地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の7/9
七、仁康法師示現に依り地蔵講式を行ふ事。(今昔物語巻十七僧仁康祈念地蔵遁疫癘難語 第十にあり)
天台山横川に慈恵大師の門人仁康坊と白すは今の祇陀林寺(京都中御門京極の東にあった天台宗の寺。 長保二年(1000)良源の弟子仁康創建と伝えられる)の住侶なり。後一条院の御宇治安三年(1023年)の比(ころ)天下に疫癘行はれて貴賤此の災に罹らざるはなし。戸々家々に泣哀み侍ること誠に天災とは云ひながら苦々しくぞありき。仁康是を哀愍して地蔵菩薩に祈り奉る。風に聞く人民無病百由旬の内に諸の罹患なしと、大悲の誓願虚しからずんば此の難を救ひ玉へと身心清浄にして祈りけるが一夜夢らく、端厳美麗の小僧の来たりて告げて曰く、汝世上の無常を観るや否やと。夢中に答て云く、昨日見し人は今日は虚し。朝有るかとすれば夕にはなし。先に妻あるものは後に憂あり。争でか常なるべしと。小僧笑て曰く、人間の八苦は始めて歎くべきにあらず。いつかこの悲みなき時し有らりける。若し苦輪を暫くも助けんとならば偏に地蔵講を執行べし。自他俱に安く同じく寂光に皈すべしと示し玉へば、仁康夢覚めて大佛師康成の所に行て地蔵尊の像を金色の彩色にし造立供養し奉る。其の後式を造り、始めて地蔵講を行じけり。されば道俗のやから同心に低頭合掌して共に結縁をいとなみけり。去程に病鬼忽ちに去りて寺中房内に病患に罹るものなし。是併しながら菩薩の示現によりてなり。此の事世に風耳ありければ我先にと講を営む。如是に修する者は疫氣を患ることなく若し軽慢の輩は忽ち此の災に値ければ弥よ地蔵の講繁昌して今に至て式を執行(とりおこな)ふの権輿となれり。妖は徳に勝たず、世教すら猶如是、況や出世上々の妙法をや尊で猶餘有。