地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の16/16
十六、杖頭地蔵の事
中古淡路の國に住侶しける教僧圓照坊の母、生在に更に善力無きを以て子息の僧圓照、教力を以て常にこしらへ奉りて念佛誦経の結縁を勧めけれども、業因深きに引かれて教門に入らずして善根に眼を閉じ耳を塞ぎける。されども辻化(遷化か?)無常に追福をして衰老無愛の身と成りて妄執愛着の栖を別れ遥かに思ひし閻羅國に赴き闇々たるくらき冥路曠々とひろき原野に迷出にけり。子息の圓照倩(つらつら)母の平生無善の因によりて滅後の罪果思やるにぞ忍がたく、門戸を閉じ世の有為を止めて偏に亡母の菩提資助を勤行して誦経念佛して三宝証明の知見を頼み奉り、観行の窓前に虚(いつわり)なく觀心の月に隈なくして一乗の文を引見るに凢そ諸佛諸菩薩の本誓、利益衆生の方便は等しくて成等正覚の計以て一般なれば、何も勝劣は在ねども就中一念彌陀佛即滅無量罪(觀經疏傳通記 「 問寶王論云一念彌陀佛即滅無量罪」。諸回向清規「唵阿蜜㗚多帝際賀羅吽。一念彌陀佛即滅無量罪。現受無比樂。後生清淨土」。)と金口の所説、今世後世能く引導すとは覚王の金言なればさめて斯に弥陀を念じ寤(いね)て亦地蔵を観ずべし。されば地蔵菩薩の本願に、母の為に忠孝をあつくせんともがらは其人と吾と一躰にして別(へだ)てなしとも。又若し草履一双を添て其人の墓のほとりに置べし。其の人忽ち刀山に刃を踏まず長夜に街に迷ずと云へり。如是のあり難き事あるべからずとて木を求めて三尺の杖頭地蔵菩薩の像を造り奉り草履一足を添て母の墓の傍らに置き奉り白しけるは、是の追善によりて縦(たとへ)宿善なくして刀山に赴き玉ふとも此の草履をば蓮台として剣樹の峰を飛び、猶悪因にひかれて闇黒に沈み玉ふとも此の木杖を先達として無明長夜を出離し玉へ。伏して願くは圓照忠孝肝を消す。諸天いかでか憐れみ玉はざらん。金口の説相明々たり。亡霊なんぞ助かり玉はんことなからんやと、涙を流して念誦して墓所を去りぬ。其後十日ばかりを經て日比(ひごろ)彼の母と親しくしつる女房の事の縁によりて都に栖けるに謂はざるに夫に附て越中の國へ下向して栖けるにより古郷の音信も絶へてありつる。女房の圓照坊に来たりて語りしは、或雨夜の夢に彼國の立山の傍を通りしに、御坊の母君、足には鐵の木履を踏みて手に三尺の杖をつきて見玉ふを、吾床敷(ゆかしく)も又不審にも思ひて是は何なる様にてましますぞと問ければ、されば我在生の時、一善のなすことなく、慳貪を宗としたりし報に刀の山へ追駆されて身を寸々に截断さる。其の苦み言も中々絶ぬ。然るに我が子圓照が加被力を以て此の杖(つえつき)て刀山は陸地の如く足に鐵を踏みぬれば劔樹も犯す所なし。杖頭の地蔵尊光明を放ち玉へば鬼王近くことを得ず。されども害を逸までにして得脱は遥かなり。願くは圓照、法花三昧の定力を以てして且加ふるに地蔵尊の形像を造立供養せば永く三界苦淪を出べしと、慥かに傳語し玉ふ告げありとて涙を流して語り申せば、圓照追善の杖頭地蔵の引(みちび)き玉ふにぞと頓(やが)て如法の法花三昧を行じて地蔵の像を造立し奉り、母の追善得脱を祈る。其の結願の夜、夢みらく彼の善に酬へて今地蔵薩埵と等しく都率の供奉するものなりと歓喜の容顔正しくして光を放って天上し玉ふと思へば覚めぬ。弥よ倍増法楽の法施を奉り自他俱往生樂邦の修行を成しければ、一入(ひとしほ)父母の追善謝徳、真を以て求ば如是の利生速やかなるべきをや。
(地蔵菩薩霊験記巻二終わり)