の始皇帝、天下を一にして尊号を称す、・・・しかれども水神ありて華陰の夜に現れ、璧を使者に托して、今年祖竜死せんといえば、果たして始皇やがて沙丘に崩ぜり。唐の玄宗、開元は三十年の太平を享け、天保は十四年の華奢をほしいままにせり。
然れども開元の盛時に当たりて、一行阿闍梨、陛下万里に行幸して聖祚かぎりなからん、と奏したりしかば、心得がたきことを申すよとおぼされしが、安禄山の乱おこりて・・・万里橋にさしかかりて?然(くぜん)としてさとりたまへりとなり。
・・・吉凶禍福は皆定数ありて、飲 笑哭も悉く天意に因るかと疑はる。されど紛々たる雑書、何ぞ信ずるに足らん。假令数ありとするも、測り難きは数なり。測り難きの数を畏れて、巫覡卜相の徒の前に首を俯せんよりは、知る可きの道に従ひて、古聖前賢の教の下に心を安くせんには如かじ。
・・・古より今に至るまで、成敗の跡、禍福の運、人をして思を潜めしめ歎を発せしむるに足るもの固より多し」
(幸田露伴「運命」)
(14世紀おわり明の2代目皇帝として朱元璋の孫建文帝が即位しましたが中央集権を急ぎ王族の反発を受けました。1399靖難の変で建文帝は倒され叔父の永楽帝が即位します。このとき建文帝は焼死したことになっていますが一説によると建文帝は僧になり生き延び永楽帝の死去ののち再度宮廷に迎えられたということです。このときの模様をかいています。)
◇ ◇ ◇
「どうしてすべてがこう自分には白い歯をみせるのか、運命というものが自分に対し、そういうものだとならば、そのように自分も考えよう。
勿論子を失うものは自分ばかりではない、その子が丹毒で永く苦しんで死ぬというのも自分の子にだけあたえられた不幸ではない、それは分かっているが、ただ、じぶんはいままでの暗い道をたどってきた自分から新しいもっと明るい生活に転生しようと願い、その曙光をみたとおもった出鼻に、初子の誕生という喜びであるべきことを逆にとって、また自分をくるしめてくる、其所にかれは何か見えざる悪意を感じないではいられなかった。・・・」
(志賀直哉「暗夜行路」で主人公時任謙作は母と祖父の間の子であることがわかり苦悩するがさらに子供まで幼くして死ぬ、この運命に彼がつぶやく言葉)
◇ ◇ ◇
「蓮華色比丘尼はその昔若いとき、嫁して一女をもうけたが夫が母と通じたため其の地を出て長者の婦となる。
のち長者は一少女をつれてきて妾とするがそれはかって産んだ娘であった。このため自暴自棄に陥り淫女となる。たまたま目連の教化をうけ出家し阿羅漢果を得、神通第一といわれる」
(優鉢羅華比丘尼本生経)
◇ ◇ ◇
運命の不思議以上に腑に落ちないのは悪人世にはばかるように見えることです。これは納得できません。
楠正成は忠臣でも戦死、キリストも十字架にかかり、ソクラテスも毒杯を飲みました。
なぜ足利尊氏が戦死してユダが十字架にかからないのか?
因果の法則はないのではとおもうこともたびたびです。
しかし正成、キリスト、ソクラテスはその死により何千年もの間ひとびとに忠義と正義の観念をあたえ幾万の霊を救ってきているのです。ただそれにしても腑に落ちません。
中国の華厳五祖とされる圭峯宗密は「原人論」に
「身を修めることなく悪行にふけるもの(夏の桀王や殷の紂王)が貴人の扱いを受け、倫理道徳の道を守るもの(孔子、孟子)は身分がいやしいとされ、徳行なくも財力に富み(斉の景公)徳があっても貧乏くらし(原憲)逆臣であっても吉祥があり(魏の曹操)大義に殉じても凶運となる(諸葛孔明)仁愛の実践者でも若死にし(顔回)横暴をきわめても長命のものがいる(盗跖)天の道に従順なものが亡び、道理に背反するものが栄えるといった不条理はどうしておこるのか」と書きました。